アロハ桜

 

共楽公園

京都府舞鶴市

ハワイ日系二世をしのぶ友好平和のサクラ

碑文

第二次大戦後、海軍のまち舞鶴市は大きな転機に迫られ、市民は方途を失って廃墟化していました。

崩れはてたまち並みと山野。この中で、若いサクラの樹木が次々植えられ、舞鶴市民に平和と復興の

勇気をつけてくれました。

この「友好の使者」は、二十年後半から舞鶴市に駐留した米軍のハワイ出身二世兵士二十三人です。

「国籍はアメリカだが、祖国は日本、荒れた祖国に少しでもうるおいを」と、二十一年春どこからかサク

ラの苗木約百本を運んで、共楽公園と付近の厚枝周辺に植えました。その年、二世兵士らは朝鮮戦争

の勃発で舞鶴市を去りました。

その後に伝えられたのは、二世兵士全員の戦死の報、百本のサクラはスクスク育ち、今では、舞鶴の

サクラのリーダー格になっています。舞鶴市を荒廃化し、二世兵士らの命をも奪った戦争、世界平和の

ための犠牲ともいえます。

祖国日本の平和と復興の願いが込められたこのサクラをみんなで育て、二世兵士らの冥福を祈って碑

を建設しました。

明石市中朝霧丘 壽建設 代表取締役 木村寿賀市

 

ハワイ日系二世をしのぶ友好平和のサクラ

 

閑話休題

更新日:2010/04/17