特攻隊慰霊碑移築建立法要
於:鶴林寺/兵庫県加古川市
主催:兵庫県特攻隊慰霊碑保存会
平成13年 5月26日
播磨の法隆寺 刀田山鶴林寺
来賓席 一般席
大東亜戦争 護国之神鷲/忠魂特攻隊之碑
特別攻撃隊員の御霊に捧ぐ
昭和十六年十二月八日、日本が米国、英国に対し宣戦を布告、引き続き仏国、蘭国を相手に
戦った先の第二次世界大戦において、昭和二十年八月十五日の終戦間際、軍の意図する特
別攻撃隊に応募した十七歳から二十歳前後の若き飛行機搭乗員たちは、愛機に爆弾を抱い
て敵艦に激突轟沈し、或いは敵陣に突入するなど、祖国日本のため、また肉親のため、真の
平和を願いながら、先立つ不幸を両親に詫びつつ、比島レイテの湾に、はたまた沖縄、慶良間
列島の敵艦集結の海域に我が身を捨てて散華されました。
最後の防禦地となった沖縄戦は、誠に熾烈を極めた戦いとなり、民間の人も、子供たちまでまき
込んだ凄惨な戦いとなりました。
全国各飛行基地で特別攻撃隊が編成されて、比島、台湾、知覧、万世、鹿屋、都城等の各特攻
基地に移動中燃料補給の為、また飛行機整備の為に加古川尾上飛行場に着陸された、特別攻
撃隊員の皆さん方、又加古川教育飛行隊で編成された特別攻撃隊員が、陸軍指定旅館の中村
家に宿泊されました。そのとき書き残された遺書や、遺稿、血書等多くの遺品が散逸の恐れもあ
りましたが肉親の判明しない遺品は加古川市文化財保護協会に保管を依頼して承諾を得ました。
この碑は、加古川市寺家町の中村家旅館の当時の主人、宮田亀之助氏が特別攻撃隊員の皆さ
んを偲んで、旅館前に建立されておりましたが諸般の事情により他に移設をせざるを得ず、この
度日本全国より飛行機搭乗員及び関係者浄財を寄進し、適地を求めておりました処、聖徳太子
御創建の地、数多くの国宝、重要文化財のある鶴林寺の御慈悲により、御仏の膝下に安住の地
を求めることが出来、国宝と共に末永くお守りして戴くことが出来ました。
比島及び沖縄での戦死者及び、敵艦集結の沖縄、慶良間列島の海に散華された特別攻撃隊勇
士のご冥福を心よりお祈り申し上げ、その慰霊の誠を尽くすのが私たち生存者の努めであると存
じます。御霊の安らかに眠られん事を願い碑文といたします。
遺品が展示された講堂
遺影 遺墨・遺品
音楽隊による軍歌演奏
関連史蹟
かつての陸軍指定旅館/中村家の現況
更新日:2002/02/10