泉福寺

和歌山県海草郡美里町

 

経緯

戦前、大阪でロープ製造工場を創立し財を成した故前岡英明氏が、戦後世を忍び墓や慰霊碑の建立が憚られた

戦時日本の最高指導者・陸海軍の将官達の奥津城を私財を投げ出して建立。

戦後、ここに祀られた戦死者・自決者・処刑者等の未亡人達は、この人里離れた泉福寺に密かに足を運ばれ、

亡き夫の霊に手を合わせられたという。

また戦友や遺族の方たちも泉福寺の存在を知り、高野山参詣の帰路に泉福寺に立ち寄られるという事でした。

 

護國神社

護國神社

 

戦没陸海軍将官 追善供養慰霊碑

 

戦没陸海軍将官 追善供養慰霊碑

 

戦没陸海軍将官 追善供養慰霊碑

碑文

此の偉大なる戦死者 誠に惜しむべし 悼むべし 遺族は■泣し 更に哭きつづけ

我亦滂沱として 涙流るるを禁じ得ざるなり

二度とかかる惨禍を繰返すまじ 悠久の平和を祈りてやまず

昭和四十年八月十五日  前岡英明 前岡テル 建立

 

岳原山泉福寺石塔建立和讃

碑文

帰命願礼観世音 ならぶお山の石塔婆 時は昭和の国難に 桜花と散りし ますらをの

嗚呼いさましくも いたましや 世は太平になりぬれど いかになぐさめ なかべきか

くちぬみたまをわすれじと

ここに石塔建立の 施主前岡英明翁 功徳は残る この山に 南無大慈観世音

ほまれはともに来世まで たたえまつらん 供養せん 南無大慈

あさひくまなく岳原山 夕陽がてらす みたまの丘を

南無観世音 願以此功徳 普及於一切 我等興衆生 皆供成仏道

 

花八景 句碑

風寒く 花には遅し 泉福寺

殉國の英霊を早く正しく供養しないと日本の平和も独立も有りえず、何時までも風が寒く

これでは花も咲かないと云う思いから詠まれた句との事。

 

軍人墓地

終戦時自決者墓域

 

A級戦犯処刑者墓域

 

追悼歌碑

詠歌

忠勇義烈 護國之英霊 嗚呼壮烈 嗚呼無惨 嗚呼痛恨

 

地元出身戦没者墓碑

 

地元出身戦没者墓碑

 

地元出身戦没者墓碑

 

忠魂碑

 

日清日露大戦無名戦士忠魂碑

 

嗚呼世界大戦無名戦死者忠魂碑

 

マッカーサー元帥顕彰之碑

 

慰霊行事

更新日:2013/09/16