奈 良

 

奈良陸軍墓地

奈良県奈良市

奈良陸軍墓地

旧軍墓地の由来

墓地の敷地は五六四九平方米あり、墓地には満州事変戦没者合同墓碑(昭和三十一年五月三十日建立)と、

歩兵第三十八連隊将兵英霊合祀之碑(昭和九年三月建立)の二つの塔と、寛城子事件などで亡くなられた三

十四体の将兵の墓碑が建立されています。歩兵第三十八連隊は、明治二十九年十二月、京都市伏見区深草に

創設された。明治四十二年三月、奈良市高畑町に歩兵第五十三連隊が創設されたが軍備縮小により大正十四

年三月の廃隊され、これに代わって同年四月、京都深草より奈良高畑へ歩兵第三十八連隊が移駐しました。

また、移駐に伴い京都七方面山陸軍墓地(京都市伏見区宝塔寺山町)の関係諸霊をも此処に遷してお祀して

います。

 

満州事変戦病没者合同墓碑

 

満州事変戦病没者合同墓碑

 

歩兵第三十八連隊将兵英霊合祀之碑

 

将兵墓碑

 

将兵墓碑

 

奈良第二地方合同庁舎

奈良県奈良市

奈良連隊跡記念碑

碑文

この南側約4万5千平方米の地域に設けられた兵営には明治四十一年歩兵第五十三連隊が創設され大正十四年

の軍縮にあたり廃止され その跡に歩兵第三十八連隊が京都から移駐した

同連隊は昭和十六年の軍備改編により満洲遼陽に移駐して 新設第二十九師団の基幹となり その跡に歩兵第

一五三連隊が新設されたが昭和二十年終戦となる

この兵営に駐屯した将兵の数は延7万におよび シベリヤ出兵 満洲事変 支那事変に引続き大東亜戰争に参

加し 遠くシベリヤより満洲支那大陸 東南アジア及び太平洋諸地域に亘り赫々たる戦果を挙げた

又当時の兵営は盡忠報國の至誠に燃ゆる若人の道場であり 大和民族伝統の日本精神 即ち生を捨て義をとり

名節を尊び進んで國難に赴き従容として死につく大和魂の練磨と武技の鍛錬に精進した誠に意義深きところで

あった

茲に有志相図り由緒ある奈良連隊跡を偲び 先輩戦友の遺勲を永く後世に伝える為記念碑を建立する

昭和四十四年三月二十四日建之  奈良連隊跡記念碑建設委員会

 

奈良連隊跡記念碑 軍旗と銃剣のレプリカ

 

奈良縣護國神社

奈良県奈良市

歩兵第百五十三連隊 ビルマの塔

碑文

第二次世界大戦のビルマ戦場において祖国の為に尊い生命を捧げられた兵士の御霊をまつる ゆかりの塔

昭和五十六年三月 歩兵第一五三連隊有志並に篤志家 建之

 

靖國の祈り  奈良縣護國神社

日本の桜   奈良縣護國神社

 

鎮魂の霊地

更新日:2013/05/12