都 城
都島公園
宮崎県都城市
都城特攻振武隊はやて
碑文
昭和二十年四月 日本の命運をかけた沖縄攻防戦は凄惨熾烈をきわめた 南九州の陸海軍航空基地
からは 爆弾と片道燃料だけを積み込んだ特別攻撃機が 日夜続々と出撃していった
当時 市の郊外にも東・西飛行場があり 同年四月この基地から初めて四式戦「疾風」特別攻撃機が沖
縄周辺の目標をめざして南の空へ飛び立って行った。以来七月一日まで十七次に及ぶ出撃が行われ
未だ少年の面差しを残す二十才前後の若い特別攻撃隊員は 戦局の好転と祖国の勝利を信じて南海の
果てに散華したのである。
戦後三十二年の歳月と変容によって思出の基地一帯は当時の面影を偲ぶよすがもない 時あたかも三
十三回忌を迎えるに至って 隊員の遺族や各方面に慰霊碑建立の機運が高まり 本年六月市長を会長
とする奉賛会が結成された 幸にひろく内外から多額の寄付が寄せられ ここに永久平和の願いを込め
て 特別攻撃隊員並びに基地にまつわる殉国の士の英霊を合祀するものである
都城特攻振武隊はやて
都城基地出撃特別攻撃隊戦没者
都城歴史資料館
宮崎県都城市
. 飛行帽 河井吉夫中尉遺書
更新日:2007/07/25