艦内神社

戦艦比叡

 

 

艦歴

明治44年11月 4日 横須賀海軍工廠で起工

大正 1年11日21日 進水、大正天皇行幸により初の命名

大正 3年 8月 4日 竣工

大正 4年 9月  日 第一次大戦、東シナ海方面へ出動

昭和 4年10月15日 呉海軍工廠にて第一次改装に着手

昭和 8年 1月 1日 練習戦艦に類別変更

昭和 8年 5月  日 横須賀工廠で御召艦用施設の設置工事

昭和 8年  月  日 観艦式で御召艦

昭和11年  月  日 観艦式で御召艦

昭和15年  月  日 観艦式で御召艦

昭和10年  月  日 宮崎、鹿児島御行幸の際の御召艦

昭和10年 4月  日 満州皇帝訪日の際の御召艦

昭和12年 4月 1日 呉工廠で戦艦へ大改装

昭和17年11月12日 第三次ソロモン海戦

昭和17年11月13日 B17爆撃機・空母「エンタープライズ」の艦載機による攻撃で被害が拡大

.              随伴駆逐艦から魚雷を打ち込み自沈

.              戦死者 188柱

.              第二次世界大戦の日本海軍における戦艦喪失の第一号

 

 

 

艦内神社

日吉大社

.                    所在地  滋賀県大津市

.                    創建    文献では「古事記」に初見

.                    主祭神  大山咋神(東本宮)、大己貴神(西本宮)

.                    社格    式内社(名神大)・二十二社・官幣大社・別表神社

 

日吉大社 東本宮

 

日吉大社 西本宮

 

光心寺

神奈川県横須賀市

軍艦比叡鎮魂碑(右)、軍艦比叡戦没者供養塔

軍艦比叡鎮魂碑 碑文

比叡は大正三年八月、巡洋戦艦として、横須賀工廠で完成し、横須賀在籍の新鋭艦として活躍していた。

昭和五年、軍縮会議の結果、練習戦艦となり、その兵装機関の一部を撤去し、第一線を引いたが、その間

にも昭和八年、特別大演習、同十年の南九州行幸及び翌十一年の特別大演習の三回にわたり、大元帥の

御召艦としての栄に浴した。

昭和十二年、「アーマー」の取り付け、「バルジー」の新装備檣楼の改装、射撃艦の近代化等の再改装が呉

工廠で行われ、同十五年初めに最新鋭の高速戦艦として、第一線に復帰した。

同年秋、横浜沖で行われた、紀元二千六百年、特別観艦式には重ねて御召艦となった。昭和十五、六年に

は、高松宮宣仁親王殿下がその砲術長として勤務した。

昭和十六年十二月、大東亜戦争が勃発すると、比叡は新編制の第一航空艦隊の支援部隊として「ハワイ」

「印度洋」「ミッドウェー」等の海戦に参加し、大いに武威を輝かした。

昭和十七年後半、南東方面の戦局が急を告げるや、同方面に再び作戦し、第二次「ソロモン」海戦、南太平

洋海戦に参加した。同年十一月十二日深夜「がだるかなる」島、敵飛行場砲撃の任を帯びた、特別廷身攻撃

隊(戦艦霧島、軽巡一隻、駆逐艦十二隻)の旗艦として、目的地に突入したとき、予期しない敵重巡部隊と遭

遇し激しく交戦した。比叡の放った主砲の初弾で敵重巡部隊の旗艦「サンフランシスコ」の艦橋を吹き飛ばし

よく敵の大部を倒したが、比叡も亦百発以上の被弾を受け、その一弾が不運にも舵取機に命中し航行不能

に陥った。十三日早朝から敵機の反復攻撃を受け軍艦よく奮戦したが、日没におよび阿部司令官の命により

乗員を駆逐艦に移乗し、自ら「キングストンバルブ」を開いたが尚沈まず、最後に駆逐艦・雪風の雷撃で止ど

めの一撃を加えざるを得なかった。英霊百八十八柱は艦と運命を共にした。

 

軍艦比叡戦没者供養塔 碑文

軍艦・比叡は昭和十六年十二月(1941)、今次大東亜戦争開戦と同時に、第一航空艦隊支援部隊として、

ハワイ、印度洋、南太平洋及びミッドウェー海戦等に参加し、輝かしい武勲を樹した。昭和十七年後半、戦局

は極度の急を告げ、南太平洋海戦、特に第三次ソロモン海戦に参加「ガダルカナル島」の敵飛行場の撃破粉

砕の任を帯び、特別挺身攻撃隊の旗艦として、同泊地に突入したが期せずして、十一月十二日、敵重巡部隊

と遭遇、暗夜の混戦となり、比叡の主砲及び各砲は一斉に敵艦隊に対し火蓋を切り、精錬された砲員の的確

で痛烈な斉射は、敵重巡部隊を撃滅した。比叡も亦、敵の好目標となり、昭和十七年十一月十二日夜から十

三日に亘る敵の激しい砲雷爆撃により、露天甲板以上の戦闘員多数は肉を裂かれ骨を砕かれ、この鮮血に

埋れた伏屍が累々と激戦の惨状を呈した。この海戦で実に百八十八柱に及ぶ犠牲者は比叡と共に、同十三

日夕刻、南海の果てに、その姿を没した。

戦死された尊い犠牲者の魂は、戦後日本の復興と悠久の平和、世界に誇る経済の発展に繋がる原動力とな

っていることは、正に戦没者の遺産で、日本人の心の奥に、今も脈々と生き続けており、軍艦・比叡会は、この

栄光の軍艦・比叡と英霊の遺徳を後世に残すべく、曩に軍艦・比叡 鎮魂碑を建立したが、更に茲に有志相集

い永代の供養を捧げる、赤心を結集して、軍艦・比叡戦没者供養塔を建立して、英霊の安らぎを念願するもの

である。

 

海上自衛隊 鹿屋航空基地

鹿児島県鹿屋市

戦艦比叡の主錨

 

鎮魂の霊地

更新日:2009/12/27