Counter

懐かしのテレビラジオ録音コレクション

随想・我が家にビデオがやってきた

U規格ビデオカセット
(左)U規格のビデオカセット(3/4インチ幅)と、(右)VHSビデオカセット(1/2インチ幅)との大きさの比較です。

随想・我が家にビデオデッキがやってきた(1982年〜)

1970年代前半、テレビ番組の録音・収集に凝っていた幼き私は、ビデオテープレコーダが欲しくて仕方がなく、京都・寺町の電器店街でカタログを収集していました。(寺町は、東京の秋葉原や大阪の日本橋に相当する、京都の電器店街) 当時、小学生の私にとって(いや一般庶民にとって)もちろんビデオテープレコーダは高嶺の花でした。私が当時入手したソニーの「カセットカラー」のカタログ【下左(クリックして拡大)】によりますと、4分の3インチ幅の「U規格」と呼ばれるカセット(冒頭写真参照)を使うもので、本体は30万円台、60分用のテープが1万円、30分用が5,500円と書いてあります。余談ですが、当時、四条寺町のデパート「藤井大丸」の1階にあったマクドナルドハンバーガー(右写真)で買ったオレンジジュースをこぼしたシミが、カタログの下部に付いています^^;;。

しばらくして、同じくソニーの「ビデオテレビ」というカタログを入手しました【下右(クリックして拡大)】。これがベータ方式の一号機で、本体価格はU規格のものから若干下がった程度であったものの、60分用のテープが4,500円、30分用が3,000円で、テープの値段が大きく下がってきたことがわかります。テープが低価格になったベータ方式の登場が、家庭にビデオが普及するきっかけとなり、その発売年である1975年は「ホームビデオ元年」と呼ばれるようになりました。ちなみにビクターがVHS方式のビデオデッキの発売を開始したのは、その翌年の1976年でした。

マクドナルド藤井大丸店1974年
【余談】マクドナルド藤井大丸店に立つ姉と私。
1974年(昭和49年)11月撮影。開業間もない頃です。Wikipediaの「藤井大丸」の項によりますと、マクドナルドの関西一号店です。現在は四条通りの向かい側に移転しています。店員のユニフォームやまだMマークが無かった看板などに時代が感じられます。ハンバーガーは現在(2010年)よりも高い150円で、チロルチョコが3個10円だった当時、マクドナルドは(少なくとも子供の私にとっては)贅沢な食べ物という印象でした。
VO-1720
U-matic方式VTRのカタログ(1974年以前)
画像をクリックして拡大
SL-6300
β方式VTR1号機(SL-6300)のカタログ(1975年)
画像をクリックして拡大

ずっと下った1981年春、大学入学直前に私は8ミリカメラ(フィルム式の映画カメラ)を購入しました。私は動く映像を記録する手段を生まれて初めて手に入れたのです。これを使って、フジテレビの「スター千一夜」(1981年秋終了)や、NHK大河ドラマ「おんな太閤記」(1981年)の画面を撮影して悦に入っていました。なお学生時代には、このカメラを使って自主制作映画サークルを作って活動していたことがあります。大学の友達を撮って映写すると、「自分が動く姿を見るのは生まれて初めてだ」と喜ばれることがありました。まだそんな時代でした。

自宅通学生だった私ですが、アルバイトで1年間稼いだお金で、ついにビデオデッキを購入する決心をしました。時に、大学1年生の終わりに近い1982年3月。機種はシャープのVC-110EDでした(右写真)。ダイエー藤森店(京都市伏見区)で買い、自宅まで手で持って帰りました(重かった....)。価格は10万円台前半だったと記憶しています。ダイエーでは一緒にテープを2本買いましたが、その際に店員から「メーカー製がいいですか、ダイエー製がいいですか」と問われ、「ダイエー製でいいです」と答えたことを覚えています(後から考えたら、この答え方はダイエーに失礼だったかな)。そのテープが、私の録画コレクションの記念すべき「第1巻」となりました。デッキを箱のまま持って帰る途中で、交差点で信号待ちをしていた時、傍らに立っていた2人の女子中学生の一人が「ほら見て、ビデオだよ。」と、もう一人に向かってヒソヒソ話をしているのが聞こえました。私は妙な優越感を感じたものです。ソニーが上述のベータ方式の家庭用ビデオデッキを発売してから7年、ビクターがVHS方式の一号機を発売してから6年経った頃で、そろそろ一般家庭にもビデオが入りつつある時代でしたが、まだ珍しがられていたことがわかります。なお、そのデッキは、当時主流だったポップアップイジェクト式(デッキの上面に平置きしたテープを垂直に挿入・排出する)でなく、現在のようなフロントローディング式(デッキの正面パネルからテープを横方向に抜き差しする方式)で、テレビ本体をデッキの上に置ける特長がありますが、ポップアップ式と比較して機構が複雑なので、製造技術がまだ成熟していなかった当時はよく故障したことを覚えています。

このデッキを自宅居間に据え付け、アンテナを配線し、家族が見守る中で録画再生テストをしました。スキー教室か何かの番組を録画して、それを再生したまま早送りや巻き戻しをし、スキーヤーが逆回しで猛スピードで山を登っていったりするシーンが映し出されますと、家族中がキャーキャー言いながら面白がっていたものです。そんなことは珍しくもない現代からは隔世の感があります。私がビデオデッキを入手したことを大学のサークルで話しますと、後輩が「毎晩ウルトラセブンをやっているので、録画してくれませんか。」などと頼まれ、その他にも合計数人の録画依頼に応じていました。このデッキは1987年に私が独り立ちして家を離れてからもしばらく使われていたようですが、現在は引退し、実家で眠っています。

このデッキで録った「第1巻」の録画内容は、以下の通りです。
(番組名、局名、年月日、開始終了時間)

テレビファソラシド,NHK G,1982/3/13,21:10,21:35
新日本紀行,NHK G,1982/3/14,7:30,8:00
お笑いオンステージ,NHK G,1982/3/14,19:20,20:00
3時にあいましょう,MBS,1982/3/17,15:00,
阿修羅の如く,NHK G,1982/3/19,23:00,
ニュース「北海道浦河地震」,NHK G,1982/3/21,12:15,
ニュース「北海道浦河地震」,NHK G,1982/3/21,13:00,
漫才,NHK G,1982/3/20,14:10,14:55
婦人百科,NHK G,1982/3/25,11:00,
あうん,NHK G,1982/4/10,23:00,23:45
続あうん,NHK G,1982/4/20,23:10,
放送31周年記念番組,民放全局,1982/4/21,16:00,16:55
11PM,YTV,1982/4/29,23:25,0:20
11PM,YTV,1982/6/28,23:20,
ローハイド,KTV,1982/6/21,9:30,
ニュース「東北新幹線開業」,NHK G,1982/6/23,7:00,7:15
特別番組「東北新幹線開業」,NHK G,1982/6/23,9:30,10:00
銀河テレビ小説「聖者が街にやってきた」,NHK G,1982/6/24,21:55,
NHK京都放送局開局50周年記念番組,NHK京都,1982/6/27,14:10,15:00
地球に生きる 第12回,NHK E,1982/7/10,20:00,20:45
笑アップ歌謡大作戦,ABC,1982/9/21,20:00,
放送開始(日の丸),NHK G,1982/11/13,6:00,

シャープ VC-110ED
私の初代ビデオデッキ(1982年)

1987年、大学を卒業した私は、就職のため単身で東京へ上京しました。1、2ヶ月ほどビデオの無い生活をしていましたが、記録好きの私のガマンが長く続くはずはなく、西友武蔵小金井店で、私にとって2代目のデッキ「シャープ VC-Q1D」を購入しました(右写真)。ミニバイクの足元にデッキを乗せて東小金井の独身寮に持って帰ったことを覚えています。このデッキは1998年に役目を終え引退し、実家で眠っています。

これらのビデオデッキで録画保存している番組のリストを、別ページに掲載しています。

シャープ VC-Q1B
私の第2代ビデオデッキ(1987年)

随想・我が家にビデオカメラがやってきた(1983年〜)

さて、8ミリ映画カメラ(1981年)、VHSビデオデッキ(1982年)と、動く映像の記録手段を順次手に入れていった私ですが、やはり「ビデオカメラ」が欲しくなりました。1983年、大阪日本橋で店頭展示品のソニーHVC-1100Aというビデオカメラが投げ売りされていたのを(3万円台だったと記憶しています)、すかさず手に入れました(右写真)。これは1979年製で、肩掛け式のポータブルビデオテープレコーダに接続して使うカメラ(マイク内蔵)で、今日のようなカメラ一体型ビデオではなく、録画再生装置は付いていません。このカメラに、映像音声信号変換アダプター(カメラの出力信号を、デッキの映像/音声端子に入力するための変換装置)と、長さ5m程度のカメラ延長ケーブルとを合わせて買って、勇んで帰宅しました。これを自宅のデッキにつないで撮影しようというわけです。撮影テストをしてみましたが、音声が小さく歪んでうまくいきません。ソニーに問い合わせたら、このカメラとアダプターとは整合しない、つまりカメラのほうが古い(1979年製)ためアダプターの信号の仕様と異なるため、音声がそうなるのは当然とのことでした。買う際に間違えたのではなく、このカメラの仕様に合ったアダプターは1983年当時にはもう店頭に無かったのでしょう。まぁ画像のほうは問題ないので仕方ないか、と諦めました。無声映画である8ミリ映画をやっていた私としては、音声が同時に録れるかどうかは大した問題ではなかったのです。音声も同時に収録する必要がある場合には、別系統のマイクロホンとアンプ(カセットテレコにテープを入れず録音状態にしてマイク入力とイヤホン出力)を使い、その出力をビデオデッキの音声入力につないで使っていました。従ってカメラとは全然別の場所の音声が入っていたりしたものです。この方式では、AC電源供給のデッキを録画機として使うわけですから、撮影範囲は自宅内に限られます。雪遊びをしている近所の子供を玄関先の道路に出て撮影したのが、最も遠出した映像です(笑)。ですから、主に家族の日常や、知り合いが自宅に遊びに来た際などに撮ったものです。1985年に急逝した母や、1986年に亡くなった祖母の元気な姿も、このカメラで撮ってビデオに残っています。なお、このカメラは撮像部分にトリニコンと呼ばれる撮像管(つまり真空管)が使われていて、現在のようなCCDではなく、感度が非常に低いものでした。室内のシーンはライトを当てなければほとんど真っ暗でした。

ソニー HVC-1100A
私の初代ビデオカメラ(右・1979年製)と
映像音声信号変換アダプター(中央)。
左に比較のため置いたVHSビデオカセットから、
このカメラのデカさがおわかりいただけるでしょうか。

当時、私の従兄が使っていたソニーのベータビデオデッキ(右写真)が、このカメラを直結できる端子を内蔵しており、後に私はそのデッキを貰い受けて、ようやく内蔵マイクで正常に音声を録ることができるようになりました。つまりこのデッキを単なる映像音声信号変換アダプターとして使い、その信号出力を私が持っているVHSビデオデッキの入力につないで(つまりデッキ2台体制で)撮影したわけです。このベータデッキは、上で述べたポップアップイジェクト式で、右の写真はテープボックスをポップアップさせた状態で撮影しています。 ソニー SL-J7
信号変換アダプターとして使っていた
ベータビデオデッキ「ソニーSL-J7」(1980年製)
正面パネル右下にカメラ端子がある。

ずっと下って1993年春。結婚して2年弱、妻は子供を身ごもり、そろそろ家庭記録用のビデオカメラを買わなければならない状況になりました。それまでにもビデオ撮影が必要な場面はありましたが(結婚式とか)、その際には姉夫婦のカメラを借りるなどして乗り切っていました。買ったのは、ソニーCCD TR-1という8ミリビデオカメラでした。最初の活躍は、夫婦+義母によるヨーロッパ旅行でした。また1995年の阪神淡路大震災の際に私は震源から8kmの明石市に住んでいまして、このカメラは街の被害状況の撮影に活躍しました。 ソニー CCD TR-1
ソニー CCD TR-1

CCD TR-1は最近まで現役でしたが、マイクロホン系統の接触不良が時折生じ、音声が録音できない状態になることが起き始めたため、2001年の年末にシャープのデジタルビューカムVL-NZ10に買い換え、2002年の正月から使い始めたところです。液晶ビューファインダーの便利さを実感しています。 シャープ VL-NZ10
シャープ デジタルビューカム VL-NZ10

ところで、玩具メーカーのバンダイが「撮っちゃOH!」というテレビカメラを作っています(いました?)。これは、ホンモノのカラーCCDとマイクロホンを搭載し、画像と音声を微弱電波で飛ばしてテレビに映し出すもので、9V乾電池(006P)で動作します。希望小売価格は9,800円くらいでしたが、2年ほど前にワゴンセールで2,980円で投げ売りされていたものを入手しました。微弱電波を使っているため、受信側のテレビのアンテナ入力に専用のT型ワイヤーアンテナを接続しなければ映らないという面倒さがあり、玩具としてはヒットしなかったようです。カラーの画像と音声を無線でテレビチューナに送り込むという、一昔前ならば何十万円もしたであろう機能が、高々数千円のオモチャになってしまったとは、何とも感無量なものがあります。 撮っちゃOH!
バンダイ製玩具テレビカメラ「撮っちゃOH!」。
ロッドアンテナで撮像画像をテレビチューナに飛ばして映し出します。


目次に戻る