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京都・四条河原町いまむかし
〜父子二代の定点撮影〜

1957年・1983年・2006年

本ページでは、滝沢精二・滝沢修の父子が、高島屋京都店(四条河原町)屋上の観覧車から約4半世紀ずつの歳月を隔てて撮影した、四条河原町界隈の街並みの対比をご紹介します。
(2006年には観覧車が撤去されていたため、屋上の庇の上から撮りました。そのため2006年だけはアングルが少し低くなっています。)

滝沢修
メールは
1998年4月6日開設
2006年9月27日最終更新

河原町通りを北方向に望む。
【左】1957年。春陽堂(左下)や立誠小学校(右中央)ぐらいしか目立った建物が見られない。
【中】1983年。春陽堂はビルに隠れて見えない。立誠小学校だけがかろうじて同じ姿をとどめている。
【右】2006年。富士銀行はみずほ銀行になった。1957年と1983年にはあったビフテキのスエヒロは、カラオケ店に変わってしまった。撮影アングルが低いため、立誠小学校の校舎(廃校後も現存)は見えなくなった。
四条通り河原町〜京阪。
【左】1957年。市電が走っている。
【中】1983年。阪急百貨店(右端)ができ、木造家屋はほとんど見られなくなった。
【右】2006年。京阪電車は地下化された。四条河原町交差点にあったカネボウの店舗ビルは取り壊された。不二家の2階建てと四条京阪の菊水ビルだけが半世紀変わらない。
東山方向。
【左】1957年。見渡す限りが“甍の波”。
【中】1983年。ビルが増えてきた。
【右】2006年。ビルで東山の視界が遮られてしまった。

四条通り烏丸方向。
【左】1957年。左中央のビルは藤井大丸、中央上右寄りのビルは大丸京都店。ほかには高層建築は見当たらない。市電が走り、自動車はまばらで、四条通りを歩行者がのんびり渡っている。
【中】1983年。1972年に高島屋が西に増築され、烏丸方向は視界がさえぎられてしまった。大丸京都店も他のビルに隠れて判然としない。
【右】2006年。「ブラザー」の広告塔は模様替えして残っている。
2006年の写真は、関西テレビの番組「痛快!エブリディ」の依頼により撮影したものです。撮影の機会を与えていただいた関西テレビ放送、および屋上の庇での撮影を特別に許可いただいた高島屋京都店に感謝いたします。(2006年9月20日放送)