太平洋戦争終結の日の早朝に
米軍機が京都に投下したビラ


太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)4月に京都帝国大学数学科に入学した亡父は、終戦の日の8月15日早朝に、京都市内で米軍機が投下したビラを拾いました。我が家の家宝?として伝わってきたこのビラをご紹介します。玉音放送の半日前に撒かれたこのビラには、日本が無条件降服を受諾したことについては言及されていません。

当資料が、我が国の戦争史を調査研究されている方などのお役にたちましたら幸いです。

(旧かなづかいは、新かなづかいに直してあります)


ビラの表面

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日本の皆様

私共は本日皆様に爆弾を投下するために来たのではありません。お国の政府が申込んだ降伏条件をアメリカ、イギリス、支那並にソビエット連邦を代表してアメリカ政府が送りました回答を皆様にお知らせするためにこのビラを投下します。戦争を直ちにやめるか否かはかかってお国の政府にあります。皆様は次の二通の公式通告をお読みになれば、どうすれば戦争をやめる事が出来るがかお判りになります。

八月八日 日本政府より連合国国政府への通告 英文よりの翻訳

世界平和の大義増進を常に憂慮し給い、また世界平和の大義実現を哀心より念ぜられ戦争の継続により受くる災難より人類を救済さるべく戦争の早期終結を哀心より願望せらるる陛下の御(言定)を畏みて日本政府は数週間前常時中立関係にありしソ連政府に対し諸敵国との平和克服の斡旋方を依頼せり。
不幸にして、平和のための右努力は失敗したるを以て日本政府は平和を恢復し莫大なる戦争の災害を出来るだけ早く終結せしめよとの聖上の御希望に副ふべく以下の決定をなせり。
日本政府は一九四五年七月二十六日ポツダムにて米国、英国、支那及び後に記名加入したソ連邦の諸政府首脳者によって共同宣言されたる諸条件を受諾の用意あり。但し同宣言は君主統治者としての陛下の大権を損ずるが如き如何なる要求も包含せざるものとの了解の下に申し込むものなり。日本政府は右の了解が妥当なる事を哀心より希望するものであり、且つその妥当なる事を認める返事が確実迅速になされん事を切望するものである。


ビラの裏面

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アメリカ合衆国、大英帝国、ソビエット連邦及び中華民国を代表して、米国国務長官より日本政府へ伝達したメッセーヂの全文。(八月十一日)

「ポツダム宣言が君主としての日本皇帝の統治権を侵害する如何なる要求をも含有しない」と言う了解を挿入して該ポツダム宣言の条件を受理するという日本政府の通告に答え、我々は次の如くその立場を闡明するものである。
降服と同時に、日本皇帝及び日本政府の統治権は降服条件実施に適当と思惟する措置を採る所の連合軍最高司令官の下におかれるのである。我々は日本皇帝にポツダム宣言を実施するに必要な降服条件について日本政府及び日本の大本営による署名に権威を与え、且つこれを保証する事を要求し、日本皇帝は日本の陸海空軍当局を始めその支配下のあらゆる地域に所在する総ての軍隊にむかい軍事行動を停止すべく命令を発し、その外最高司令官が降服条件を実施するに要するすべての他の命令を布告する様に要請されるのである。
降服と同時に日本政府は指定された如く捕虜及び非戦闘員収容者を速かに連合国運送船に乗船させ得る安全なる場所に移送する事を要する。
ポツダム宣言の条項に則り究極に於ける日本政府の政体が自由に表明された日本国民の意思に副って定められるべきである。
連合国の軍隊はポツダム宣言に於て規定された目的が達成される迄、日本に駐屯するのである。


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2002年11月17日開設
2006年6月17日最終更新
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