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 江戸冊子紹介・第1回「2050年は江戸時代」
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                     著:石川英輔 講談社文庫
 まず、その題名に眼を惹かれました。「2050年は江戸時代」・・・
 SFにしては不思議である。未来のテクノロジーへの憧憬や畏怖など、
 とにかく「現在の世の中にはないもの」をカタチにするのがSFだと
 すれば、「未来が江戸時代になってしまっている」という題名から既に
 一読者としては、この物語の世界に引き込まれてしまう。そして、その
 副題でもある「衝撃のシミュレーション」は、ある意味、現代への警鐘
 としての意味も持っている。

 今回は第1回から、いきなり毛色を変えて、江戸に関する「SF」を
 取り上げてしまいます。

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 今回紹介する「2050年は江戸時代」は、少し毛色の変わった、文字
 通りの「えすえふ」だったりするのです。何しろ未来の世界が「江戸
 時代」という前ふりで、しかも副題が「衝撃のシミュレーション」です。
 「江戸」を学ぶ者としては無視できません。早速手にとって読んでみま
 した。本当に未来が江戸時代になっています。最初のシーンに登場する
 のが、山の中で車のエンジンを発掘している江戸時代風の若者二人組
 なんですから。

 物語は淡々と進みます。西暦2050年の未来。日本は江戸時代と同様の文化
 レヴェルに変貌しています。桃園(ももぞの)村という山間の村落を舞台に
 し、そこに住む人々は農業と「涸谷(かれだに)」という、かつての文明
 の膨大な自動車が投棄されてきた谷から自動車のエンジンやタイヤを発掘
 し、物々交換して生計を立てています。電気は少量しかなく遠方との音信
 も途絶されている時代。人々の文化や風俗、生活習慣は江戸時代のレヴェル
 になっている。だけど、誰も不便と感じることもなく、不満を持っている
 訳でもない、自給自足で成り立つ村落単位での生活がすっかり定着した、
 そんな2050年という未来。

 この物語の中では、何故、現代文明の社会が江戸時代的な社会に変貌して
 しまったか、その理由がなかなか語られません。すべては「大刷新」と
 称されたターニングポイントを契機に日本の社会構造が江戸時代化して
 しまったという事実だけが、まず物語の冒頭で提示されるのです。その
 変貌のプロセスを村の長老達がだんだんと語り出していく回想シーンを
 織り交ぜつつ、2050年の江戸時代を生きている若者達の生活を生き生きと、
 そしてきわめて細密に描いています。

 この作品の著者、石川 栄輔先生は江戸時代の風俗や文化をきっちりと
 研究されている方で、小説以外にも『大江戸リサイクル事情』など、
 「大江戸〜事情」シリーズ(講談社文庫)で、江戸時代の考証を行われて
 います。そのバックボーンあっての、この奇妙な「えすえふ」なのです。
 あえて江戸時代を振り向かないで、未来に「江戸」を想定するという
 ことで、新しい視点で「江戸時代」を見直すことができ、現代社会も俯瞰
 することができるのです。ただし、あくまで「小説」なので、実際の
 考証と現実のギャップのようなものは存在してしまいます。政治中枢
 全体や国際社会全体が「江戸化」した訳でもなく、その辺の大筋は本編
 では部分的、しかも伝聞の形でしか描かれていません。実際には、
 社会全体が「江戸化」してしまうことは恐らく不可能でしょう。この
 物語は、あくまで桃園村の中だけの話として完結しています。それが
 この作品を読むポイントであり、筆者の意図のようにも思えるのです。

 学校教育で習う"江戸時代"は、封建的で階級社会であった閉鎖的な社会で、
 開国と明治維新によって"刷新"された社会が文明開化を起こすことで、
 はじめて欧米諸国と対等になれたという解釈がされています。確かに、
 そういう部分もあります。江戸幕府の没落と退廃を刷新するには明治維新
 は必要だったでしょう。また、開国もその国際情勢上必要であり、タイミング
 よく行わないと、まかり間違えば大国の属国になること必定のぎりぎりの
 時代背景があったことは理解できます。しかし、だからといって近世以前、
 江戸時代以前の文化風俗を切り捨ててまで文明礼賛を行ってもいいものか
 どうか? この「2050年は江戸時代」を読むと、そう思えるのです。

 確かに文明が発展し、その可能性を拡張させることは悪いことではありません。
 しかし、その結果が環境汚染であり、人心の荒廃であったり、内面的文化の
 退廃につながるのなら意味はありません。だからこそ江戸の文化を受け継ぎ、
 小さな村の中で精一杯生きて自給自足している若者達の生き生きとした描写
 には、少しだけ羨ましさを感じたり、郷愁を感じたりしてしまうのです。

 ただ歴史を振り返るだけでなく、ゥ分のいる時代の足許を確かめた上で、
 俯瞰した立場で文化や思想を踏まえつつ振り返ってみる。そのことを、
 この『2050年は江戸時代』から学んだ気がします。

 石川 栄輔先生の他の作品
 小説「大江戸神仙伝」 「大江戸仙境録」
   「大江戸遊仙記」 「大江戸仙界紀」
   「大江戸仙女録」 「SF三国志」 「大江戸泉光院旅日記」
 考証「大江戸えねるぎー事情」 「大江戸テクノロジー事情」
   「大江戸生活事情」 「大江戸リサイクル事情」
   「雑学『大江戸庶民事情』」 「大江戸ボランティア事情(共著)」

   以上すべて講談社文

☆--------------------------第2回「江戸切絵図散歩」へ。


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