1 | 料理という言葉の起源 | 2 | 大名と豆腐 |
3 | 天明の飢饉と藁餅 | 4 | 御触書と農民の食生活 |
5 | 武士の酒宴に関する禁令 | 6 | 虫歯老人と『豆腐百珍』 |
7 | ある大名の食事記録(一) | 8 | ある大名の食事記録(二) |
9 | ある大名の食事記録(三) | ||
10 | 厚木での華山の食事 | 11 | 江ノ島での饗膳 |
12 | 料理本の地方伝藩 | 13 | 江戸っ子の初物志向 |
14 | 江戸の大食い競争 | 15 | 茶碗蒸し今昔 |
16 | 豪農の饗応(一) | 17 | 豪農の饗向(二) |
18 | 豪農の饗応(三) | 19 | 豪農の饗応(四) |
20 | 下級武士の食生活(一) | 21 | 下級武士の食生活(二) |
22 | 当時の器具・食器類(一) | 23 | 当時の器具・食器類(二) |
24 | 鯛料理の賞味者は? |
料理という言葉の起源料理という言葉を漢文の辞書で引いて見ると、御馳走を作るという意味はなく、困った問題を手際よく片付けることとなっている。ところが、日本では料理と言えばクッキングのことに決まっている。 そこで、日本では、いつ頃から料理という言葉が出て来るのか、そしていつ頃から御馳走を作るという意味になったのか調べてみた。すると、それは古い話で料理という言葉は平安朝の始めにできた『延喜式』の内膳司にまで遡ることができる。もうその頃から、御馳走を作る意味になりかけている。例えば、内膳司には爼が16枚必要だが、その内訳は二枚が和物の料理用、二枚が肴の料理用、二枚が海藻の料理用、二枚は野菜料理用、四枚は生鮮用、二枚は瓜・菓物用・そして二枚は予備で、計16枚となっている。『異制庭訓往来』(1370頃)では料理はもうハッキリ御馳走の意味になり切っている。(川) |
25 | 日本原産の野菜は? | 26 | がんもどきの始まり |
27 | 卵の代わり? | 28 | 釣り豆腐 |
29 | 青菜 | 30 | 八盃どうふ |
31 | かまぼこどうふ様々 | 32 | 豆類を使ったご飯 |
33 | つくね芋 | 34 | 大根の大衆性 |
35 | 揚麩と酒麩 | 36 | しそ |
37 | ふりしじみ | 38 | 赤飯・黒米 |
39 | そばのルーツ | 40 | 大唐米 |
41 | かてめし | 42 | ねぎ |
43 | なす | 44 | こけらずし |
45 | 魚介類の利用 | 46 | にんじんの葉 |
日本原産の野菜は?八百屋の店先に並んでいる野菜の殆ど全ては外来のものである。あのいかにも日本を代表しているような大根までも、残念ながら元は外国産なのだ。たとえば、大根は中近東から中国へ渡り、恐らく朝鮮経由で昔々日本に来たものだと言う。南瓜は中米メキシコか、南米北部の原産で、コロンブスのアメリカ発見後ヨーロッパに渡り、日本へは江戸時代の始め頃、九州へ上陸したものらしい。 茄子はインドかビルマ、あの辺の原産で日本へは奈良朝にはすでに来ていた。 牛蒡はヨーロッパからシベリアや中国の東北地方にかけて広く野生していたものだと言う。日本へはいつ来たか明確ではないが、平安朝前期にできた『和名類聚抄』には書いてある。という具合で、茄子、にんじん、ジャガイモ、里芋、南瓜.....ほとんどあちらモノだ。 日本原産としては、蕗、セリ、うど、わさび、じゅんさい、わらび、ぜんまいの七種のみになってしまう。(川) |
そばのルーツソバはタデ科の一年生草木で、冷涼な山地に適し、やせ地でもよく生育し、短い期間で成熟する。したがって、救荒作物としてはうってつけだ。そのソバの原産地は、考古学者の加藤晋平氏(筑波大)によれば、東北アジアのアムール流域や沿海州で、紀元前二百年頃には、栽培されていたことが推定される、という。日本では、北海道渡島のハマナス野の縄文前期の住居跡や、青森県石亀遺跡(縄文暁期)からソバの種子が出土している。また、東京世田谷玉川養魚池の泥炭層からも、古墳時代のソバの種子が出土したという。 鎌倉時代以前は、ソバは粒食されていたが、中国から粉食法が伝えられ、そばがきが出現する。江戸時代初期、ソバのつなぎに小麦粉を混ぜる技法が朝鮮から伝えられ、それが蕎麦切りと称されて広がったと言われる。『本朝食鑑』元禄十年(1697)には、「・・・・・蕎麦切り又は、そばがきとしてたべる」と記されている。(島) |
47 | 塩梅 | 48 | 四種器 |
49 | 梅醤(むめみそ) | 50 | 醤油の始まり |
51 | 醤油の醸造 | 52 | だし(出汁) |
53 | 味噌 | 54 | 鰹節 |
55 | 「酒しほ」=日本酒か? | 56 | 塩 |
57 | 美淋(みりん) | 58 | 醤(ひしお) |
59 | かくし味 | 60 | 昆布 |
61 | 塩壷 | 62 | 溜と葛溜(たまりとくずたまり) |
63 | 当時の塩の水分と純度 | 64 | 古酒・新酒 |
65 | 煎酒(いりざけ) | 66 | 酒塩 |
67 | 砂糖 | 68 | 浮蟻という酒(うきあり) |
69 | 酢 |
当時の塩の水分と純度『名飯部類』の「こけらずし」に記されている塩の分量を、容量と重量の両面で換算してみた。現在のすし飯に入っている塩分は約0.8%。ここに記されている重量でみると、塩分が現在の約2倍の約1.5%にもなる。容量でみると、その塩分が3.5%にも及ぶ。これは現代の塩で換算した話である。昔は塩辛いものを食したとしても、その差は大きすぎる。 当時の塩は水分を吸収しやすく、その水(塩化マグネシウム)で豆腐を作っていたことから想像すると、現在の塩と比べて水分が多く、しかも、粒子が大変荒かったと思われる。しかも純度も低いから、「こけらずし」の塩の分量の多いのに驚くには当たらない。一年後に発行された『素人包丁』の「こけらずし」は、塩の分量が減っていて、重量で換算して飯の1.2%位になる。『名飯部類』の「こけらずし」では塩の分量が多いと感じ、減らしたのではないだろうか....。(島) |
70 | いり菜 | 71 | 当時の調理用語-切る |
72 | 当時の調理用語-はかる | 73 | 当時の調理用語-洗う、熱する |
74 | 当時の調理用語-飯・粥 | 75 | 「しゅんかん」と「せんばもの」 |
76 | なます | 77 | 湯とり飯 |
78 | 「めし」の種類 | 79 | 染色法あれこれ |
80 | ぞうすいと粥 | 81 | さしみ |
82 | 江戸時代のウ・ポッシェ |
さしみ江戸時代の料理書にはさしみが多く見られる。字もここでつかわれている指身や指味、刺躬、差味、がある。昔は魚の生食は酢で味付けした膾(なます)だった。膾の細切りから厚く切り、調味もしないで添えたものを刺身と呼ぶようになったと言われる。 材料も魚に及ばず、キジ、鴨、筍、松露(『料理物語』)があり、ハスイモ、麩、豆腐、こんにゃくなどもある。(島) |
江戸時代のウ・ボッシェこの料理法は、西洋料理の中にもある。 という料理で、一般に、「卵の酢煮」と訳されている。それは、たっぷりの沸った湯に、塩、酢を加え、卵を割り落として半熟に作り上げた料理である。朝食用としてこのまま、トーストパンに乗せて食べる。若い世代には、こちらの方がなじみ深いかもしれない。 江戸時代の磯菜卵は、浅草のりの香りと淡い酸味のいり酒で、日本風ウ・ポッシェと言えよう。この料理は西洋の影響を受けたのであろうか。(島) |