虚文
なんとなくね…なんとなく。 トップに戻る

誰かを支える者へ

誰かを支える者へ。

その誰かと共倒れにならないように、
己の損得を勘定して諦めないように。

支え続けるが肝要。

極論

彼女が最も安ぐのならば、
別に僕でなくてもいい。
彼女が最も安らぐのであれば。

とてもとても
その人が笑うのを見るのはとてもとても嬉しいのです。

その人が泣くのを見るのはとてもとても悲しいのです。

その人が怒るのを見るのはとてもとても怖いのです。



その人が壊れていくのはもう見たくないです。

とてもとても、とてもとても辛いことだからです。

薄氷


薄氷を割ってはいけません。


薄氷の上を歩きなさい。


薄氷の上で遊びなさい。


薄氷の上で笑いなさい。


薄氷の上で眠りなさい。


薄氷を忘れなさい。


薄氷を忘れ、歩き、遊び、笑い、眠ったときに、薄氷は割れます。


それでも私は薄氷を踏む。

--追記--

私にはまだ薄氷が残されているだろうか。

異空間
和室。つまり畳の部屋に入って、正座してみよう。
落ち着かないか?私は落ち着くのだが。

窓を締め切り、戸を閉じた和室が好きだ。
そこで、本を読むなり、昼寝をするなり。なんでもいいから、
一つのことをしつづけるのだ。

そこは何か違う空間、昼とも夜ともわからぬ光が
ふすまから染み出し、外の音も家の音も何も聞こえない。
不思議なことに気温も他の部屋より低かったりする。

心を静めよ

深く息をつけ

静寂を聞け

暗闇を見よ

そうすれば、

自分が見てこないか、

周りが見えてこないか

我が家の特異点、私の安らぎの部屋。

さて、久しぶりに昼寝でもするか。

トモダチ
この文章だけは、最後まで飛ばさず読んで欲しい。

とりあえず、この写真を見てほしい。
場所は私の家の物置の前、見ての通り冬に撮ったものだ。
(ある一部の人々はすでに閲覧済みかもしれないが)

この犬は名前をポッチという。メス、雑種で年齢不詳。
正式な登録は「ポッチー」となっているかもしれないが、
とりあえず我が家族はポッチと呼んでいる。

この犬、なかなかの気性の持ち主で、侵入者、特に
郵便配達員には物凄い迫力を見せてくれる。

このポッチがやってきたのは私の家族が現在の場所に落ち着いた頃、
隣に住んでいた家族が東京に引っ越すときに
我が祖父に良く吠えていて顔なじみだったこの犬を引き取ったのだ。
しかし、飼い始めた頃、何かをしようとしても吠えたり噛み付いたり
して手を焼いたが、一緒に生活するうちに段々我が家族に懐いてくれた。

私はあまりこの犬と親密な関係とは思っていない。
もっとも親しいのは我が父で、休日とかに遊んでやると
尻尾を大きく振って喜ぶ。
私に対しては自分の範囲内(鎖の長さを半径とする円の内側)
に侵入するのを許すぐらいで、自分と私を対等に見ているらしい。
近づいて軽く体臭を嗅ぐ以外誰もいないかのごとく振舞う。

私は夏休みの時外に出て、
こいつの隣の定位置
(写真右端の建物の前。雪に埋もれているが階段がある)
に座って、夏の日差しを浴びながらただじっと過ごす。
何もしない。
ポッチも何もしない、
ただ伏せてハッハッと暑そうに呼吸しているだけ。

何も無い殺風景な空き地で、   
   何も無いただ刻々と時間が過ぎる
聞こえるのは虫の声と、遠くで聞こえる車の走行音

それがいい。
何物にも替え難い。

決して人に見せて自慢できるほどいい犬ではない。
芸はできないし、他人に吠えるし、毛の手入れはできてないし

だが、私にとってはいい犬だ。

だから、

…友よ、安らかに眠れ。
(二年ほど前に永眠)

わからぬ…
何か、私には欠けている。
…人間性?
記憶?
優しさ?…
何だろう、歪んだ心がある。
自分を見失わせる何かが肝心なときに作動する。
教えてくれ、私に何があるのか、もしくは何が無いのか。
またはそんなことを考えること自体、私に何かが
欠けているのか…

私も愚か者よの…

折鶴の画
煩雑とした我が部屋を掃除していたところ…
一つの金属片が出てきた。
記憶を辿ると、中学3年の美術の授業で作った
キーホルダーのようだ。

その金属片には
一つの折鶴の画と

「道を見失ったとき、
立ち止まって目を閉じて一息ついてみろ、
目を開けたとき、
そこに道があるはずだ。」

という文が彫ってあった。

いろいろな鶴を折ったことはあるけれど、
…この折鶴だけは誰にも譲れない…

エントロピーの微視的解釈
「全ては確率の一番高い状態へ向かう」
というのが世界の摂理らしい。
湯と水を混ぜればぬるま湯になる。そういうことだ。

しかし、「ありえないこと」にも確かに確率は存在するのだ。
ただ、ゼロに近似されてしまうだけだ。

だから、

冷蔵庫にある鶏卵から竜が生まれるかもしれないということも、
私が空間に溶けてなくなってしまうかもしれないということも、
どんな願いでも叶うかもしれないということも、

誰にも絶対の否定を為し得ることは出来ないと思う。

だって、そうじゃなきゃ、つまらないじゃないか。

空を見つめる
小学校6年生ぐらいの時だったか…
親に連れられてあるところに行く途中、ビル街の交差点に立った。

高いビルがある。

でも、その上には空がある。
どんなに高いビルでも空は必ずその上にあった。

今、私にはあの時に見た空が見えるだろうか。

我が妄想尽きること無し

私を知る人の圧倒的大多数が気付いていないだろうが、
私は稀に、何か素振りのような真似をしている。

そんな剣道のようなしっかりした型もないし、
私がシャドウで行っているのは剣だけではない。

様々なものから発想して自分勝手に妄想した、
「夢の」装備である。

翼があったり、
瞬間移動できたり、
精神感応遠隔制御で多数の砲門を操ったり、
精神だけ攻撃できたり、
何か幼稚であるが、一人でも観客が居るなら
絶対実施しないので安心されたし。

なんとも危険な傾向ではあるが、
これが私の「幼さ」を保ってる。

一度は何か超人的な能力を夢見たことがあろう。
その悲しさを知っていても、尚それを求めたことがあろう。

こんな妄想はもう要らないのかも知れない、
でも、この私の想像力は私の創造力を生み出している。

妄想の中で私はこう叫んでいる。
「創造力は無限大!」