じゃみっ子ジャミラの故郷は地球 Jamikko-Jamira talking about "Sweet Home Earth" #4 第4回「怒濤の映画レビュウ の巻」 たこいきおし
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最近「霧笛」にはあんまり原稿を書いていなかったけど、内容面でのここ数号の充実振りは目を見張るというか、思わず圧倒されて感想のメールすらろくに書いてなかったのであった(笑)。なんかまわりのレベルが高すぎて久しぶりに登場すると気後れするものがある(笑)。
しかしまあ、気後ればかりしていても始まらない(笑)。そんな訳で久しぶりの『じゃみっ子ジャミラ』である。今回は五十嵐さんからメールでリクエストがあったので、去年ダビングした映画の「怒濤レビュウ(C五十嵐)」というのをやってみる。『お楽しみはこれからだッ!!』で吉田秋生をネタに……というリクエストもあるんだけど、こっちはもう少し煮詰めないと原稿にならないので。
ちょっとだけ解説しておくと、これからレビュウする映画というのは、僕が去年のGW前後にとあるレンタルビデオから集中的に借り出して一気にダビングしたもので、作品のセレクトには僕の映画に対する好みが反映されているとはいえ、それ以外にはほとんど意図も脈絡もない(笑)。レビュウする順番も単にダビングした順番のままである(笑)。
僕の洋画オールタイムベストワン。映画というメディアへのこだわりと愛情、スペイン内戦の傷痕、まだ世界と自分との距離をはかりかねている一人の少女。
今にして思えばミニシアター文化の黎明期を担った偉大な映画といえるかもしれない。
同じビクトル・エリセの第2作。この監督は10年に1回しか作品を発表しないことで有名(因みに第3作『マルメロの陽光』は1992年に公開)。『エル・スール』は『ミツバチのささやき』が静謐な印象の作品であるとのは対照的に動的な、ドラマ性の強い作品。
『ミツバチのささやき』の主演、アナ・トレントの主演第2作。この映画はアナ・トレントのかわいらしさを満喫するためにある。たぶんに『ミツバチ』を意識して、『ミツバチ』のアンチテーゼ的に作られているきらいがあるのだけど、むしろその辺が露骨に透けて見えてちょっといやらしい。
とはいえ線の細い女性ヴォーカルで歌われる挿入歌の使い方がすごくうまくて、アナ・トレントという少女のカリスマ性ともあいまって一回観るともう一度観たくなる、ちょっと癖になる映画。
最近知ったのだが、相米慎二って誕生日が僕と同じなのだそうだ(1月13日生まれ)。
まあそれはともかく、僕の邦画オールタイムベストワンである。割とむらのある監督なので、相米慎二の映画の発散する空気が好きな人間でも『台風クラブ』ほどのごちそうにはなかなかありつけない。近作では『お引越し』が水準以上の秀作。
仙台のミニシアター、シネアートにはポスターのみ貼られていて結局かからなかったジム・ジャームッシュの初期作品。これを観るとジャームッシュが確かにヴェンダースの強い影響下から出発しているというのがわかる(ような気がする)。
と、いう訳でジャームッシュの出世作。初めて観た時はものすごく新鮮に感じたが、今回再見してみるとやはりヴェンダースのロードムービーの空気がそこはかとなく感じられる(もっともヴェンダースの影響云々については公開時のパンフレットでいろんな人がひとしきり触れていたことではあったのだが)。
公開当時、上條淳士が連載中の『TO−Y』でこの映画のパロディをやっていたのが、文化のリアルタイムな拡散、同時性を感じさせてやはり新鮮だった。してみると上條淳士は少年マンガ界のウィリアム・ギブスンだったのか(笑)。
もしかして『ストレンジャー・ザン・パラダイス』が水に合わずそれ以来ジャームッシュを観ていないという人がいるとしたら、その人はジャームッシュを誤解している。その誤解を解くにはこの作品がうってつけかと思う。やはりロード・ムービー的でありながら、実に良質のスラップスティックでもあるこの映画こそが今にいたるジャームッシュの本質をよく表している。主役の一人を演じたイタリアのコメディアン、ロベルト・ベニーニはジャームッシュの最高傑作『ナイト・オン・ザ・プラネット』でも好演(怪演?)している。
アナ・トレント13歳の時の作品。少女と老人の純愛がテーマ。作品としては凡庸。シネセゾンの「天才少女アナ・トレント特集」で上記の『カラスの飼育』と抱き合わせて公開された(仙台でもシネアートで同じ構成で上映)。この2本は『ミツバチ』のカルト的ヒットがなければ日本では永遠に公開されなかったに違いない(笑)。
最近僕の実家の近くは急速に都市開発が進み、地下鉄泉中央駅からバイパスまでが将監団地の下をぶち抜いた「将監トンネル」で結ばれているのだけど、このトンネルを通る時必ずといっていいほど『ソラリス』に登場する首都高速を連想してしまう。やはり日本の都市空間というのは根源的なところで「未来的」な印象があるような気がする。もちろん今となっては「近過去としての未来」ではあるのだが。
故国への想い。終末への不安。水蒸気に満ちた空間。どこまでも透明な水。タルコフスキーの全てが濃縮されたような映画。傑作。ただし『ソラリス』で眠ってしまう人はこの映画を前にしては一瞬たりともまぶたを開いていることはできないに違いない(笑)。
『ノスタルジア』のテーマから終末観と宗教観の部分をより突き詰めたタルコフスキーの遺作。
映像的にはこれと『ノスタルジア』がタルコフスキーの頂点かと思う。「水」へのこだわりは『僕の村は戦場だった』の頃から散見されるのだけど、「水の質感」がこれほどまでに映像として砥ぎ澄まされた映画を僕は他に知らない。
と、いう訳でヴェンダースのロード・ムービー第一作。ヴェンダース版『ペーパームーン』といってしまうといささか語弊があるような気もするけど(笑)、ストーリーを要約するとそんな感じ(因みに『ペーパームーン』は1973年公開)。まあ少女とおじさんの珍道中という題材が似ているって程度なんだけど。
こういうのはめいっぱい趣味(笑)。
実は『パリ・テキサス』も『ベルリン・天使の詩』も僕はまだ観ていない。今回のダビングの目的の一つはヴェンダースをちょっと体系的にフォローしてみよう、というのもあった。
ゲーンズブール父娘の近親相姦映画。単調な映像と単調な音楽。映画としてはかなり退屈。ゲーンズブール父娘のどちらかのファンにとってはコレクターズアイテムではあろう(笑)。シャルロット・ゲーンズブールの映画ならやはり『小さな泥棒』がよい。
それぞれの映画の制作風景をまとめたドキュメンタリー。タルコフスキーの生の姿がみれる貴重な資料。当然のことながら映画本編と違って観ていても全然眠くはならない(笑)。
タルコフスキー作品の中でも「私映画」的色彩の濃い小品。これが一番好きだというファンの意見もよく聞く(SF研だと北村(6理学部博士課程)がそのようなことをいっている)。
いわずと知れた大林のカルト・ムービー。でたらめと逸脱の奔流の中にもそこはかとなく不思議な詩情が漂う。まだ院生の頃にここいら辺の大林作品が宮城県立美術館の映像特集「A MOVIE大林宣彦」(初日には大林宣彦本人の講演までついた超豪華企画(!))で集中的に上映されたので、実はかなりの作品は観ているのであった。
SF映画には興味がなく『ソラリス』『ストーカー』を知らない人でも反戦映画として有名なこの映画のタイトルは知っているのではなかろうか。もしかするとタルコフスキー映画で最も著名な作品かも。
『エル・スール』の併映であったことで有名な(?)映画(仙台では別々に公開されたのだが(笑))。老人映画の佳作。
誤って人を殺してしまった男が獄中で考えた。自分が人を殺してしまうようなことになったのは、あの戦争から生きて帰りながら何もせず無為に日々を過ごしてきたことへの天罰である、と。爾来、男は天皇にパチンコ玉を放ち、天皇ポルノビラをばらまくなどの過激なパフォーマンスにその身をささげる。本作品は“神軍平等兵”奥崎謙三がかつての上官たちを執拗に追求し終戦前後の部隊内で行なわれた人肉食の事実を暴き出す過程を克明に追跡する。
単なるドキュメンタリーの域を完全に陵駕してしまった稀なる映像体験。
高校のころ仙台名画座で観た。思えばその頃から映画に関しての嗜好はいささか偏向していたのは否めない(笑)。長い上映時間飽きずに一気に楽しめる映画、という印象のみ残り内容はけっこう忘れていた(もちろん観ると思い出すのだけど(笑))。初見の時よりも深く楽しめた。
フェリーニの代表作(最高傑作ともいわれる)。実はこの頃のフェリーニの作品は今まで『道』くらいしか観てなかった。
自分の遺骨は故郷の島に近い海に帰して欲しいという希代の歌手の遺言を実行するため、一隻の船に各界の名士たちが大挙して乗り込んだ……。豪華絢爛たる後期フェリーニの傑作。フェリーニでは僕はこれがいちばん好き。
「インテルビスタ」とは「インタビュー(取材)」。1940年の“映画都市(チネチッタ)”を取材する青年記者(若き日のフェリーニ)を主人公とする映画、を撮影中のフェリーニを日本人TVスタッフが取材に訪れる、という構成なのだが、自分自身をも出演者とするこの映画を製作しているフェリーニという存在まで考えれば、本作品は三重の入れ子構造で出来上がっている。“映画都市(チネチッタ)”にささげられた作品であるが、どこもかしこもフェリーニらしい楽しさに満ちている。
日本でこれに相当するような作品というと、松竹蒲田撮影所にささげられた階段オチ楽屋オチ映画『蒲田行進曲』ということになるかと思うが、そう考えてみるとここには日本人とイタリア人の民族性の違いとでもいうべきものが如実に反映されているような気がしてくる(笑)。
いきなり『東京物語』のフィルムから始まる(笠智衆本人もインタビュー・シーンで登場)。小津に心酔するヴェンダースの心象としての日本。パチンコ店内やロウ製の食品見本の製作風景などが散文的に流される。ヴェンダース特有の虚無感ともあいまって、東京という街のとらえどころのなさ、本質のなさがえぐり出される。外国人の視点から見た日本という国の理解としては非常に的確といえるかもしれない。
監督がフェリーニで、ロベルト・ベニーニ(ジャームッシュの項参照)が主演ということで借りてきた。が、期待したほどではなかった(笑)。
純粋化されたバイオレンス。水のように流される血。フリークスの闊歩する世界。メビウスの輪のような無限構造をなす物語。SF研一の映画マニア北村6の絶賛するカルト・ムービーの一大傑作。今回初めて観たけどこれは確かにすごい。癖になる映画。
宗教画家アンドレイ・ルブリョフの遍歴をつづる大作。タルコフスキーの宗教観のルーツかもしれない。“聖像画(イコン)”というアイテムは『ノスタルジア』『サクリファイス』でも重要な役割を占めている。
あるアニメーター青年の夢と挫折。60年代フォークのような映画。サントラ盤が出ていることからその存在は知っていたが、こんな映画がビデオ化されているとは知らなかった(笑)。
因みにこのビデオ、僕がこの一連のビデオを借り出したレンタル屋の常連さんが「是非この店に置いてくれ」といって自分で持ち込んできたものなのだそうだ(笑)。ここにあげてる作品からわかるように妙に偏向したそのレンタル屋のラインナップの中でも珍品中の珍品。
印象派絵画のような、うっとりするような映像。雰囲気にどっぷり浸ると気持ちいい。
ヴェンダース、ロード・ムービー第二作。三部作中唯一のカラー作品。社会の脱落者たちがなんとなく集まり成り行きのままに放浪する。全体に漂う虚無感、喪失感はヴェンダース作品の持ち味の一つか。ナスターシャ・キンスキーのデビュー作だということは今回初めて知った。
主人公の監督はロジャー・コーマンの『The Day The World Ended(生存者たち?)』をポルトガル・ロケでリメイクしようとするが資金不足でフィルムも尽き、プロデューサーの行方も知れず……。今一つ焦点のはっきりしない作品。因みにロジャー・コーマン本人も出演している。
過剰なディティールの奔流が観るものを幻惑する。ゴシック風のホテルやギリシャ風の彫刻に代表される映像面でのディティールと、ナレーションの饒舌。昔、菱谷さん(4時事通信社)がこの映画と映画『ドグラ・マグラ』の類似を指摘していたが、非常に的確な指摘であったと思う。
ヴェンダース、ロード・ムービー第三作。三部作中もっとも評価の高い作品なのだが、物語性を廃したリアリズムの3時間はさすがにちょっと長すぎると感じた。個人的には前2作『都会のアリス』『まわり道』の方が小品なりにまとまっていて性に合う。
これは観たことがなかったのでことのついでになんとなく借りてきてしまった。みてみると思っていたよりもちゃんと原作にのっとって作られているのでちょっとびっくりした。
実は高校の頃『四季・奈津子』を観て東陽一に入れ込んでいた時期があった。そのころ仙台名画座で観た記憶がよみがえり、懐かしくてついダビングしてしまった。良くも悪くもATGらしい作品。森下愛子の小悪魔的な魅力が光る。
……と、まあこんな感じか(笑)。いまいちまとまりのない原稿で恐縮だが、これはまあ、リクエストの趣旨からすると仕方ないところ、ということで(笑)。なお、今回の原稿を書くにあたっては梶浦(6NTTデータ通信)が帰国土産にくれたCD-ROM『Microsoft Cinemania '94』が資料として非常に有用だった。……と、いうか、調べ物をしているうちにどんどん余計な情報を検索して脱線してしまう(笑)。映画ファンにはこたえられないCD-ROMである。
次回は吉田秋生を取り上げる『お楽しみはこれからだッ!!』か、そうでなかったら『じゃみっ子ジャミラ』でや〜もとさんとはいささか異なる観点からのファミコンRPGレビュウとか、久しぶりの音楽ネタでZABADAKとか、その辺を考えている。んではまた(笑)。
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