じゃみっ子ジャミラの故郷は地球
Jamikko-Jamira talking about "Sweet Home Earth" #3

第3回「『ブレードランナー』往復書簡 の巻」

たこいきおし


 そんな訳で、僕も最近モデムを買ってパソコン通信など始めてみたのだけど、性格が性格だけに、電子メール書いててもついつい長くなってしまう(笑)。 これがまた半年以上もやってると、けっこうな文章量だったりするのである。考えてみると、いろいろともったいない(笑)。もったいないので(笑)、一度メールで書いた内容を加筆修正して新しく原稿にしたりとかも最近はしている(ただの手抜き、というはなしはある(笑))。今回はそれでいってみようかと思います(笑)。

 まあ、偉そうに通信なんていっても、実のところは主としてSF研OBとの電子メールの送りっこにしか使ってないのであるが、その中でも一番頻繁にやりとりしている山浦との往復書簡としゃれこんでみる。話題は昨年日本公開された『ディレクターズ・カット ブレードランナー・最終版』である。通信の臨場感を味わっていただくために敢えて手直しはしていない(ますます手抜きである(笑))。それでは。


<蛸井潔/JBE00365 1992年12月8日送信>

 (前略)ついでながら、『ディレクターズ・カット ブレードランナー・最終版』の話。

 これは、10月の何日だかに観にいった。メールもらった時点で既に観ていたのだ(笑)。しかしあれは、なんだな。宣伝の仕方におおいに問題があると思う。

 基本的には元の形から、デッカードのナレーション、というかモノローグを全部カットして、ハッピーエンドのエンディング部分をカットして、ワンショットだけ追加したというもの。上映時間そのものは短くなってるし、例の“ノーカット版”には入ってた残酷シーンも再びカットされてる。

 モノローグのカットは成功していると思う。全体の印象がシンプルになってて、あれは、よい。

 追加されたシーンというのは、デッカードがピアノにつっぷしてうたた寝しているときに観る夢。森の中を駆けるユニコーン。

 ラストで、デッカードがレイチェルと部屋を出る時に、部屋の前に折紙細工が落ちてる。あの、デッカードの上司の直属の部下で、いつも折紙おってる奴が作ったもの。これは以前のバージョンならこれから逃亡する二人へのせめてものはなむけ、といった意味あいで受け取られていた筈。

 それが今回のバージョンでは、全然違う。何となればその折紙細工はユニコーンだったから。

 デッカード本人しか知らないはずの夢に出てきたユニコーンが、折紙細工となって足元に落ちている。これは取りようによっては、デッカード自身の記憶も誰かに植えつけられたものである、という可能性につながる。

 まして、今回のバージョンでは、レイチェルには定められた寿命はない、なんていう都合のよい設定は存在しない。デッカードの逃亡ははなから終わりの見えたレースのようなもの。その逃避行に、あのユニコーンが更に心理的追いうちをかける、という仕掛けになっている。

 これ自体は、いい。ただ前宣伝で鬼の首でもとったように“デッカードはレプリカントだった!”と断言するような内容ではない。あくまでも、そういう“含み”を持たせた、というレベルの話。

 ただおそらくは、そこまで親切に解釈を加えてやらないと日本の観客は何がどう変わってるんだかわかんないだろう、という興行的な判断から、こういう騒ぎになったんだろうね(笑)。ま、実際日本の観客はその程度のレベルだと思うけど(笑)。

 しかし、これ観て思ったのは、「あっ。こりゃ『ユービック』だ(笑)」という感想なのであった(笑)。

 『ユービック』のラストでジョー・チップの上司が、自分の服のポケットの中にジョー・チップの顔の刻まれたコインを見つけて、自分の今いる世界が実は現実ではなく精神世界なんじゃないかと疑念を持つ、というくだり。この手の、ちょっとしたことで世界の実在感が失われて現実が“揺らぐ”、というのはディックの最も得意とするところ。

 そういう意味では、確かに最初のバージョンよりも今回の“最終版”の方が、より“ディック的”な現実崩壊感を内包している。もっとも小説の『アンドロ羊』ってのはそういう話じゃあないんだけどね。

 で、こないだ松永さんと電話で話した時に、「実は『ブレ・ラン』の原作は『アンドロ羊』じゃなくて『ユービック』だったんですよ(笑)」といったらそれなりにウケたな(笑)。

 そうそう。“最終版”でもう一つ変わってたとこがあった。エンディングクレジットの音楽(あのカッコいいやつ(笑))が、最初の映画のバージョンではなくて、ヴァンゲリスが後から自分のオリジナルアルバム用にアレンジし直した方のバージョンになっていた。このバージョンはヴァンゲリスのアルバム“THEMES”(邦題“ブレードランナー、ザ・ベリー・ベスト・オブ・ヴァンゲリス”)に収録されている。これはどっちかってーと、最初の映画版のバージョンの方が、オレは好きなんだが…。(後略)


<山浦卓/GGC03452 1992年12月14日送信>

 (前略)『ブレード・ランナー』観にいったよ。確かに、宣伝の仕方に問題があるねぇ。 TVに出ていた評論家(若い女性・3流というより自称?)が「実は…」なんぞとぬかすものだから、こっちもその気になっていたぞ。まあ、今、巷にある映画評論家なんてほとんどが配給会社サイドの宣伝のために仕事しているみたいなものだからな。

 レイチェルの寿命の件は、社長がじかに言う場面があったと思っていたけど、観てみたら、社長は「She is an experimant(実験体)」としか言ってないのね。それを、今まではラストのモノローグで「Tyrell told me Rachael was special. No termination-day」と、言っていただけだった。ひどいなぁ。

 ラストのガフ(折紙男)の台詞もミソだね。「It's too bad you won't live」 この後に「***who dose」と来るけど、***の2・3フレーズが聞き取れない。意味は、「他の皆と同じように生きられなくて残念だぁね」だろうけど。

 これが、「彼女と長く一緒にいられないこと」がbadなのか、←今までの解釈 「あんたたちが長く生きられないこと」がbadなのかは、この文章からは分からないわけね。 ***に「共に居る」ような文章があるのかもしれないけど、それでもyouで指す以上は後者の意味にも取れるわけ。ユニコーンの折紙を見つめるデッカードのバックになぜ、これが流れていたのかを考えると、確かに暗示的ではある。新・旧ともに字幕では「彼女は…」だったから、今まで気付かなかったけど、おそらく字幕上のようなまったく無意味な台詞ではないだろう。

 個人的には、この版のほうが好きだな。ロイ・バティが最期に、いろいろ話してくれたのに、それとは無関係に自分だけ都合よくしっぽりといく、というラストを批判していた人も多かったし。 memoryをキイ・ワードにして、全体を通してみるとバランスよいというか、単なるバウンティ・ハンター物ではない、というところがいい。単に、「含み」が好きという話もあるが(^_^)。編集ひとつで結構かわるものだね。

(でも、脱走レプリカントの人数はやっぱり合わないぞぉ)

 エンディング・テーマのアレンジの違いもわからないなぁ。(後略)


<蛸井潔/JBE00365 1993年1月13日送信>

 (前略)話は変わるが、『ブレード・ランナー』は最終版の方がよいということでは平岩とも意見の一致を見た。2月頃にLDが出るらしい。何でもそのとき同時にこれまでのノーカット完全版も廉価で再発売されるそうだ。一応両方買うつもりではいる(笑)。何せ2枚買っても1万円でお釣りがくるような値段だからなあ(笑)。


<山浦卓/GGC03452 1993年1月17日送信>

 (前略)『ブレード・ランナー・最終版』はビデオでも安価にでるらしい。『完全版』は既にあるが(最初に買ったソフトの一本・もう一本は『羊たちの沈黙』)、やはり私も買うことになるだろう。そういう話をしたかったなぁ。日程さえはっきりしていれば、切符は取れたんだが。(編註 これは山浦が年末に仙台に遊びに来てみんなと飲み会をしよう、という予定が流れたことをいってるのだな(笑))ま、この資金はMacに充てよう。(編註 と、いって一月もたたないうちに山浦はQuadra700を買ってしまうのだが、それはまた別の物語である(笑))


<蛸井潔/JBE00365 1993年3月19日送信>

 (前略)そうそう。『ブレード・ランナー』のLDを買った。今のうちに謝っておくが、エンディングの音楽のアレンジは変わってなかった(笑)。しかしこちらの聴き違いでもなくて、確かにヴァンゲリスのアルバム版とも同じアレンジだった(笑)。何が違ってたかというと、今までさんざん聴き返してたレコード版のアレンジと違ってたのだった。確かにあれはアメリカでも正規のサントラが出てなくて、スコアをもとに演奏し直したというレコードだったんだが、あんなにアレンジが違ってたとは(笑)。最近映画版をしばらく観てなかったものだからすっかりレコード版のアレンジが耳についちゃってたという次第(笑)。いやー混乱させちゃって悪かったね(笑)。


<山浦卓/GGC03452 1993年3月21日送信>

 『ブレード・ランナー』は私も出てすぐ買った(ビデオ)。やはりカルトだよなぁ。でもご近所には話のあう人がいない。Q700の話す「Time to Die」の台詞もわからないので、「なにこれ」と言われた。なんか悲しい(笑)。(編註 山浦のQuadra700はOFF時に『ブレラン』のルトガー・ハウアーの最期の台詞を発して切れるように設定されているのである(笑))

 しかし、Mac関係のフォーラムを読んでいると、なんでも今度の新製品Macは音声認識だそーじゃないか。だんだん『ブレード・ランナー』の世界になってくる。映画の最初で、ブライアンとデッカードがレプリカントの資料を見ているけど、あれはQuickTimeみたいだし。写真分析の機器はまさに音声認識だし。これで名前がCyclone、なんだかなぁ。


 ……きりがないのでこのくらいにしとこ(笑)。とにかく山浦とはクルマの話とMacの話と『ブレラン』のはなしばっかりしているのであった。フッ、フッ、フッ、フッ。楽しいぞお(笑)。通信にまつわる楽しい話には他にも「糸納豆をメールで催促する大森望先生」とか「XXXさん抜きうち結婚事件」とかいろいろあるんだけど、ま、今回はこの辺で失礼。んではまた(笑)。


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