井熊さんちの家庭の事情#6
井熊明子


おたく夫婦・親子における教育(?)のあり方とは?


 ご無沙汰しております。やーもとです。

 度重なる不義理にもかかわらず、糸納豆を送って下さってありがとうございました。

 「お楽しみはこれからだッ!!」の面白さもさることながら、「僕はこんなにも……」の観劇日記が楽しいです。うらやましい。水戸にいると、というか、子供がいるとなかなか劇場に足を運ぶことができなくて……。って、あれ、独身時代もいってなかったなあ。ま、本当のところは単なる無精なんでしょうね。そういえば、最後に舞台劇を見たのは、高校のときの「ジーザスクライストスーパースター」だから、無精も年季が入っています。

 この間水戸市内で真っ白のメイド服風の女の子が歩いていましたが、ああいうのも「ゴスロリ」なんでしょうかね。やーもとが、メイド服で連想するのは、「バジル氏の優雅な生活」ですね。ところで、メイドというお仕事は、当時としてどの程度の階層の人が就くものだったんでしょう。いいところのメイドなんて、時代劇の大名屋敷の奥女中や平安時代の女房みたいなものだったりして。「バジル氏の優雅な生活」の中でも、ハンサムな馬丁がメイドさんたちからラブレターを山ほどもらったけれど文字が読めないから返事が書けなくて……というエピソードがありました。言われてみれば、庭師や馬丁は読み書きができなくても務まりそうだけど、メイドさんは、読み書きができたほうが便利そうですね。


 奥様へのオタク教育も順調のようですが、蛸井君も十分に教育されているような。これが本当のギブアンドテイクですね。以前、何かの番組の中で「彼女を教育中のオタク」なるものが登場して、彼女の意向など無視して自分の趣向を押し付けることを教育と称しているのに辟易していたので、「僕はこんなにも……」を読んでいて心が洗われるようでした。ちなみは、私は、井熊氏に出会う前から十分オタクでしたが(もちろん、ロリコンオタクではありませんよ。「Gun」とか「世界の戦闘機」なんてのをこづかいで買ってくるちょっとアブナイ方。メタリックなものに憧れがあったんですね)、残念ながら、元々共通しているSF.兵器関係軸の他の方向性は、あまり共有できていませんねえ。一緒にコンサートに行くとか、劇場に行くとか以前に、「ハッチポッチステーション」ネタや「虫マルQ」ネタで一緒に笑えないのはちょっと寂しいです。ほんと、「犬のおまわりさん」の「ボヘミアンラプソディ」とか、「哀愁のヨーロッパバイソン」とか最高なのに。一応、子供にクィーンのCDを聞かせたりして、「教育」を試みてはみたのですが、やはり、世代の壁は高いです。子供たちは、パロディとは違う次元で笑ってますね。だから、「ケロロ軍曹」でも笑えるんですね(オタクな親としては、ギャバンも知らないのに、どうして「癒着!!」で笑えるのか理解不能です。で、頼まれもしないのに薀蓄をたれて、こどもたちに煙たがられてしまいました)。


 ここで、以前、「ファンファンファーマシィー」特集?のときの感想として書きかけた話題を一つ。

 ぽぷりちゃんの名前の由来の話を読んで、とっても芳しい気分になっていた私は、いつも保育園の先生に怒られながらも園庭のお花をこっそりポケットに忍ばせてくる次女に夢を抱いていたのでした。が、現実は甘くなかった。なんと、保育園児の服は、毎日洗濯されなければならないほど汚れるのです。したがって、ポケットに忍ばされたお花は、ぽぷりになる前に、しおしおのぱあになってしまったのでした。


娘のヴァイオリンを前振りに「のだめカンタービレ」につなぐ!


 そんな具合に母の夢を壊してくれた次女も、もう小学校3年生。この秋からなんとヴァイオリンを習い始めました。で、毎週音楽教室に連れて行って、そこでただボーっと待っているのもなんなので、私も同じ教室でピアノのレッスンを受けています。

 実は、去年電子ピアノを買って、付録の楽譜とか、アマゾンドットコムで買った「ハ調で弾く……」系の曲集とがでちびちびと練習してはいたのですが、一度習ってみたいなあと思っていたんですよ(小学生のころ、オルガンとかエレクトーンとかはやってたんですが)。なので、次女が「ヴァイオリンを習いたい」と言い出したときには、「そんなわがままを通すのなら、3つの約束(早寝、早起きする。勉強をする。お手伝いをする。)を確実にやってもらうよ」と渋い顔をしながらも、すぐに、「しめしめこれを口実に私も教室通いをはじめてやろう」という姑息な目論見が浮かんだのでした。ですから、井熊氏がなかなかOKを出してくれなくて、次女があきらめてしまいやしないかと気が気じゃなかったりして。

 しかし、実際に習い始めてみると、難しいです。何しろ、キーボードになれた指には電子ピアノのキーすら重いのに、教室のグランドピアノのキーはそれにもまして重いのでささやくような音しか出せないでいます。うーん、のだめちゃんってすごいなあ。


 上のパラグラフは、最後の一文から最近はまっている「のだめカンタービレ」につなぐためだけにあったりして(こんなんだから、明細書も枕が長いって言われるんだな)。

 水戸辺りの書店でも第1巻から平積みになってるようなメジャーなものを取り立てて「いい!」というのもいまさらな気はするのですが、のだめちゃんの台詞に頼らない複雑な表情と行動による感情表現が圧巻です。特に、Lesson40からLesson42で千秋先輩をトラウマ(千秋が海外へ留学できない唯一の理由である飛行機恐怖症の原因となった飛行機事故のときの悲しい記憶による心の傷)から解放するあたりのところが切なくて最高です。台詞がないところから名台詞を敢えて抜き出すとすると、

 「素人は真似しちゃいけないんだもん」

となるでしょうか。

 Lesson40では、名だたる催眠療法士による催眠術にもかからなかった千秋がのだめの催眠術にあっさりかかること、そして、催眠術で千秋を心の傷から解放できるかもしれないことに気づいたのだめが、催眠療法を取り上げたワイドショーを映す電気屋のTV画面から逃げるように遠ざかり、更に、「素人は真似しちゃいけないんだもん」と、千秋を催眠状態にいざなった懐中時計を小物入れに封印するあたりまで、千秋のトラウマに関するのだめの台詞は全くなくて、それでも、千秋を手元につなぎとめておくために、彼を苦しめているトラウマを解消できる可能性を自分が握っていることから敢えて目をそむけようとするのだめの心の葛藤が実に切なく表現されています。

 これを全部台詞にしてしまっていたら、最初に読んだときから誰にでも分かるんだろうけど、敢えて、台詞で説明しないことによって、台詞では到底できないほど深く読ませることができたのではないかなあ、と思うわけです。実を言うと、最初に読んだときには、Lesson40で、千秋が指揮するオーケストラのチケットを千秋からもらった時ののだめの表情と懐中時計を封印するシーンとのつながりや、Lesson42で描かれたコンサート終了後に千秋のお母さんと一緒に撮ったらしい写メの中ののだめの沈み込んだ表情や、ついに飛行機恐怖症を克服した千秋が北海道で買ってきたカニを目の前にしたのだめの予想通り(悪い点)の試験の答案を渡されたような表情(そして、その後、親のカタキのようにカニをむさぼる様子)が、不覚にも腑に落ちなかったのですが、今では、これらの表情で表されるのだめの葛藤や落胆や決意に胸が締め付けられる思いがします。


 長くなってしまったけれど、もう一つ。コンセルヴァトワール留学のためフランスに渡ったのだめが、フランス人オタクのフランクの部屋で「プリ・ごろ太」(架空のTVアニメ、ドラえもんみたいな筋らしい)のビデオをわき目も振らずに徹夜で繰り返し見てフランス語を刷り込みするシーンでは、つい、ドイツ駐在していたときの某氏ももしかしてこんな風に某美少女アニメを……などといけない想像をしてしまいました。


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