投函された一通の手紙
連載第13回 (市原市 三木久幸)


たこいさんへ

 なにはともあれ、ご結婚おめでとうございます! 末永くお幸せに。心安らぐ、あかるい家庭を築いて下さい。


 「糸納豆」送って頂いて有難うございました。楽しく読ませていただきました。平岩さんの文章が良かったです。「雪風」の技術考証が、「グッドラック」の書評にもなってるような、重層的な感じですね。面白かったです。

 あと、椎名林檎関連の文章も良かったです。私自身は、椎名林檎自体はあまりちゃんとは聞いていないのですが、概して椎名林檎について書かれた文章は面白いものが多いです。頭の良い人が多い感じがします。

 椎名林檎のあの露悪的な女性性の出し方ですけど、簡単に言っちゃうと「男性の頭の中の女性を演じる女性を、女性が支持した」という構図ですよね。私は、これを90年代の初期の「男性の視線を無視した、女性同士のなれあいの楽しさ」の文化に対するアンチと見てみました。つまり、プリンセス・プリンセスやゴーバンズなどのバンド、あるいは山田邦子がやってたTV番組の、あの感じです。森高千里が「沖縄の海へ行こう。色気も忘れてだらだらしよう。」と歌った、あの感じですね。

 まじめに椎名林檎を聴いていない人間なので、あまりきちんとは言えないんですけれど。あることを何かの反動だと考えるのは楽な方法なんですよね。でもそれって頭が悪い証拠かもしれません(笑)。


 さて、私のほうは2年のうちに2回引越しをしまして、今は千葉県の市原市に住んでいます。引っ越して半年弱、なんとなく、まだ生活は落ち着かないところがありますが、なんとかやっています。大きく変わったのは通勤スタイルでしょうか。今までは徒歩で30分ほどかけて通っていましたが、今は車か社用バスです。体がなまります(笑)。

 あと、この2年間には仕事の面、家庭の面で色々ありまして、結構辛い時期もあったんです。今は、問題も過ぎ去りまして、安定した気持ちで生活を送っていますが、その当時はけっこう深刻でした。

 その辛い時期には、歌詞のある曲とか、盛り上がり、ストーリィ性のある曲が聴けない感じになりました。なんか感情を刺激されるのが嫌だったんですよね。当時の流行の曲といえばヒップホップとビジュアル系でしたし、好きだった昔の曲でも奥田民生のだらだら感も、フリッパーズの低温の諦観も、電気グルーブの笑顔の悪意も、とにかく「何かを言っている」こと自体が駄目。そんな感じでした。

 で、その頃にはひたすらテクノを聴いていました。ちょうど日本でも盛り上がってきた時期でもありましたし。歌詞のない曲がこんなに聴いてて楽なものかと感謝しつつ、のめり込んでました。

 テクノを、自室で、あるいはウオークマンで聞く行為は絵を鑑賞する行為に似てるんではないでしょうか。テクノの音には、「色」がありますし、「タッチ」があります。しかし、その一つ一つには意味はない。でも、感触はある。そして、全体を通して見たとき、何かのイメージを想起させます。

 そう言いますと、クラシックやジャズでも同じなんではないかと思われます。要は中世の宗教画が好きか、印象派が好きか、カディンスキーが好きか、みたいな話なのかな(笑)。いや、そうでもないかもしれませんね。もう一つテクノの特徴に、何から何まで一人でやってる感触があります。「他人とリズムを合わせる」、言い方を換えれば「他者の要素との化学反応」がほとんど感じられない点ですね。ですので、テクノにのめり込んでいくと、最終的には自分で曲を作りたくなるんじゃないかという気がします。その辺も、最終的に「模写」に行き着く絵画鑑賞に似てるんではないでしょうか。

 その頃好きだったのは、The Orbっていう、あまりリズムがなく、色々な音が入り組んでいる感じのものでした。有機的でどろどろしたような、反復があまりなくてリズムも前面に出てない、そんな感じの音楽です。まあ、凄く判りやすく言うと「この路線って究極的には「喜多郎」に行き着くんじゃないだろうか」と思わせるような(笑)。

 しかし、そういう風にテクノを突き詰めて、最終的に有機的な感触のものというか、精神世界に近いものに行き着いてしまう、というのはちょっと面白い現象にも思えます。ちょうど、宮崎駿がなぜアニメという究極の人工物の中にリアルな自然を構築しようとするのか、みたいな話と似てるんではないかと思うんです。頭の中にできた箱庭が、精密さを求めるあまりに、どんどん肥大して逆にその外側の世界をその中に取り込もうとする工程に思えないですか?

 しかし、いま流行してるテクノって本当は、基本的にはダンスミュージックなんですよね。その後いろんな本を読んで後から知りました。主流はThe Chemical Brothers、Prodigyなんかのブレイクビーツや、Fatboy slim、Underworldなどのダンスオリエンテッドな訳で、もっとリズム中心で、反復構造の多い曲がテクノブームの中心にいた訳です。しかしその当時、私自身はブレイクビーツはあまり好みませんでした。なんか、楽しそうなのがいや、ってのもあったんですが、新鮮味はない気がしたのです。だって、Prodigyなんてバンドのコンセプトそのものが電気グルーブのパクリとしか思えなかったし、The Chemical Brothersにしても大ヒットアルバム「Surrender」はコーネリアスの「ファンタズマ」にあまりにも似ている気がしました。「ファンタズマ」のダイジェスト版?って感じですよ。まあ、パクリそのものは悪いことではないのかも知れませんけど。あるいは、直接のパクリではなくて、「Surrender」と「ファンタズマ」に共通の元ネタがある、みたいな話なのかも知れないです。その辺は勉強不足で判らなかった。今でも判りません(笑)。

 とりあえず、その後は生活も仕事も軌道に乗り、気持ちも落ち着きました。それで、テクノは聴かなくなったかというとそうでもなく、ブレイクビーツも含めて、いろいろなのを聞けるようになったんですね(笑)。それに、リズムが前面に出てる音楽って、歩くときのBGMに良いんですよ。徒歩通勤のころは、通勤の友に最適でした(笑)。

 日本のロックバンドでもエレクトロの手法を取り入れるバンドが増えてきましたしね。特にスーパーカーの変化は、素晴らしいと思います。女性ボーカルの声が良いですね。電子音に良く映えて、ちょっと他にはないような風景を描き出してます。

 そうそう、本を読んで得た情報といえば、ヨーロッパのクラブなんかではクスリをやりながらテクノで踊るのが流行ったんだそうですね。そうすると、テクノと精神世界の接点はそんなところにあるのかも知れません。ちょっと直接的で面白くない話です。

 ところで、テクノといえばドイツなんですけれど、私、昨年から今年にかけて2回、ドイツへ出張する機会がありました。2001年の10月の時に比べて、2002年の8月に行った時には確実にテクノの人気は下がり始めているようでした。音楽番組でもヒップホップが増えた気がしましたし、CD屋のテクノコーナーもちょっと小さくなっているようでした。若い人の話では、テクノ人気は2年前がピークで、今はちょっと下り気味だとか。なんか寂しいなぁ。しかし、その若い人曰く、「今はレゲエやサルサが流行ってる」とか。サ、サルサですかぁ? ホントかなあ(笑)。私は「日本ではいまテクノが流行り始めたところですよ」と答えておきました。彼は「ホントかぁ?」って顔してました(笑)。


 さて、そういえば、この2年の間に待ちに待ったあの人の新作がついに出てしまいましたね。もちろん、コーネリアス「Point」、小沢健二「eclectic」のことです。(そして小松左京「虚無回廊III」。個人的には大事件ですが、今回は話題にしません(笑)。)

 しかし、一聴しての感想は、最前線からは一歩引いてしまったか、という感じでした。特に小沢健二の「eclectic」は天才の作品ではなくなってしまった感じがしました。これは、秀才の作品でしょう。凄く努力していますもの。しかも、この路線で来ることは97年のシングル群→トリビュート盤への提供曲と聴いてみれば、ある程度予想できましたので、動きとしてもジャンプが少ないかなあ、と。いや、悪いことではないんですが。実際、私は「球体の奏でる音楽」よりはずっと何回も聴いています。

 コーネリアスの方も、ちょっと考えすぎかなあって感じですよね。最近子供ができたんだそうで、そう思って聴くと、子供ができての心象風景という意味では凄く実感できるんですけれど。ホント悪くない。悪くないんですけどねぇ。もう少し時間が経ってみないとちゃんと評価できないかもしれないです。例えば、次のアルバムが出て初めてまともに評価ができる、とか、そういう種類のアルバムかも知れません。

 「Point」の先行シングルとして「Point of View Point」と「Drop」が出ましたが、このシングル「Drop」には、アルバム「Point」の予告編のようなものが入っています。「Point」で使用した音源で作った、数十秒の「曲のようなもの」です。その音源の中に、アルバムには入っていない部分があるんです。

 「What we’ve got here is failure to communicate.」

と男の声で叫ぶ部分なんですが、これって、Guns N’ Rosesの「Civil War」の冒頭部分のセリフと同じですよね。引用だと思うんですよ。「Civil War」ではしわがれた老人のような声でつぶやくように発音されるんですが、コーネリアスの方では太い張りのある声が叫んでいて、その違いはあるのですが。

 しかし、何故こんな限定生産シングルの予告編なんかに、こんなセリフを忍ばせているのでしょうか。考えられるのは、シングルの発売日が2001年の10月で、あの米国同時テロから日が経っていないこととの関係です。思えば、「Civil War」を収録したGuns N’ Rosesの「Use Your Illusion」は湾岸戦争の直後に発売されていて、このセリフは戦争の本質を言い当てようとするものでもあるように思います。コーネリアスは、ここにこのセリフを引用することで、「Point」が発売された時代をちょっと対応させてみようと思ったんではないでしょうか。コーネリアスは、きっとGuns N’ Roses好きだったろうし。

 そういえば、オザケンのアルバム「Life」のラストを飾る「おやすみなさい! 仔猫ちゃん」には、子供の声で

 「Where do we go? Where do we go? Hey, now.」

というコーラスが入っていて、これもGuns N’ Rosesの「Sweet Child O’mine」からの引用ではないかと思うんですよねぇ。そんなことないかなあ。こっちの引用の意味は全然判らないし、この程度の言い回しなら引用ではなくて、単に英語の常套句なのかも知れないけど。でも、オザケンは子供にこれを歌わせてるんですよね。

「Sweet Child O’mine」...。うーん、どうでしょうか。意識したって事、ないかなあ。でも、何の意味があるのかなあ(笑)。オザケンがGuns N’ Rosesを好きだったとは考えられないんですけどねぇ。

 Guns N’ Rosesとフリッパーズギター。活動した時代はほぼ同じで、選び取った手法も良く似ていると言えるかもしれません。同じ時代を戦った同士として、エールを送った。なんて...。あの2人に限って、ないでしょうね(笑)。


 そうそう、私は今でもマックオーナーではありますが、今度の引越しでマックユーザーではなくなってしまいました。早い話が、押入れに入れたまま出していないのです。この文章はVAIOノートで書いています。OSはWindows98。ワープロソフトはWordですよ。うーむ、なんか「敗北した気持ち」がありますねぇ(笑)。まあ、95以降ならWindowsも使ってやっても良いかなと思いますよ。ああっと、くっそ、勝手に段落つけるなよな、アホWord!

 ところで、Windowsのデフォルトスクリーンセーバーを使った「ジョジョ」ネタを一つ。スタートアップメニューから「設定」→「コントロールパネル」と選んで、その中から「画面」をダブルクリックします。その中の2枚目のタグが「スクリーンセーバー」ですので、そこをクリック。スクリーンセーバーを「3Dパイプ」にします。次に「設定」を開いて「パイプの数」を「複数本」に、「パイプのスタイル」を「曲線」にします。そして「表面のスタイル」を「テクスチャ」にして、「参照」で「エジプト」を選んでください。これで、できあがりです。プレビューして見てください。どうです? 私は、これを「法皇の緑」と呼んでいます(笑)。友人によりますと、テクスチャを「森」にしても結構いけるそうですよ。

 因みに、Windowsのどこからか、デフォルトのスクリーンセイバーには3Dパイプは入っていないようです。会社なんかで古いWindowsを見つけたら、どうぞ。(まあ、たいしたことはないんですけど(笑))


 それでは。次の糸納豆、楽しみにしてます。今回はけっこう時事ネタなんで、風化するかな? でも、それを楽しみにしてますよ。風化も良いもんです(笑)。

 たこいさんも、お体に気をつけて頑張って下さい。

 ではでは。

2002.8.24. MIKI


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