投函された一通の手紙
連載第10回 (秩父市 三木久幸)


 たこいさんへ。

 こんにちは。

 糸納豆が届きました。だいぶ前に(笑)。ホントに毎回、有り難うございます。

 返事が遅くなりまして、申し訳ありません。なにしろ、前回の糸納豆からの期間が短かったので、身辺に特に変化はなく、従って書く内容も特にない(笑)。でも、さすがにずっとお礼の返事も無しというのも失礼かと思い、筆を取ったという訳です。とはいえ、何も書くことが無い状況に変わりはないのですが(笑)。

 糸納豆では、平岩さんのごじら評が面白かったです。あと、原田知世のレビューが良かったです。

 しかし、「〜手紙」の2回分まとめて掲載は参りました(笑)。ずっと昔に書いたヤツとか、「ああ、あれは載らないで良かった」と思ってたヤツなのに(笑)。内容はしょうもないし、言い回しはくどいし、ネタは古いし。とほほ。

 オザケン、どうしちゃったんでしょうね。もう一年以上も何のリリースも無いですもんね。駄目になっちゃったのかなあ。

 それと。そうですか、たこいさんは「謎物語」は駄目でしたか。邪道ってことは無いでしょうけど。どうなんでしょうね。「水に眠る」、文庫化したときに解説目当てで買ってしまいました。前にけなした記憶がありますが、読み直したら悪くないです(笑)。宮部みゆきの短編もいくつか近い感じのがあるような気がしますけど、たこいさんは宮部みゆきは好きですか?

 前述しましたが、私の最近といえば前回の「〜手紙」の状況と変わりがないのです。「血中SF濃度」は下がりっぱなし。宮澤さんのホームページとか五十嵐さんのホームページを頼りに、図書館で借りたミステリーを右から左へ読みまくる日々です。宮澤さんと五十嵐さんのホームページを比べて、個人的に一番興味を引かれたのは森博嗣に対する評価の違いでした。これは自分でも読んで確かめなくちゃいかん。ということで、文庫化された「すべてがFになる」をさっそく読みました。面白かったです。すっかりハマってしまい、シリーズの続きのノベルズを古本屋で見つけては購入して、読んでいます。まだ十冊全部は読んでいないのですが、読み切るのがもったいです。

 しかし、読後に宮澤さんのホームページを読むと、かなり納得する指摘が(笑)。特に「すべてがFになる」。犯罪の必然性、動機。ふむふむ、確かに。そういえばそうだな、と(笑)。

 でも、犀川と萌絵のキャラクターには魅力があります。きっと、このシリーズの最大の魅力はそれでしょう。キャラクターと、彼らが解決に至る道筋が面白い。宮澤さんの「森博嗣の本質は理系ではなく狂気」という指摘は鋭いです。それに、「謎は、それを解く探偵によって、新しい物として蘇る」という北村薫の話を想い出せずにはいられない。もちろん、「謎物語」の内容の実践としてだけ面白い、ということでは無いのですよ。

 でも、あれですね。きっと本好きの普通の読者が読むと犀川や国枝に対して「こんなヤツいねえよ」と思うし、理系で研究室生活の経験のある人が読むと、萌絵に対して「そんな女は工学部にはいねえ」と思うんでしょうね(笑)。

 ところで、文庫化された「すべてがFになる」は作品はもちろんですが、瀬名秀明の書いた解説が素晴らしいと思いました。森ミステリーに対する分析も面白いし、後半の犀川の研究に対するセリフについて触れたところも面白いです。

 それで思い出すのが、「ブレイン・ヴァレイ」。この作品も、著者の、研究というものに対する態度というか意見というか、そういうものもテーマの一つになっていると思うのですが、惜しむらくは、意見を取りそろえてみただけ、という辺りで終わってますね。いつか、こういう方向で展開した作品も書いてくれると良いな、と思いました。

 森博嗣と瀬名秀明の作品に登場する研究者を比べて面白いのは、「研究一筋」の非常識な天才(≒狂人)を、森博嗣が探偵として使っているのに対して、瀬名秀明では、恐怖の対象そのものである、ブレインテック所長の北川として登場させる点ではないでしょうか。これは、「ミステリーvsホラー」という小説ジャンルの違いに依ると思うのです。つまり、ミステリーは「(事件の)狂気×(探偵の)狂気=(解決という)日常」という構造なのに対して、ホラーは「(主人公の)日常×(怪異の)狂気=(恐怖として残る)狂気」となる構造だから(もちろん例外は多数ですが)、ホラーの中で狂気を描こうとすると「向こう側」に置くしかなくなっちゃう。これはちょっとした皮肉じゃないでしょうか。一方、森博嗣の、犀川に対する日常的な意味でのとらえ方は、短編集に収録の「キシマ先生の静かな生活」に語られてる様な気がします。このタイプの研究者を、ある種の狂人としてとらえてますよね。

 しかし、一見似ている様に見える犀川と北川ですが、大きく違う点があって、それは、犀川は「研究はそれそのものが目的」と言っているのに対して、北川は何かを得るために研究を進めていることでしょう。これは大きいですね。この辺が作者の資質の差でしょうか? 研究生活の長さの差だったりして(笑)。

 主人公を、日常の側の存在、常識的な人間とせざるを得なかった「ブレイン・ヴァレイ」は、そういう意味ではジャンルによって限界を設定されていたという事になるでしょう。特に後半、「瀬名秀明はホントはもっと遠くまで行けるのに」という感想を残すように思いました。

 常識的な主人公ということからかも知れませんが、「ブレイン・ヴァレイ」は読んでいて小松左京を思い出しました。多数の研究者によって進行するプロジェクト、人類を揺るがすような大事件の予感。それに、北川の「神様の肩を叩いて、質問してやるのさ」というセリフの言い回し。良いですねえ。SF大賞を取ったというのもうなずける!(笑)(でもホントはちょっとうなずけない(笑)。SFなんですかねえ。SFとして書いたら、もっと面白くオトせる人なんじゃないかなあ)

 そういえば、光文社から出た「SFへの遺言」という小松左京の本の最後に巽孝之や大原まり子、笠井潔らによる対談が載っているのですが、これがなかなか面白かったです。笠井潔によると、日本SFの中に小松左京は受け継がれていて、「ハイブリッドチャイルド」は「日本アパッチ族」、「未来視たち」は「エスパイ」、「ヴィーナスシティ」は「日本沈没」の続編にあたるとか。これはなかなか興奮する指摘です。なるほどなるほど。

 それにしても、この対談での笠井潔の浮き加減が私は好きですね。矢吹駆ってこんな感じか?と、ちょっと思いました。カケルにしてはしゃべりすぎですけど(笑)。

 最後に、SF、ミステリー、ホラーというジャンルを横断しつつ、独自の世界観を持って展開する。そんな、まさに隠れた名作とも言うべき漫画に触れて筆を置きます。それは! 西岸良平作「鎌倉ものがたり」! いやいや、引かないで引かないで(笑)。私は結構好きなんですが、ミステリファンの人とかはこの漫画をどう見てるんでしょうか? その辺に興味があります。やはり邪道も邪道、触れるのもイヤ、って感じなのかなあ。まあ、アリバイ崩しのオチがタイムスリップだったり、密室殺人のオチが妖怪だったり。それが何のひねり無いし、確かにとんでもないんですが(笑)。でも、悪びれない雰囲気と楽屋オチっぽく茶化さない開き直りが好きなんだけどなー。この本、良く考えると隠れた名作じゃないですね、コンビニで売ってるし(笑)。

 なんかまとまりも何もないですけど、書くネタが用意できなかったにしては字数だけは稼げた(笑)。良かった良かった(笑)。面白いかどうか? そんな事は考えない!


 と、言うことで、たこいさんもお体など気を付けて。ではまた。

1999.3.20. MIKI


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