編集後記#47
ドリーム・アーキペラゴ・マシン
たこいきおし


■『夢幻諸島から』を一度通読した後、改めて序文を読んでいくと、この序文がまさに本作の備えた特徴をもれなく紹介し切っていることに驚く。何しろ「ザ・ベスト・オブ・信頼できない語り手」と呼んでよいと思われるチェスター・カムストン本人が、「本書に書かれている事柄はどれひとつをとっても事実に基づいていない」と断言し切っているのだから。本書についての解釈を試みるということは、嘘つきの嘘のどこからどこまでがどういう嘘であるのかを解き明かそうということで、のっけからこのように宣言されている本に対しては、いささか無粋な試みかもしれない。
 とはいえ、その無粋をやりたくなってしまうのがプリースト作品の麻薬的魅力でもある。ということで、以下は読書会の準備としてのネタ出しを備忘録的に書き連ねてみる。

■時間の渦と時間勾配があれば大丈夫?
 短編「赤道の時」その他で語られる本書の基本設定。プリースト本人の言葉では「連作それぞれが時間に影響されないゾーンで起こっている」「時が毎日、おなじ時間で静止している世界」を担保するための設定であるが、一方で、各作品の中では「時系列」に従った記述が平然と語られ/騙られる。そもそも、この世界で年表を作ることは可能なのか?

■人の数だけ現実がある?
 序文の結びには「真の現実は、あなたのまわりであなたが関知するものである」ともある。個々の語り手の語る内容は、語り手本人が関知した範囲では間違いなく現実である、という解釈はあり得る。SF的に解釈するなら、時間勾配の副作用として、夢幻諸島にはあらゆる可能性が混沌としており、語り手/観測者の「観測」によって個々の物語はひとつの「現実」に収束しており、語り手の数だけ「現実がある」とするなら、夢幻諸島はパラレルワールドをミキサーにかけて混ぜ合わせたような世界なのかもしれない。

■シーヴルの塔のひみつ?
 「奇跡の石塚」と「シーヴル」の章で語られる遺跡の塔。この世界においても謎のオーパーツ。「シーヴル」の章ではその謎を解く試みも行なわれているが…?

■どっこい生きてる、残留思念?
 「ローザセイ」の章では既に死亡した人物の残留思念のような現象が描かれている。オカルト現象だって起こる?

■トレムの実験と爆発
 「ミークァ/トレム」の章で語られる謎の実験。通信にからむものらしいが、詳細不明のままオープンエンド。

■え? 不老不死?
 「コラゴ」の章でのみさらっと触れられているが、夢幻諸島には実は不死を実現する技術がある。この設定は、人物の死に関する記述の信憑性そのものを怪しくするのでは?

■コミスの「芸」はパントマイム?
 「グールン」の章は、劇場での芸人をめぐる奇妙な事件を描き『奇術師』に近い雰囲気を醸し出している。パントマイムを芸とするコミスの奇異な行動からは、コミスは自分の知覚する「現実」の中で普通に行動しているが、その「現実」を知覚出来ない周囲の人間からはパントマイムに見えているのではないか、との謎も残るものの、死者に口なし。

■インディアン、嘘つかない?
 なにしろ全編が「信頼できない語り手」の「語り/騙り」ということで、手がかりにしようと思った記述が「騙り」である可能性は常に開かれている(笑)?

■と、まあ、すぐに目につくものだけでも、この通り。よくもこれだけ読者の解釈の自由度を刺激する仕組みを入り組ませたもの。読書会での他の方々ご意見でさらに新しい視点が得られることを期待して臨みます。
 因みに、いろいろ書き連ねていながら、実は『双生児』だけ未読です。すみません。>古沢センセ
 読書会の後、買いにいきます(笑)。

■その昔、ムーンライダーズの「December's Moonliers」というタイトルのライブがあった。MoonridersならぬMoonliersって、なんのこっちゃ、と思って入場すると、冒頭からMCで「今日はヴォーカルなしでいきます」と、言ったそばから歌い出したり、必ずMCで嘘をつく、という趣向で、妙な進行のライブを聴いているうちにタイトル(12月の嘘月=嘘つき)を思い出した人だけが趣向に気づく、というある意味アクロバティックな構成であったが、今にして思えば、最初から嘘をつくと宣言してちゃんと嘘をつく、というあたりがちょっとプリーストっぽいかも(笑)。

■と、話がムーンライダーズ方面になったところで、今回の編集のBGMはかしぶち哲郎「彼女の時」ということにしておきたい。このアルバムに限らず、氏のムーディでエロティックな楽曲の数々は、「無限諸島」シリーズの雰囲気にも親和性があるような気がする。かしぶち哲郎氏のご冥福を改めてお祈りします。

(編集のBGM かしぶち哲郎「彼女の時」)


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