編集後記#45
ライカ犬とトトロと千年の魔法
たこいきおし


■ここまで、なんだか自分の中の琴線を刺激するいくつかの作品について、過去に書いた雑文を再録してみた。
 自分でも読み返してみるまで書いた内容を一部忘れていたりもしたのだが、ちょっと、自分の頭の中を棚卸ししたような気分ではある。で、こうして棚卸ししてみると、自分にとって『マイマイ新子と千年の魔法』という作品がいかにジャストミートだったのか、ということがあらためて確認できたようにも思う。ということで、ここからは、現在の視点からの雑感を散文的に書き留めてみたい。

■因みに、初めて読まれた方への自己紹介をしておくと、本職は旧三田尻駅前に看板のあった某ビールメーカーの研究&開発職で、足かけ6年ほど、大麦やホップの新品種の試験醸造の仕事をしていたので、ビールメーカーの平均的な社員と比べても大麦やホップには詳しい部類だと思う。

■もともと『マイマイ新子と千年の魔法』を知ったのは公開直前のWEBアニメスタイルの紹介記事だった。
 日本アニメーション〜ジブリ的なテイストのキャラクターデザインやあらすじ紹介などで「いかにも好みっぽい作品だなあ」とは思ったのだが、不勉強にして、この時まだ片渕監督のキャリアや過去の作品は意識していなかった。
 劇場公開時にはMOVIX清水(静岡市清水区)で観た。その初見の第一印象は1ページ目にも書いた通り「ビール大麦が風に揺れているなあ」だったのであるが、もちろん、この映画から受けた印象はそればかりではない。

■例えば、新子たちの日常の生活描写は、子供の頃のいろいろなことを想い出させてくれた。
 自分は幼稚園で1回、小学校で1回の転校を経験しているのだけど、知り合いのいないところに初めて通う時の心細さ、とか。男子としてはおとなしい部類だったんだけど、ちょっと乱暴な同級生が自分のお気に入りの文房具を勝手に持っていって、ぼろぼろにして返してよこした時のなんともいえない悲しい感じとか。ふだんは遊ばない同級生と遊び始めて、なぜかアメリカザリガニ獲りに夢中になって、暗くなるまですごい数のザリガニを獲ってしまった時のこととか。新子たちが作ったような毎日みんなで遊びにいけるほどのしっかりしたダムではなかったけど、宅地造成途中の土肌の見えるような山あいの場所で、ちょろちょろ流れている水をせき止めてダムを作るのに、どろんこの中で丸一日夢中になったこととか。どちらかといえばインドアなタイプだった自分のような小学生でも、掘りおこしてみるとこのくらいの想い出はごろごろ出てくるのが昭和という時代か。
 あと、田舎の小学校だったので、3年生の途中で新築の鉄筋コンクリート校舎に移るまでは年季の入った木造校舎で机も椅子も木製だった。このあたりの描写にもリアルな郷愁をそそられる。

■先の雑文(映画の宝箱─ライカ犬とトトロのこと─)で『となりのトトロ』『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』について論じた共通項を『マイマイ新子』にあてはめてみるなら、この作品の中でトトロ、ライカ犬に相当するものはもちろん「千年の魔法」であり、そして、サガの存在に相当する通過儀礼がタツヨシの父にまつわるシークエンス、ということになるかと思う。

■先に引用した通り、『となりのトトロ』ロマンアルバム所収の宮崎駿監督のロングインタビューでは「いたましい話は作りたくない」というある種の製作姿勢が語られている。
 先の雑文を書いた時点では、若気の至りで、その創作姿勢を宮崎監督の弱点のように感じていた。そのあたりのニュアンスが雑文の最終節のあたりに微妙に残っていたりする。
 そんな雑文を発想したきっかけはといえば、実は『魔女の宅急便』が(ラストの飛行船騒ぎを除いては)思春期の女の子の心理を丹念に描くことを指向していると感じられたことにある。その作風が深化していけば、あるいは宮崎版『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』のような作品がこの先作られることがあるかもしれない、という願望が、今にして思えば、この雑文に込められていたかもしれない。
 『マイマイ新子』を観たとき、自分が「そういう映画を観たい」と、思っていたことも想い出した。昭和30年代あたりを舞台に、子供たちの日常を生き生きと描きつつ、時に、垣間見える大人の世界と対峙せざるを得ない子供たちとその成長を淡々と描いていくような、そんな映画を。
 『トトロ』から20年あまり。日々の生活の中で、自分が「観たいと思っていたこと」も忘れつつあった2009年になって、まさに「観たいと思っていた」、いや、そんな願望のはるか上をいく映画を観ることができた。そう思えた。

■最後に、自分の専門の観点からの考証をひとつだけ。
 職場の書庫で日本国内のビール大麦の栽培史をひもといてみたところ、ビール大麦の品種交配が国内で活発になったのは昭和40年代であり、『マイマイ新子』の頃の年代に山口県内で栽培されていたのは品種交配が進む前の改良ゴールデンメロンであったことがわかった。作中で風に揺れていたビール大麦はこの品種だったろう、と推察される。
 次に『マイマイ新子』を観る時に、そんなこともちょっとだけ想い出してもらえれば、探検隊に合わせてこんな小冊子を作ってみた甲斐も多少はあろうかというものである。


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