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第48回 “我はその名も知らざりき”
 掲載誌 糸納豆EXPRESS Vol.21. No.1.(通巻第36号)
 編集/発行 たこいきおし/蛸井潔
 発行日 2003/05/03


 唐突ではあるが、最近、NHKのドキュメンタリー・シリーズ「プロジェクトX」にハマって、毎週観ている。左遷された技術者たちがVHSを開発し、βを打ち負かした話とか、日本独自のDKという部屋の形態を発明した愛妻家の住宅公団職員と女性建築家の話とか、一般的には知名度の低い人たちが達成した大事業についてのドキュメンタリーなのだが、NHKの取材力と豊富な映像資料を生かしまくった好企画で、実は毎回目頭を熱くしながら画面に見入っている(笑)。

 と、そんなある日、自分がどうしてこの番組にこんなにハマっているのか冷静に見つめ直してみたところ(笑)、あったのである(笑)。その先駆ともいうべきマンガが(笑)。それも、もう10年以上前に。てな訳で、今回のテーマは「我はその名も知らざりき」ということで……。

「もう、こんな楽園は二度と現れないような気がするね」

 台詞はかつてヤングジャンプに連載されていた伊藤智義原作・森田信吾作画による『栄光なき天才たち』第26話「理化学研究所」編より。

 科学者、スポーツ選手、実業家、ジャーナリスト、と、各界である時光を発し、その後歴史の中に埋もれていったような人々をピックアップして描かれた実録ドキュメンタリー風コミック『栄光なき〜』であるが、「リケンなんとか」という会社名や商品名に現在もその名を残し、その本体は財団法人として活動を続けている理化学研究所の興亡史を描いた本編は、科学者・医学者ネタの多かった『栄光なき〜』の中でも、その集大成といっていいような内容となっている。


 この原作者の伊藤智義という人が、当時理系の大学院生であったという話は一部では有名な話であったが、たこいがこのマンガに本格的にハマった経緯を説明するには、コミックスで1巻に収録されている第5話「鈴木梅太郎」編のことを抜きにする訳にはいかない。

 農芸化学者でありながら当時難病であった脚気の原因の研究に取り組み、オリザニン(ビタミンB1)を発見してビタミン学の先駆的な業績を上げながらも、ノーベル賞の対象となることができず、一般的な知名度は現在もなお高いとはいえない鈴木梅太郎は、まさに「栄光なき天才」であるが、東北大学農学部農芸化学科在学中にたこいが所属していた研究室は、3代くらい前の研究室発足時の教授がその門下生だったとのことで、教授室には現在でも、鈴木梅太郎の肖像写真が歴代教授の肖像とともに飾られていたりするのである。

 たこいが大学院に上がった年に赴任してきた教授は、教授室に学生を集めて酒盛りをするたびにその肖像を指差しては、「君たちは農芸化学の本流を継いでいるのだから頑張らないといかん」というような内容のことを発言していたものであった。

 その教授本人も、まあ酵素学の世界ではその名を知らないともぐりといわれるほどの大変なえらい人なのであるが、さておき、ちょうどその頃ヤングジャンプ誌上に連載されていた『栄光なき〜』の中では、鈴木梅太郎先生はいきなり両手に野菜を持って珍妙な歌(笑)を歌いながら大学の構内を踊り歩くような変人(笑)として描かれており、あまりにタイムリーであったことから、研究室の学生の間では一大鈴木梅太郎ブームが巻き起こったのであった(笑)。

「さあ! さあ! さあ!
 大河内さん。どちらが本物の清酒か食通のあなたにわかりますかな?」

 鈴木梅太郎をトップとする鈴木研は、物理学の仁科研と並ぶ理研の2大勢力といわれるほど重要な位置を占めていた。というのも、そもそも理化学研究所の隆盛というのは鈴木研が開発した「理研ビタミン」に端を発していたからである。

 「理化学研究所」編は、財政的に火の車であった理研が「理研ビタミン」の成功により独立収入の道を開き、後の「研究者の楽園」の基盤を打ち立てるところから物語が始まる。

 台詞は、その後の鈴木研の目玉商品となる合成清酒「理研酒」開発に絡んでの鈴木梅太郎と理研所長大河内正敏とのやりとりから。今では知る人も少ないのだが、かつては、そういう合成清酒が普通の日本酒と並んで市場に出回っていたのである。醸造用アルコールの添加にすら抵抗を示す現代の酒好きの人からするととんでもないと思われるかもしれないが、ここには食糧が今ほど潤沢ではなかった時代に「小麦が主食の国では大麦から酒を造っているのであり、主食の米を嗜好品である酒の原料としている国は日本くらいである」という確固たるポリシーがあったのである。飽食の現代人には、なかなかに耳の痛い話なのではなかろうか(笑)。

 因みに、たこいの職場の書庫にはその歴史に裏打ちされた古書的な研究関連の文献が数多く眠っているのであるが、一時期、書庫を整理するとかいって戦前の出版物が大量に処分されてしまったことがあった。その際、処分される本の中に鈴木梅太郎『研究の回顧』という著書を発見してしまったたこいが、とるものもとりあえずその本を保護したことはいうまでもない。

 因みに、その本は、今もたこいの部屋にある。


 ドキュメンタリー風コミックという作品の性格上、巻末には必ず参考文献があげられていた『栄光なき〜』であるが、この「理化学研究所」編に関しては、参考文献というより、ほとんど原作といっていい種本が存在している。宮田親平『科学者たちの自由な楽園〜栄光の理化学研究所』がそれである。

 この本は、味の素〜グルタミン酸ソーダの発見者である化学者・池田菊苗がロンドン時代の夏目漱石の心の支えとなっていた、という意外なエピソードに始まり、その池田菊苗を設立メンバーの一人として紆余曲折の末に誕生した理化学研究所が歩んだ決して平坦ではない道のりを、農芸化学や物理学といった主流の研究室のエピソードから、理研コンツェルンの形成と崩壊といった経済学的な側面まで含めて、あますところなく描いた力作ノンフィクションなのであるが、『栄光なき〜』「理化学研究所」編は、その中から、前述した農芸化学の鈴木研、物理学の仁科研の他、ひとつだけ、決して大勢力ではなかった異色の研究室のエピソードをセレクトしている。

「………。中谷くん。この自然界は不可思議な謎だらけだとは思わないか?」
「……はあ」
「世界は人智をはるかに越えている。
 だが、我々は人間であり、それに挑む事ができるんだ!」

 寺田寅彦。現在では物理学者というよりは、夏目漱石門下の随筆家という側面の方が一般的にはクローズアップされているきらいはあるが、そもそもこの二人の関係は、夏目漱石が作家になる以前の教師時代の師弟関係に始まるもので、漱石の数多い弟子の中でも〜物理学者という異色の肩書き(?)を抜きにしても〜ある種別格の存在であったといわれている。

 その寺田寅彦も、人数も少なく、期間も長くはなかったが、理研に研究室を開いていた時期があった。

 台詞は、量子力学が主流となっていた当時の物理学の世界で、あえて本流を外れた地道で地味な研究を行なっていた寺田研の研究者中谷宇吉郎が、仁科研の研究者たちに揶揄されて力を落としているところを、寺田寅彦がそれとなくはげます、というシークエンスであるが、これはたぶんこのマンガの創作だと思う(笑)。

 その中谷宇吉郎は、その後北海道大学に移り、「人工雪の研究」で雪の研究の世界的権威となるが、随筆の名手としても知られ、物理学の研究の面でも、文筆の面でも、立派に師匠の後を継ぐことになるのであるが、それはまた別の物語である。

 この時期寺田寅彦が行なっていた研究は、「形の物理学」とでもいうべき一風変ったものであったが(電気火花の研究、割れ目の研究など)、その中には、今でいえばフラクタルのような概念の萌芽も含まれており、ある意味先駆的すぎたという見方もできるかもしれない(笑)。ただし、鈴木研のように理研の経営を左右するような研究ではなかったのもまた確かなことではある(笑)。

 因みに、前述のたこいの職場の書庫の蔵書の中には、かつての理研の研究報告などもあって、中谷宇吉郎が短い理研寺田研時代に行なった「電気火花の研究」は、その中にちゃんと発見することができた。長い会社生活の中でも、この職場に勤めてよかった、と思った一瞬であった(笑)。


 寺田研のエピソードは、『栄光なき〜』の中では理研の「楽園」の時代の象徴としてセレクトされたものだと思う。出勤退出は自由、昼からテニスに興じる研究員もいたという、今でいえばフレックスタイム制……というよりは大学の研究室の方がよほど近いか(笑)? そんな制度的面での自由だけでなく、研究テーマも研究予算も自由。初期においてはその方針が財政的危機を招いたこともあったが、その自由な環境下から生まれてくる研究成果の事業化が軌道に乗って来た時代には、まさに研究者にとっての「楽園」であったという。

 それは、科学上の新しい発見が、即応用技術に結びついた現代科学の黎明期だからこそ成立し得た「楽園」といえる。現在、例えば製薬会社などがひとつの薬を開発、商品化するためにどれほどの人員と費用をかけているか、などを考えると、同じような人員、環境を整えたとしてもそんな「楽園」を作り出すことは不可能といっていい。

 また、その成立のためには研究者のスタンスを深く理解し、なおかつ経営者としても卓越したトップの存在が不可欠である。伝統的に科学の基礎研究に理解を示さない日本の風土の中にあって、奇跡的にそのような資質を持っていた大河内正敏という人が所長をしていたのが、理研にとっての最大の幸福だったのであろう。

「軍人たちは何もわかっていない! 戦争は戦術や兵器の問題ではない! まず第一にぶつかり合う国力、工業力の問題なんだ!
 アメリカのような工業大国相手に何年も戦争が継続できると思っているのだろうか?」

 寺田研のエピソードの後、「理化学研究所」編が描くのは、研究成果の事業化により急成長した理研コンツェルンの行き詰まりと、戦時中仁科研が行なった原爆研究の顛末である。

 学者としての専門は造兵学であった大河内正敏にとっては常識であったこの台詞のような認識が、当時日本の中枢にいた政治家、軍人にはなかったことがこの国にとっての不幸であったわけだが、ともあれ、戦争という時代は理研にも大きな影を落とし、少しでも工業力の増強に寄与するべく強引な事業展開を行なった理研の経営は破綻に近づき、また、物理学の仁科研では軍部の依頼による原爆研究が細々と行なわれていた。

 日本の原爆研究は成就しなかったのであるが、『栄光なき〜』ではこれ以前にアメリカにおける原爆研究の光と影を描いた第4話「エンリコ・フェルミ」編などもあり、通して読んでいると日本とアメリカの科学研究に対するスタンスの違いなどもほの見えてくる、という仕組みになっていた。

 理研コンツェルンは、敗戦の後GHQの集中排除法により解体され、理研は収入源を絶たれ新たな再出発を余儀なくされる。1ページ目に引用した台詞は、その時期に往年の理研に思いをはせた仁科芳雄がつぶやいたものであるが、これもたぶん、このマンガの創作ではないかと思う(笑)。

 とはいえ、元ネタとなる情報の蓄積からそのエッセンスをうまく抽出して演出されたその創作こそが、単なる事実の羅列ではない『栄光なき〜』の持ち味であり、そういう面で、このシリーズほど成功した作品は空前絶後のような気がする。

 「プロジェクトX」は確かに感動的であるが、それはNHKならば当然実現可能なものであろう。ヤングジャンプというあまり知能指数が高いとはいえない(笑)青年誌において、ドキュメンタリーがエンタテイメントたり得るということを示した『栄光なき〜』というシリーズの存在もまた、今にして思えば一種の奇跡だったような気がする。


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