お楽しみはこれからだッ!!
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第46回 “未来史たち”
 掲載誌 糸納豆EXPRESS Vol.17. No.2.(通巻第34号)
 編集/発行 たこいきおし/蛸井潔
 発行日 1999/12/24


 唐突ではあるが、最近、光瀬龍の訃報を聞いた。ここ数年、第1世代のSF作家やトキワ荘世代の巨匠マンガ家の訃報がぽつりぽつり聞こえてくるのは、その人たちの作品で人格形成をしてきた世代の人間としては、淋しい限りである。

 その追悼の意味……を込めたわけではそんなにないのだが、今回は「未来史たち」というテーマでまとめてみたいと思う。

「ねえ…あの人の名前は、なんていうの?」
「………ロック」
「ロック? …なに?」
「ただのロックさ。
 もっともみんなは彼を、超人ロックと呼ぶが」

 台詞は聖悠紀『超人ロック』「魔女の世紀(ミレニアム)」より。

 コミック同人誌の世界が今のような同人誌だけで完結してしまう世界を作り上げる以前、マンガの同人誌というのは、明確にプロのマンガ家を指向する人々の集まりで、作画グループはその中にあって、その規模、送り出したマンガ家の人数においておそらくは日本最大のサークルであり、聖悠紀はその中でも筆頭といっていい存在である。

 余談ではあるが、作画グループを代表するもう一人の顔といえば、これはもう文句なくみなもと太郎であろう。考えてみれば、みなもと太郎がマンガ少年に連載した「お楽しみはこれもなのじゃ」がなければ、この「お楽しみはこれからだッ!!」もないわけで、普段意識したことはなかったが、実はたこいは作画グループの方角に足を向けては眠れない人間だったのである(笑)。ま、作画グループの方角というのはよくわかんないけどね(笑)。


 人類が宇宙へ進出を果たした宇宙世紀の世界。その世界の歴史には、巨大な超能力を持つ一人のエスパーの姿が表に裏に、常に見え隠れしてきた。そのエスパーの名前は……超人ロック!

 作画グループにおける肉筆回覧誌(!)に端を発し、現在もなお描き継がれている『超人ロック』は、1300年以上に渡る時間軸を持つ、一つの巨大な未来史を形成している。

 ただ、面白いと思うのは、『超人ロック』における未来史SFという側面は、初めのうちそんなに色濃いものではなかった、ということである。同人誌時代の幻の作品群(「ニンバスと負の世界」「この宇宙に愛を」「ジュナンの子」「コズミックゲーム」)にしても、初めて商業出版された「新世界戦隊」にしても、個々のエピソードはいわゆるESPテーマのストレートなSFであり、未来史的な世界の広がりを感じさせるものではなかった。

 とはいえ、『超人ロック』にはもともと年表は存在しており、それは「新世界戦隊」を出版した新書館から出ていたムック『超人ロックの世界』などでも紹介されていた、いわば周知の事実ではあった。しかし、その未来史的側面が開花したのは、『超人ロック』が本格的に商業誌に進出し、今はなき週刊少年キング誌上で長期連載を行なったことによる。

「人間はジャングルに住む虎じゃない!」
「人間?
 私たちは人間じゃないわ!
 すくなくとも
 すくなくとも私は人間ではない!
 私は宇宙海賊
 炎の虎!!」

 台詞は、その少年キングにおける連載の記念すべき第1作」「炎の虎」より。

 同人誌時代の4作品は、初めの3作品が宇宙世紀1000年代、既にロックが伝説の存在となっている世界を舞台にしているが、第4作「コズミックゲーム」は時代を遡り、宇宙世紀200年代における超人ロックの「誕生編」的なエピソードとなっていた。「炎の虎」はその直接の続編であり、続く「魔女の世紀(ミレニアム)」「ロードレオン」まではそのまま経年的にエピソードが語られていた。作品的にもロックと、対立するエスパーとの対決がメインであり、個々独立したエピソードであった。

 しかし、連載第4、5作「ロンウォールの嵐」「冬の惑星」は人類が他星系に植民星を持ち始めた宇宙世紀100年代に遡り、植民星ロンウォールの独立戦争をモチーフに、地球の人口爆発と、なかなか進まない植民星開発とのジレンマが描かれる。それ以前の作品はいずれもSFとしてはESPテーマに属するものであったが、この作品以降、宇宙SF的な側面が色濃くなってくる。

 その後、年表をさらに遡り、宇宙開発黎明期におけるサイボーグ開発をめぐる悲劇を描いた「サイバー・ジェノサイド」の後、連載は宇宙世紀300〜900年代までの年表を埋める形でさまざまなエピソードが語られていくことになる。

 その未来史の中では、地球を中心とする連邦が一度汎銀河戦争によって崩壊し、混乱の中から銀河帝国(!)が生まれ、帝国の支配に対するレジスタンスが徐々に勢力を広げ……という一大年代記が語られていくことになる。

 ハインラインやアシモフを筆頭に、SFの未来史にもいろいろあるが、ESPテーマのSFからスタートしてついには銀河帝国の興亡まで描いてしまった未来史は世界的にも極めて珍しいのではなかろうか。


 『超人ロック』が銀河帝国の興亡を描いていたのは1980年代前半のことであるが、この時期、活字SFの世界ではそこまであからさまな未来史は鳴りを静めていたといえる(同時期に未来史を描いていた作家は大原まり子などいなくはないが、黄金期のSFの未来史とは趣がかなり異なる)。

 それはやはり、活字と絵の表現の違いによるところが大きいのだと思う。活字の分野では30年以上も前に手垢がつきまくってしまったスペースオペラや宇宙SFが、20世紀も終わろうという現代にあって、映像の分野ではむしろ映画『スターウォーズ・エピソード1』やアニメ『カウボーイ・ビバップ』のような形でむしろ市民権を拡大しているかに思えるのは、手垢のつき具合(笑)という側面ももちろん無視できないが、映像というメディアが持つ圧倒的な説得力によるものではないだろうか。

 聖悠紀の絵柄は、ここ20年ほどほとんど不変である(笑)。しかし、もともと古典的ではありながらもどこかシャープで洗練された印象を与えていたその絵柄は、90年代のマンガ界にあっても意外に古びていない。そしてそこにはSF的なアイデアやガジェット、さらには宇宙のスケール感、空虚感がほどよく表現されていると思うのである。

 もちろん、絵柄だけではなく、作家的な資質もある。『超人ロック』のさまざまなエピソードを読んでいると、そこから感じられるSF的テイストはほぼ黄金の50年代SFのそれではないかと思う。

 ところで、マンガの世界において数千年に渡る年表を埋める形で進行した作品というと、手塚治虫『火の鳥』がまず筆頭に上がるのではないかと思うが、さて他に……と頭をめぐらせてみても、『超人ロック』の他には意外と類例を思いつかない。まあ、この2作が同列に語られる例というのはあまり聞いたことがないが(笑)、一つ共通しているのは、掲載誌の休刊により発表舞台が転々としている(笑)、ということがある。

 共通した時間軸の中で語られる異なる物語、個々のエピソードから世界の全体像を想像する力を読者に要求する物語……それは確かに、雑誌連載という形態では読者を惹きつけにくい(雑誌売上にも貢献しない(笑))ものであるのは間違いない。そういう意味では、未来史マンガというのは、作家の資質と、それを受け入れる発表雑誌がうまくカップリングしないと成立しないものなのかもしれない(笑)。

 とはいえ、未来史年表にこだわって描き継がれているマンガも決して皆無という訳ではない。

「父様…」
「ん?」
「私が…醜い姿であっても……
 この体が元に戻らなくても…」
「……私はお前の創造者だ。
 たとえお前がどんな姿であろうと…
 私は…愛しているよ……ビルト…」

 台詞は永野護『ファイブスター物語』第4話「放浪のアトロポス」編・最終エピソード「ビルトの右脚」より。

 この宇宙ではないジョーカー星団と呼ばれる世界。そこでは、旧文明の生み出した戦闘人間の末裔にして超人的な能力を持つ「騎士」、生体コンピューターとして騎士をサポートする人造人間「ファティマ」、騎士とファティマのコンビネーションで圧倒的な戦闘力を発揮する巨大ロボット「モーター・ヘッド」、ファティマやモーター・ヘッドを生み出す「マイト」と呼ばれるマッド・サイエンティストたち、を軸として、さらに人類を超える知性を持った生命体「ドラゴン」や時空、次元を超えて跳梁する神々や悪魔たちまでが絡み、極めて錯綜した物語が展開されている。


 『火の鳥』でいえば火の鳥にあたる、物語全体を通して登場する狂言回しの存在、という点では、これらの作品には共通項がある。不老不死であり、数千年に渡るストーリーに表から裏からかかわり続ける存在、それは『超人ロック』ならばロックであり、『ファイブスター物語』においては、主人公にして全知全能の神(笑)、天照の帝である。

 まあ、これは物語を一つのシリーズとして成立させるための必要要素でもあるわけだが、ハインラインの未来史でも、長命人ラザルス・ロングが2300年生きていたことを考えるならば、この手の存在というのはもしかして未来史SFの基本か(笑)?(……ってのは、まあ冗談だけど(笑))

 とはいえ、物語の構成にはそれぞれ特徴がある。『火の鳥』は遠い過去と遠い未来から、過去と未来のエピソードを交互に行き来しつつ、現代を目指して進行していた(道半ばにして手塚治虫の命の方が尽きてしまったわけだが)が、『超人ロック』は前述の通り、年表をランダムに埋めていく形で進行している。それに対して、『ファイブスター物語』は物語全体のイベントを事細かに設定した年表があらかじめ存在しており、それらのイベントが作品の中でランダムシャッフルされたような形で語られている。いわば、作品と年表の主従関係が正反対で、『火の鳥』『超人ロック』では作品が描かれた結果として年表が形成される(作品が主)のに対して、『ファイブスター物語』では年表の方が主なのである。

 また、『火の鳥』『超人ロック』の個々のエピソードが基本的には独立したもので、ストーリー的にもテーマ的にもバラエティに富んでいるのに対して、『ファイブスター物語』では、物語は(構造的に錯綜しているとはいえ)単一のものであり、ランダムに挿入されるごく短いシークエンス群が年代的に数千年に渡ってはいるものの、メインのストーリーの流れの上では連載開始から13年を経て、実は13年しか時間は経過していない(笑)。

「どのみちハスハ議会はオレたちに全責任を押し付けて丸く収めるんだ。だからな、トランの大統領と剣を交えるのはオレでなくちゃならんのだ!!
 そうすればオレの首だけで済むじゃねえか。部下に責任はない。
 大統領閣下に剣を向けたのはオレだけだ。
 それでいいんだ!!」

 台詞は、『ファイブスター物語』第5話「ザ・シバレース」編・「被皇帝們玩弄之木偶」より。

 『火の鳥』のマンガ少年。『超人ロック』の少年キングにあたる、心ある(笑)掲載誌は『ファイブスター物語』においてはアニメ雑誌ニュータイプである。アニメージュの宮崎駿『風の谷のナウシカ』に対抗(?)するアニメーターのマンガを求めていた新進(当時)アニメ雑誌の要求に、永野護という新進(当時)アニメデザイナーがうまくハマった、といったところか(笑)。

 しかしまあ、『火の鳥』はSFファンに限らず万人に、『超人ロック』はSFファン万人にオススメしてかまわないと思うのだが、『ファイブスター物語』は万人には絶対にススメないな(笑)。物語構造がわかりにくいだけでなく、「マンガとして」手法的にもわかりにくい(特に、単行本3巻あたりまでは、ただ単に下手くそなマンガである(笑))。

 それでも読んでみたい、という酔狂な人には、マンガとしてのテクニックが一応は洗練されてきた単行本6巻あたりからとりかかってみることをオススメする。なに、エピソードはどうせランダムシャッフル状態(笑)なんだから、どこから読んだって一緒ですよ(笑)。


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