お楽しみはこれからだッ!!
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第29回 “大衆文化の系譜”
 掲載誌 アダルトパワーメイクアップ!
 編集/発行 田中智之/SMAD(セラムンアダルト同盟)
 発行日 1994/5/5


 毎回掲載誌を変えるという変則的連載を続けてもう足掛け6年。連載29回の今回はもしかすると今までの掲載誌でいちばん怪しいかもしれないぞ(笑)。

 ま、それはそれとして(笑)、今回のテーマは“大衆文化の系譜”、ということで行ってみよう。

 …朝目覚めると、真っ白なレースのカーテンが風にそよいでる。
 部屋の鳩時計が7時を告げて、『いつまでも寝てると遅刻するわよ』って、ママの声。わたしはまどろみながら、『もう3分だけ寝かせて』なんて思うの。
 毎日同じように遅刻して、先生に廊下に立たされて、テストで赤点なんてとっちゃう。
 学校帰りにみんなで食べるクレープ。ショー・ウィンドウに飾られたパーティー・ドレスにうっとりして。ちょっとしたことが楽しくてうれしい。
 そんな、そんな普通の生活に戻りたい。
 ……戻りたい。

 なにしろ掲載誌が掲載誌だけに、これを避けて通る訳にはいかないでしょう。“マンガの名台詞”という主旨からはちょっと外れるけど、アニメ版『美少女戦士セーラームーン』第1部最終回より。幻の銀水晶の力を開放して悪意のエナジーのかたまりクインメタリアを封印したセーラームーン=月野うさぎの、薄れゆく意識の中でのモノローグ。

 これは、世界の命運に関わる戦いに巻き込まれてしまった「普通の女の子」の日常への回帰願望、ということになる訳だけど、実は同じことを『セラムン』の3年前にやったマンガがある。


 もう一度
 原宿でみんなと遊びたかっ…

 と、いうわけで、高田裕三『3X3EYES』の第2部からの引用。

 この物語の主人公は平凡な女子高生綾小路ぱい(名前が平凡じゃないという説はあるな(笑))。ある日彼女の前に浮浪者のような身なりをした若い男が現われ、身辺に奇怪な事件が起こり始める。彼女は4年前以前の記憶を持っておらず、祖父母からは、香港旅行中に両親ともども交通事故に巻き込まれ、両親は死亡、自分もそれまでの記憶を失ったのだ、と教えられていた。

 若い男、藤井八雲は、彼女の正体が額に第3の目を持つ聖魔、三只眼吽迦羅(さんじやんうんから)であることを告げる。ある事情で記憶を失い香港の街をさまよっていた彼女を、事故で息子夫婦と孫娘を失ったばかりの老夫婦が日本に連れ帰り、孫娘として育てていたのである。

 彼女は記憶を取り戻すために藤井八雲とともにチベットへ旅立つ。旅の過程で三只眼吽迦羅の過去が明らかになる。300年前、一人の邪悪な三只眼、闇の王“鬼眼王(かいやんわん)”を封印するため一族の間で激しい戦いがあった。その戦いで鬼眼王は封印されたが、一族も彼女一人を残して死に絶えてしまった。

 彼女たちの行く先々に現れる妖魔たちの影には鬼眼王の下僕ベナレスがいた。彼女は4年前に単身ベナレスと戦い、その戦いで記憶を失っていたのだ。

 ……と、盛り上がりまくったところで『3X3EYES』にはとんでもないどんでん返しが仕組まれている。発表されて4年も経てばいいかげん時効だと思うのでネタばらしをしてしまうと(『3X3EYES』を読んでない人はここから先読まないでね(笑))、主人公綾小路ぱいは実は三只眼吽迦羅ではなかったのである。

 ベナレスは4年前の戦いの際、三只眼吽迦羅“パイ”にある術を施した。それは、相手の人格を封印するために異なる第2の人格を付与するという術であり、“綾小路ぱい”の人格はその時“パイ”に強制的に植えつけられたものだったのである(彼女の本当の正体はベナレス配下の水妖“化蛇(ほうあしお)”)。

 そのことを知らない藤井八雲と仲間たちは“ぱい”を守るためにベナレスに決死の戦いを挑むが、次々と倒されてゆく。彼らを助けるためにはベナレスの施した封印を解き三只眼吽迦羅の本当の力を開放しなければならない。しかし封印を解けば、“ぱい”自身は以前の“化蛇”の姿に戻り、“綾小路ぱい”としての4年間の歴史も、八雲たちとの関係もすべて失われてしまう。

 そして、すべてを受け入れて自分からベナレスの封印を解いた“ぱい”のモノローグがこれ。「ささやかな日常」への回帰願望が切ない。

 その後日談。三只眼吽迦羅の力が起こした奇跡で“化蛇”は人間“綾小路葉子”へと転生した。そのくだりの台詞がまた、『セラムン』とよく類似しているので並べて引用してみよう(笑)。やはり「カッコいい彼氏」をみつけるのは「普通の女の子」の共通の夢なのであろうか(笑)。

「でも……。いい名前よね、八雲って。
 そんな彼氏がほぴー」
(『3X3EYES』)

「げー。やめてよ。わたしにはちゃんと夢があるんだから」
「夢?」
「そう。どんな時でもわたしを助けてくれる、カッコいい彼氏を見つけるって、夢よ」
(『セーラームーン』)


 とはいえ、こういう「日常への回帰願望」が感動の効力を発揮するためには、そこに到るまでの物語に「日常」が充分に描き込まれていることが前提なのはいうまでもない。あと、一回使っちゃったら二度は使えないね(笑)。

 『セラムン』も『3X3EYES』も今回とりあげた感動のラストの後、よりハードな物語展開に突入してしまい「回帰するべき日常」が物語から失われている。どういう結末を迎えるにしろ“あの感動”はもう味わえないに違いない。ちょっと淋しい気はする。

 閑話休題(笑)。

 さて、今回のテーマ“大衆文化の系譜”というのは、今僕らが目にしているほとんどの作品はその構成要素を過去の作品に求めることが出来るんじゃないか、というような主旨である。アニメの『セラムン』自体、どれだけの作品にその由来を求められるのか考えると、ほとんどきりがない。

 基本的には東映特撮の“戦隊もの”の形式を借りているとはいえ、セーラー服の女の子が戦う、というコンセプトは一連のTV版『スケバン刑事』がルーツっぽいし、クインメタリアの復活に呼応して太陽黒点が異常増殖するあたりは『仮面ライダーBlack』かな。あと、敵幹部同志の権力闘争というのは東映特撮のお家芸である。で、作品世界の雰囲気はきっちり少女ものアニメのお約束を守っている(笑)。

 うん。こうしてみると、『セラムン』というのは生まれるべくして生まれた東映アニメ/特撮作品の集大成かもしれない、って気がしてくるなあ(笑)。

「海ーのそこかーら
 うまそーなにおいが
 すーるわい
 潜水艦の台所ーで
 あーげたおイモが
 魚雷がたーっ」

 で、とーとつに東映とはなんの関係もない『サブマリン707』の話になるのである。このへんは“アダルト同盟”を十分に意識したネタの選択ということでご理解いただきたい(笑)。

 去年(93年)ラポートコミックスから出た『サブマリン707』完全復刻版を、懐しさも手伝って思わずいそいそと買い込んできてしまった(笑)。

 これが実に面白くて、ソナーだけを頼りにお互い見えない相手と交戦する潜水艦戦の迫力は今読んでもちっとも古びていない。ただ、20年以上もマンガを読んできたすれっからしの目で見ると、複雑な形状のメカニックを正確なパースで描写できる画力がありながら人物はオリジナルな魅力に欠けている、とか、潜水艦戦の迫力とは裏腹に、ほとんどのエピソードにおいて主人公たちの活躍とはほとんど関係ないところであっけなく話のけりがついてしまうストーリー構成とか、そんなところが欠点として目についてしまう。

 まあ。後者については、現実の世界で潜水艦一隻の活躍が世界を変えるなんてことが起こらないことを考えれば、これはこれで小沢さとる流のリアリズムなのだ、という見方もできなくはないけれど、ここはやはり、潜水艦戦を描くことこそがこのマンガの主目的で、ストーリーは「潜水艦戦が行なわれる状況」を作り出すためのものに過ぎない、と考える方が普通だろうな(笑)。

 そう思えるほどに『707』の潜水艦戦の描写には凄みがある。巷では、『707』がなければ『沈黙の艦隊』(これこそ「潜水艦1隻が世界を動かす」という話だな(笑))もなかっただろう、という人もいるくらいである。


 さて、TVアニメにはならなかった(と、いうか、放映開始直前までいきながら何故かポシャって、おクラ入りになったとか)『707』なのだけど、実は、明らかに『707』を原作としたアニメ、というのがある。賢明な読者諸君はもうお気づきであろう。そう。『ふしぎの海のナディア』である(笑)。

 ま、一応原作はジュール・ベルヌの『海底2万マイル』という名目になってはいるけど(笑)、全39話の過半を占める万能潜水艦ノーチラス号とネオ・アトランティスの怪潜水艦群との戦いは、まんま『707』の第1部「U結社編」といってもいい(笑)。

 こういうガイナックスの手法(構図から台詞まで『宇宙戦艦ヤ○ト』そのままというN-ノーチラス号の発進シーンも然り。いちいち挙げていたらそれこそきりがない)を全面的に肯定するつもりはないのだけど、「ほとんどの作品はその構成要素を過去の作品に求めることが出来る」という観点からすれば、最も極端な例としてこうゆうのもありかな、と、最近はそんなくらいに考えてみることにしている(笑)。

「合体したガンバスターをただのマシンと思わないでよ。
 コーチの! コーチの! コーチの心が、こもってるんだから──っ!!」

 同じガイナックスのおそらくは現在までの最高作『トップをねらえ!』より。この作品が初めからロボットアニメ版『エースをねらえ!』として作られたことは周知の事実だけど、「ロボット」の部分はきっぱり『ゲッターロボ』である(笑)。主人公タカヤノリコのこの台詞(『トップ』第5話のクライマックス)にもちゃんと原典がある。

「合体したゲッターをただのマシンと思うなよ」

 石川賢のマンガ版『ゲッターロボ』より(笑)。『ゲッター』では戦闘シーンで主人公がちょっと口走っただけのこの台詞、『トップ』でタカヤノリコが発した時には、原典とは比べ物にならないほどの感動を伴っていた(笑)。それは主人公が“おねえさま”を越える存在へと成長したり、コーチが不治の病で床に伏すとかいった、まさに『エースをねらえ!』そのものの物語がこの台詞のバックボーンに与えられているからである。

 ガイナックスの手法というのはとにかくこれに尽きる。借り物の台詞、借り物の感動でも、効果的に相乗させれば原典を越える(笑)。『ナディア』の潜水艦戦も『トップ』で腹から動力炉を引きずり出すガンバスターの最期も、それぞれ対応する『707』の潜水艦戦やゲッターロボの最期を凌駕して感動的である(笑)。庵野秀明が「アレは愛情表現です」といいながらパロディを行なう時、それは「原典」の欠点を自分の手で補うことによって、自分が子供の頃に抱いた「愛情」を再確認する作業、なのかもしれない。

 その作業に「彼ら」と同じマンガを読んで育った“アダルトな”世代(笑)が共感するのはある意味で当然のことだし、僕もなんのかんのいってガイナックスの作品はたいがい好きだったりする(笑)。ただ、あーゆーのは子供のいないところでこっそり楽しむ“大人の楽しみ”に近いものがあると思う。

 ガイナックスがアニメ界のメインストリームの一角を担ってしまっているという状況に、密室芸を白昼公衆の面前にさらしているような印象を受けてしまうのは僕だけかなあ(笑)。


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