書評

Special Thanks To Profeser.Toru Takahashi And Yasuhito Takatera

(「日本文学」・507号・日本文学協会・1995.9)

上原作和著『光源氏物語の思想史的変貌−<琴>のゆくへ』高橋亨

 

 平安朝の物語にとって「音楽」とは何だろうか。貴族社会の儀式や日常生活において、さまざまの「音楽」が奏でられ、鳴り響いていたことが、物語テクストには記されている。いわば風俗としての音楽を知り、実感的に追体験することが、物語の読みのリアリティを高めるために必要であろう。「音楽」は楽器の音とともに人の声、そして樹木を吹く風の音や虫の音にも響きあうものであった。それは「声」としての物語の〈語り〉とも通底している。

 上原は本書の意図について、「物語史における『うつほ物語』と『源氏物語』、さらに宇治十帖から後期物語の音楽へ、という、物語文学史の展開と収斂のインター・コースに見られる音楽の、思想史的位相の解明を企図すると同時に、それら物語文学の言説と響き合う楽の音の連関性、とりわけ、〈琴のこと〉をメディアとする〈物語文学の主題〉を解き明かしたい」(10頁)という。「音楽」をとおして「思想史的位相」とか〈主題〉を解明するというのは、いささか堅苦しく大上段にかまえすぎではないのかと、たぶん多くの人はまず思うだろう。そうなるゆえんは〈琴〉という七絃の琴の特性によるところが大きい。

 〈琴〉が物語の全体に鳴り響き、その主題的な意味性をもっとも明確に示しているのは『うつほ物語』だ。俊蔭が異郷からもたらした〈琴〉は十二、ひとたびは閉ざされ零落した家の再興が、俊蔭の女から仲忠そして犬宮へと、俊蔭一族の秘琴の伝承にかせられることを中心として、『うつほ物語』には源涼など他系統の〈琴〉の力も交錯し、超現実的な理念としての音楽が鳴り響く。『源氏物語』での〈琴〉は光源氏をはじめとする皇族系(王統)の楽器であり、それらの諸相と物語テクスト内の主題的な意味については、第二部「〈琴〉のゆくへ」に詳しい。

  往古、「楽之統」たる〈琴の御琴〉は、王者の宝器であった。(117頁)

 と「〈琴〉のゆくへ」は始まる。『初学記』所引の「風俗通」に「琴は楽の統なり。君子の所に常に御して、身を離れず」というのが、上原がこう書き始める根拠であった。しかしながら、儒教的な政教主義が理想とする「君子」と「王者」とには、その始めから矛盾やズレが含まれていた。そしてまた、正倉院御物「金銀平文琴」の装飾の絵解きの先行研究をふまえて、その神仙的世界が「竹林の七賢・稽康を髣髴とさせる老荘思想」、また「法華経変相図」など浄土思想の圏内にあることが、俊蔭漂流譚や「楼の上」の仏教思想まで通底するものだと位置づけられている。

 つまり、〈琴〉の音楽(より綿密には、平安朝では「音楽」は仏教にまつわり、その他は「楽」というべきだが)は、儒教や仏教そして道教的なイデオロギー、さらには神話的な民族伝承を多声的に交錯させて鳴り響き、それが物語の〈王権〉から孤独な心を慰める私的な生活の領域にまで多様な広がりをもって関わる。こうした諸相は、これまで出典論としての研究を積み重ねられてきたのだが、私はかつて、「それらを複合する物語的な想像力としておさえたい」(『物語と絵の遠近法』120頁)と記した。これを承けた上原は、「〈琴の御琴〉そのものが物語の思想の〈換喩〉であることを証し立ててもいる」と言い換えている。

 上原が〈隠喩〉でなく〈換喩〉というのは、それが共時的な一対一対応の意味性としての〈隠喩〉ではなく、通時的な意味変換のズレを内在した〈換喩〉としてであろう。けれども、その用語の差異は必ずしも明確だとはいえない。上原のもうひとつのキーワードは〈話型〉であるが、それは〈琴〉にまつわる漢詩文の出典考証を徹底し、そのプレテクストの文脈を〈話型〉としておさえることから物語テクストに潜在する主題(意味)性を論ずる方法にかかわっている。

 本書のすぐれた成果は、比較文学的な出典考証として示されている。その出発点となるのは、『うつほ物語』の「こか」が、「胡笳十八拍」ではなく、謝希逸『琴論』などによる王昭君伝承の曲と確定し結びつけたことである。これはさらに、『源氏物語』若菜下巻の女楽で女三宮が〈琴〉を弾く「こかのしらべ」をこれまでの諸注が「五箇の調べ」とするのを批判し、これも『うつほ物語』と同じ「胡笳の調べ」と確定することへと発展する。ここまでは、みごとな成果として賛成するのだが、その先に問題がある。

 上原は、「胡笳のしらべ」にまつわる王昭君伝承が、匈奴の王の没後にその子を嫁ぐ「母子相姦」のモチーフをもつことから、これを〈話型〉とすることによって、光源氏と藤壺との密通事件のプレテクストととらえ、さらに、柏木と女三宮の密通の物語の「導火線」だという(第一部V「光源氏の秘琴伝授」)。これについても、かつて私は「源氏物語の〈琴〉の音」(季刊iichiko、92.4)において言及し、疑念を保留しておいた。上原は序文でこれに答えるかたちで、自説を再認識している。これによって私の疑念がすべて解明したのかといえば、そうでもない。

 『源氏物語』の絵合の巻で、「王昭君」は「長恨歌」とともに「事の忌み」があるからと、光源氏は選から排除していた。それは王の后が悲劇的な結末をとるからだ。「王昭君」のばあい、匈奴の王へと嫁して異郷に流離したまま没したという悲劇ではあっても、その子に嫁した「母子相姦」という解釈が平安朝にあったのかどうか。それはプレテクスト論による解釈コードのひとつとしての可能性ではあっても、いまひとつ確証がないのだ。

 雅楽は本来「王者の原罪の慰撫」の機能をもつから「王権の具現者・光源氏は、須磨や六条院で、何のてらいもなく『王昭君』を奏でられた」という私への回答(6頁)にしても、納得はしがたい。ついで次のような発言があるのも、総括的な図式とはいえ、あまりに不用意な〈隠喩〉的解釈で、〈換喩〉としての主題性の多声法やゆらぎを見失うことへと通じないだろうか。

 

  ……『うつほ物語』の〈琴〉の言説は、俊蔭一族の楽才が帝の権威をも凌ぐ、「反天皇制の家の物語」を生成するのに対し、『源氏物語』の〈琴〉の言説は、光源氏王権の主題を表徴する「宝器」として、物語の秩序形成に大きく参与し、「特殊な王の物語」を生成するという、二つの〈文法〉に拡散してゆく差異のあることである。(6頁)

 

 『源氏物語』そして『うつほ物語』の書かれた時代にあっても、〈琴〉はすでにその現実の奏法の伝承がとだえていたとみられている。いわば幻想の音楽であることによって、超現実的な霊力や、思想の理念を表象することが可能だったのだ。その主題的な意味の多義性や多様性については、物語の文脈に即して読み解かねばならず、上原もそれは「物語文学史」の過程としておさえている。そこに不満が残されるとすれば、出典考証がもたらす限定的な解釈と、テクスト論や読みの多声法とのあいだの方法的な矛盾であろう。

 上原はこの書物を、もっと考証学的で注釈学的な、いわゆる文献実証主義のスタイルで書くこともできたにちがいない。その次元での書評を試みることが礼儀としての前提であろうが、今の私には上原の指摘に学ぶばかりで、文献実証の批判的な再検討をする余裕がない。いきおい〈隠喩〉〈換喩〉〈話型〉といった術語にまつわる論の表層に私的なこだわりをくり返す結果となった。このことは、たぶん上原の意図を超えた二重の意味をもつ。

 ひとつは、いかなる文献実証も、論者の読みを原点とした主題論的なパースペクティブをもつということだ。おうおうにして、客観的な文献実証の学のスタイルをとる論者は、きわめて私的な見解をそこにすべりこませる。もうひとつは、現代の文学理論の術語によって論を展開するばあいにも、文献実証的な基本をふまえることは不可欠だということ。上原は、この両極を統合すべくラディカルに書きあげ、それを基本的には支持する私にしても違和の部分は残るということになる。

 『うつほ物語』や『源氏物語』に響く〈琴〉の音楽が、同時代の実体としてのリアリティをもたない理念であったとすれば、他方には和琴や箏や琵琶、そして横笛や催馬楽また神楽の歌声といった、王朝世界の現実を彩るさまざまの音楽もあった。あるいはまた物語を読む声や作中人物たちの声が、松風や虫の音とも響きあう。そうした王朝物語世界内の音の風景の総体の中で、理念としての〈琴〉の音の思想史的な意味や主題性を、もういちどゆったりとした気分で鑑賞しなおし位置づけてみるべきでもあろう。上原は復元された琴曲のCDも捜し出して紹介している。その超絶技巧は伝承がとだえたのもさもありなんと思わせもするが、多声的に響く音のゆらぎが超現実の想像力を誘うのであった。

(1994年12月20日 A5版 278頁 有精堂刊  定価8.240円)

(たかはし・とおる 名古屋大学教授)

Copyright(C)1995-8 Toru Takahashi. All rights reserved