書評

Special Thanks To Profeser.Kenji Sekine And Yasuhito Takatera

(「日本文学研究」35号・大東文化大学日本文学会・1996.2)

 

上原作和著『光源氏物語の思想史的変貌−<琴>のゆくへ』関根賢司

 

 本書『光源氏物語の思想的変貌−<琴>のゆくへ−』は、著者・上原作和が、たったひとつのキーワード「琴」にこだわり、その「ゆくへ」を追求することによって、

 テクスト『源氏物語』の内なる<物語史>

  プレテクスト→光源氏物語・第一部→第二部→宇治十帖

と、『源氏物語』を包みこむ<物語史>

  プレテクスト→うつほ物語→源氏物語→後期物語→

とを、まるで冥界に下降し、異郷を訪問するようにして彷徨し、遍歴した、その魂の自分史を語り、描いた、渾身の力作である。一九六二年、信州の佐久に生まれた青年の、東京で一九九〇年から九四にかけて、つまりは<而立>の峠を疾駆することによって、死(青春)と再生(研究者)を果たそうとした試みを編成した、甦りの書でもある。

 だから、稚気や客気をいちいち咎めだてするには及ばないであろう。青年はすでに研究史の現在という網目のなかに捕われていることを自覚する地点から出発していて、一見衒学的とも見紛う本書の厖大な量の注記が、青年の溺れ漂い浮きあがった研究史の大海を誠実に開陳してもいるのだから。それにしても、古典・文学・テクストの研究は格闘技であったか、と思わせられるほどの快い緊張を強いられる書物でもある。大冊ばやりの現今、瀟酒で手軽な重たさだというべきなのだが。

 著者が本書をとおして明らかにしようとしたことは、なにか。本書の大要を知るためにも、その覇気を窺い知るためにも、まずは目次を掲げるのが便利であろう。

 

  序 <琴>の物語/物語と<琴>の思想

 第一部 物語の楽の音

  T 琴曲「胡笳」と王昭君説話の複次的統合の方法について−『うつほ物語』比較文学論断章(1)−

  U 金剛大士説話と朱雀帝・仲忠、問答体説話の方法について−『うつほ物語』比較文学論断章(2)−

  V 光源氏の秘琴伝授−「若菜」巻の女楽をめぐって−

  W 物語る光源氏−<語り>の機構もしくは型取りとしての三周説法−

 第二部 <琴>のゆくへ

  T <琴>のゆくへ(1)−楽統継承譚の方法あるいは『うつほ物語』の思想史的位相−

  U <琴>のゆくへ(2)−楽統継承譚の方法あるいは光源氏物語の思想史的位相−

  V <琴>を爪弾く光源氏−琴曲「広陵散」の話型あるいは叛逆の徒・光源氏の思想史的位相−

  W 交響する『源氏物語』−物語の<主題>と”響き合う”相互連関本文『琴操』−

  X <琴>のゆくへ(3)−楽統継承譚の方法あるいは宇治十帖の精神史的基層−

  Y <琴>という名のメディア、あるいは感応する言説の方法−後期物語文学史論序説−

 第三部 付説 <ものがたり>のゆくへ

  T <ものがたり>のゆくへ−女の言説/男の言説、「夢浮橋」終焉の方法−

 

 あとがき、初出一覧(初出原題)、索引(人名・書名・琴名、事項)を付す。序および第二部−Yが書き下ろし。巻末の略歴によれば、本書と同時平行的に『竹取物語』『源氏物語』の本文批判を行っていることが知られる。

 目次を一瞥するだけでも、青年(研究者)が、なにに取り憑かれているかは、明白である。著者の言葉を借りれば「物語の<主題>と音楽の<主題>との相互連関性」に着目しながら、物語史のなかに「音楽の、思想史的位相」を解明し、「物語文学の言説と響き合う楽の音の連関性、とりわけ<琴のこと>をメディアとする<物語文学の主題>を解き明かしたい」(序)という野心である。『うつほ物語』の世界は、著者の言う「楽統継承譚」という構造を型取りとして展開しているのだから、楽の王者である<琴のこと>にこだわり、その中心に響いている「胡笳の声」「胡笳のしらべ」にこだわるのは、正統な正攻法だと言わなければならない。では、なにが明らかにされたか。

 最大の功績は、テクスト『うつほ物語』のプレテクスト<王昭君説話>の原拠を石崇「王明君詞並序」(『文選』所収)に探り(第一部−T)、従来「五箇のしらべ」とされていた『源氏物語』の「こかのしらべ」(若菜・下)を「胡笳のしらべ」と断じて『うつほ』と『源氏』とのインターテクスチュアリティを確認し(同−V)、蔡■(=邑)『琴操』を手がかりとして『源氏物語』のなかに<話型>としての王昭君伝承および「広陵散」との関連性を見いだしたこと(第二部−VW)などであろうか。その斬新な発掘は、同時に、王昭君伝承の孕むインセストタブーと、「広陵散」の響かせる「帝に対する叛逆の意志」との『源氏物語』への転奏(第一部−V、第二部−U)という衝撃的な仮説へと導かれて、今後さらに検証を加えられるべき重たい課題として読者あるいは研究者に手渡される。

 本書を貫く縦糸は、あくまでも「物語文学の思想を表象する宝器」(序)としての<琴のこと>の消長であって、それは、文人貴族・方外文士の琴→王者の王権を象徴する祭器→王権をも凌駕する琴の霊威→叛逆の意志を奏でる琴→楽の浄土・六条院→仏道へと誘う楽器→男と女を結びつける楽器→懺悔の器→持仏開眼供養の念誦と鈴虫のなかに埋没していく琴→過去を回想するメディア→雅楽の曲を奏で催馬楽を伴う琴、というふうに変貌していくのだが、その時々の琴の音、琴の論理が、どのように物語の方法や主題と絡みあい、響きあったのか、それを聴き分ける繊細で大胆な営みが横糸となって、本書は織りなされているのであった。その織り目のなかに身を投じて、そのひとつびとつの糸を吟味しながら、新たなテクストを紡ぎだそうとすることが、読者あるいは研究者の責務なのであろう。それ以外に、本書の書評を完遂する途は見いだされない。今はただ、ひとりの豁然と屹立する研究者の誕生を見とどけたことだけで満足しよう。

 

(1994年12月20日 有精堂刊 A5判 278ページ 8240円<本体8000円>)

せきねけんじ・樟蔭女子短期大学教授)

Copyright(C)1996-8.Kenji Sikine .Allrights reserved