Last Up Date 1999.06.01

日記を物語る 99年05月   INDEX‖ ホームに戻るピカチュウ語「日記を物語る」

05月30日(日曜日)

放送大学千葉学習センターで「国文学入門」の三日目。高島平から首都高速に乗り、銀座−箱崎を経由して、千鳥町まで約40分。かなり余裕で、幕張メッセ、千葉マリンスタジアムに隣接する放送大学本部に到着。まず恒例の行事として、辞令を交付されました。今日は、「絵画史の中の『源氏物語』」と「『源氏物語』の女性達」の二本立て。のべ04時間30分。山形学習センターからお見えの学生さんは、僕の母よりひとつ年上の方であることもわかり、新幹線でお見えの情熱と学習意欲に感銘すら覚えました。そこで図書館でさらに資料を追加して出来る限りのことを話したつもりです。

05月31日(月曜日)

午前中は母と供に消火活動の際にお世話になった近所のみなさんに御礼の挨拶。また被災者の住んでいる集会所へビールを差し入れに行きました。午後は大東で「元輔集」の注釈。萩谷先生にも「たいへんな経験をしたね」と声を掛けていただきました。


05月01日(土曜日)

所沢市松井公民館の古典に親しむ会。『源氏物語』「絵合」巻に出てくる光源氏の「須磨・明石の日記絵」二巻の文化史的意義を説明するため、『紫式部日記絵巻』と『御堂関白記』の寛弘05(1008)年11月01日条をカラーコピーでみなさんに配布して説明しました。こんなに行事のことを事細かに書き残すなんて、式部も道長もマメな人たちだったんですねえ。

05月02日(日曜日)

大渋滞を覚悟で高速道路へ。道路情報は、ほぼ大渋滞の僕の車をトロトロと目的地に運んでいる目印となりました。お疲れさまと自分に言いましょう。ニュースを見ますと、こういう日に事故があったり、故障車もでたりしていたんですね。

05月03日(月曜日)

完全にオフ。本も満足に読み通さずのんびりと。しかしこれも今後夏までの厳しい日程を考えると大切なことなのです。

05月04日(火曜日)

雨。まだこちらでは山桜が咲いています。毎年恒例の軽井沢高原文庫へ。所要時間40分。この文庫は塩沢湖の脇、オリンピックのカーリング会場となった風越アイスアリーナの近くにあります。今回の展示は劇作家で昨年なくなった「矢代静一展」。三島由紀夫や遠藤周作さんとも親しく、遠藤事務所や津川雅彦さんから送られた花も美しく咲いていました。また太宰治さんに書いてもらったと言う『斜陽』の一節「…人間は恋と革命のために生まれてきた」の大型の色紙は、復元された書斎の中央に飾られていました。左に読み込んでボロボロの聖書数冊が置かれ、右に津川雅彦に送られたおもちゃや緒方拳の彫った表札などを机に飾りながら、愛用の原稿用紙に鉛筆で執筆するのが常だったようですね。07月25日からは「中村真一郎展」とのことです。

05月05日(水曜日)

端午の節句。快晴。早朝、所要時間二時間弱で帰宅しました。二日以降の走行距離は約360q。ちなみに所沢−佐久インターチェンジ間は、143q。

 帰宅すると、河村幸枝氏から『源氏物語玉手箱』(創研社.1999.03.\3900円)を頂戴していました。現代語訳とも、御自身の解釈を加えた評釈とも言える楽しい本です。下段の脚注も楽しく読めました。夕方、今年度の大学関係のシラバスを入力し、ホームページ作り。また、溜まっていた献本の礼状を書きました。ああ、休みが終わってしまった p(`´)q。明日からは、また、月曜の安息日(と勝手に決めました)までフルタイムワーカーです^^。 

05月06日(木曜日)

東京成徳大学。綱渡りに近いものがありますが、朝の学バスに間に合わせることができました。「国語科教育法」は今月末から模擬授業に入ります。講義を終えると、五反田に向かい、清泉女子大学の懇親会に出席。アイウエオ順のため、長谷川政春学務部長から新任の先生として真っ先に僕が紹介を受けてしまいました。ド緊張。長谷川先生には二次会に誘っていただき編集中の『折口信夫全集』のこぼれ話や、この先の見えぬ時代に、激務の学務部長の重責にある学内行政の困難さなどをお話いただきました。気が付いたら有料の駐輪場は閉まっており、僕の自転車はお泊まり p(¨)q 大泉学園からバスで帰宅しました。

05月07日(金曜日)

五月晴れの青山学院。三時限目の「日本文学史U」は、二年生の就職活動のため、欠席多し。四時限目は図書館であらゆる検索に対処できるようなガイダンス。講師として、二回目のお世話になる若杉さんにたいへんお世話になりました。

05月08日(土曜日)

大東文化大学の東松山校舎で中古文学会。あまりに遠隔地のためか出席者は前回の立教大学よりは少な目でした。やはり森正人さんの「『紫式部集』の「物の気」表現」についての発表に注目が集まっていたようですね。二次会ではたいへんな虎を演じてしまいました p(!!)q。

05月09日(日曜日)

学会二日目。二次会は池袋に出て高橋亨さん、久保田孝夫さん、三谷・三田村夫妻、阿部好臣さん、豊島秀範さん、渡辺泰宏さん、塩田公子さんのメンバーで、発表者のひとり石阪晶子さんを囲んで打ち上げ。また秋の奈良女子大学でお会いしましょう。

05月10日(月曜日)

信じがたいことだったのですが、『源氏物語』の世界にも、宗教団体関連の『源氏物語』マニュアル本(『週刊光源氏−総集編』なーぷる.1998.10)で侵犯されつつあることを知りました。この話を知らされた後、同社の関連出版物を確認して全容が分かりました。同社のホームページも会社案内だけは開けません{社員がオウム信者なのだそうです。(「週刊朝日」1999.03.12号)参照}。みなさん、細心のご留意を。

05月11日(火曜日)

空は小雨模様。連休明けの仕事がすべて始まりました。午後、僅かの時間も辞書のため帰宅して執筆。夕方は、國學院で「『うつほ物語』の会」蔵開・下巻の世界は、『源氏物語』では決して読むことの出来ない後宮の“俗の世界”が描かれていますね。

05月12日(水曜日)

快晴の清泉女子大学。新しいキャンパスにも馴れてきました。お昼休み、賛美歌の流れる中、緑の中庭を歩くのもよいものです。帰りがけのキャンパスのあちこちで、「日本古典文学基礎演習『源氏物語』への招待」のグループ発表の打ち合わせが行われていました。「みなさん、御機嫌よう、来週までさようなら」\(^。^)/。

05月13日(木曜日)

東京成徳大学。「国語科教育法」は鬼の文学史と漢字小テストを開始しました。やはり良くできています。「上代文学」では抜けだそうとした学生を発見、もちろん名簿から削除しました。帰宅すると、岡部隆志さんのご紹介により、増田修氏から、『琴歌譜』に関する文献目録ならびに主要論文を多数頂戴していました。次回の古代文学会との口頭発表にかならず活かしたいと思います。

05月14日(金曜日)

青山学院。三時限目の「日本文学史U」は、出席をとっただけでやたらと盛り上がりました。なんなんでしょうね。四時限目は『源氏物語絵巻』をじっくりとお勉強。

05月15日(土曜日)

明治大学リバティータワーで物語研究会例会。出席者48名。ものけんデビューの小山綾子さんも、小島菜温子さんの発表も充実のひとこと。ただ『会報』の改革案の処置にあやまり、年間テーマが決められなかったのは残念。来月、松岡智之さんにはテーマ設定のための発表をしていただくことになりました m(!!)m。

05月16日(日曜日)

日本文学協会事務所で『うつほ物語』を読む会。俊蔭巻。若小君物語の和歌の場面。勉強することが山ほどありますね。

05月17日(月曜日)

午前中は物語研究会の会務処理。締め切りの近づいた辞書を書き、夕方、水泳に行きました。

05月18日(火曜日)

夜、今度は國學院大學で『うつほ物語』を読む会。蔵開・下巻。津島昭宏さんのレポート。仲頼妹が節料をたくさん仲忠からもらって「馬のたとひ」と述べるくだりに議論が集中しました。『角川文庫』以来、「人間万事塞翁が馬」の故事であるとされているところで、享受史的な解明が待たれるところです。

05月19日(水曜日)

雨。前回の出講日に守衛さんにお願いして車で五反田に向かいました。清泉は一年間、本が貸し出せるためです。二時間目の『うつほ物語』の演習は俊蔭巻を読みながら、『やさしい仏像の見方』で仏画的表現映像をチェック。三・四の時限目の基礎演習は、助手さんにお願いして、『源氏物語大成』『源氏物語事典』などの基本図書を大量に教室に運んでいただき、それらの調査方法と「『源氏物語』の音楽」を事例として、調査の着眼点、分析のための基本姿勢について話し、最後にCDで『源氏物語の音楽』の紅葉賀の巻の「青海波」などを聴いていただきました。演習に協力していただいた御礼に国文学研究室を尋ねると、早速発表の下調べをしている学生さん達がいました。発表は再来週から始まります。

05月20日(木曜日)

朝、07:01大泉学園発の西武線に乗り、一路、八千代市へと向かいます。京成本線の特急は成田空港行きのため、大きなボストンバックも目立ちます。八千代台を過ぎると、『高校生の国語U』で勉強している学生さんがちらほら。一時限目の「国語科教育法」で「文学史・漢字20問テスト」を実施しているためです。休み時間に採点すると、前回より平均点も上昇していました。講義は「学級崩壊」の関連記事の分析と「新学習指導要領」の概説、さらに後半30分で僕の「『土佐日記』門出」の模擬授業。せっかくつくった「学習展開例」を忘れてしまったため、板書してから進めました。来週からは、いよいよ学生さん達の模擬授業になります。おおいに期待しています。

05月21日(金曜日) 11000カウント達成御礼 

五月晴れ。快晴。青山に出講。二年生の「文学史」は就職活動のため欠席が目立ちました。ただし、クラスの雰囲気は絶好調。冷房の管理を任せている学生さんを、なぜか「課長」と命名していました。四時限目の「古典演習」は図書館のAVルーム。設備が凄かった。これからもどんどん使いたいと思います。唐突ですが、来週のこの時間は、榎本正樹先生とジョイントして「榎本×上原“文学と自己を語る”(仮称)」トークセッションを予定しています。講師室で軽くうち合わせをして、後はメールで細部を詰めます。来聴歓迎、みなさん、お楽しみに。

05月22日(土曜日)

本日もやはり五月晴れの快晴。白百合女子大学で『浜松中納言物語』の輪読会。もうすぐ巻一が終わります。それにしても読みにくい物語です。二次会は東京大学大学院人文科学研究科・文学部助手となった大井田晴彦さんの内輪のお祝い。彼は僕の家の改装の際に、全書籍の運び出しをしてくれた人です。彼が目出度く、あの“藤英部屋{『うつほ物語』読者にしか分かりませんね}”から引っ越しの際には、必ず車を出してお手伝いに馳せ参じましょう。おめでとうございます。

05月23日(日曜日)

今週の金曜日四時限目、青短の榎本正樹先生とのジョイント・トークセッション{ところ:短大 L301教室}は、タイトルもやはり「“文学と自己を語る”(仮称)」で行くことになりました。そのモチベーションとして、五年前に刊行した本のあとがきに書いた、僕の二十歳の頃を回想した文章を掲載しました。あまりプライベートなことは掲載しない方針でしたが、今までにも自身のことを書き散らしていることもあり、心境も変化しつつあるということでしょうか。気が向いたら、その昔、各誌に掲載した随想も載せようかなあ。

05月24日(月曜日)

雨。終日、本日締め切りのはずの辞書を書きました。あと09項目、もう一日お待ち下さい。深夜、源氏学の泰斗、阿部秋生先生の訃報が届きました。抜き刷りの御礼状のしっかりとした筆圧が印象的な先生でした。その時の僕の論は『完本源氏物語』(小学館.1992)の「若菜下巻」の注記に活かされています。『源氏物語の本文』(岩波書店.1986)『光源氏論−発心と出家』(東京大学出版会.1989)は繰り返し読んだ僕の愛読書であり、『源氏物語』の研究書の中でもとりわけ感銘を受けた一冊として記憶しています。また、阿部先生の『源氏物語』の校訂本文はスタンダードなテキストとして現在も広範に使用されています。時代は大きく動きつつあります。

05月25日(火曜日)

辞書は一日遅れで書き上げることが出来、投函しました。また、昨年書いた西沢正史先生編『日本古典文学鑑賞事典』{僕は『竹取物語』『うつほ物語』『落窪物語』を担当}は最終校正を完了、秋には発売になるようです。来月は、上旬に物語の楽譜についての小論を書き、また下旬までに『枕草子事典』、教科書の指導書の『徒然草』などを書かなくてはなりません{うー、忙しい?!}。

05月26日(水曜日)

清泉女子大学。二時限目、『うつほ物語』の世界は俊蔭漂流譚の仏画的映像をビデオなどで確認し、イメージと物語本文の記述の齟齬などを勉強しました。三.四時限目は、僕が演習の模擬発表。『AERA MOOK源氏物語がわかる』{朝日新聞社.01997.07}に書いた「衣装」に、大和和紀『あさきゆめみし−源氏物語』{講談社コミックス.1980-1993}と渡辺淳一『源氏に愛された女たち』{集英社.1999}の該当場面を貼り合わせたレジュメで、都合40分を二回 。来週から発表をしていただきます。国文学研究室の助手のお二人に学生さんもたいへんお世話になっているようです。

 夜、8時45分頃、爆発音の後「火事だ〜、全員出てこい〜」の絶叫を聞き、飛び出してみると、我が家と五bの道を隔てた斜め左二軒目から出火。猛烈な火勢で、あっという間に炎は向かいの家をも包みこんでいました。水道のホースでは埒が明きません。びしょぬれで消火に当たっているのにシャツがすぐ乾き……いままで体験したことのない危険な状況。……パニック。背後には野次馬。一度は諦めかけた我が家は、一部塩化ビニール性の雨どいが熱でゆがんだだけで済みました。本当にあの火勢で僕の家に類焼しなかったのは奇跡です。結局、火もとのご老人は行方不明{深夜、御遺体で発見されました}、全焼七軒、類焼六軒{僕の家も含まれます}という大惨事になりました。僕は朝日・毎日新聞の記者に詳細を聴かれ{「朝日新聞」05.27 朝刊 東京本社版、社会面13版、「朝日新聞」05.28 朝刊 東京本社版、西埼玉 13版 <消防車到着前の消火活動をする僕たちと、わが愛車まで写っている読者提供写真が続報に掲載されていました}、さらにお巡りさんから詳細な聴取もありました。深夜、僕はなんども確認しましたが、これは夢ではないのです。僕の家に類焼を防ぐため水をかけ続けて下さったご近所のみなさんに感謝の言葉もありません。

05月27日(木曜日)

一晩明けて我が家を見上げると、隣の家のポプラが焼けており、これがガードしてくれたことを知りました。近所の人たちが消火活動と現場検証を見守りつつある早朝、僕は非常線の張られてしまった我が家を起ちました。休講も考えましたが、やはり一生懸命準備した国語科教育法の発表者のこともあり、東京成徳大学へ向かいました。朝、「何か変だな」と思っていましたが、気が付くと僕の部分金髪は焼けて黒髪に。新聞を見た増尾伸一郎先生に「大丈夫だった?」と声をかけていただきましたが、ことのあらましを話すだけでトラウマになりそうな気配。僕の人生にとって最も恐ろしい記憶になったことは確かです。

05月28日(金曜日)

朝 05時過ぎ、また「誰か〜消防車呼んでくれ〜」の声で飛び起き、119番通報、ホースで残り火が再び燃え上がっている家二軒の消火活動。一息ついてレポートを点検し終えてから{なんでこんなに冷静でいられるんでしょうね?!}青山学院へ。今日は榎本先生と合同で「文学と自己を語る」のトークセッションでした。質問は結構鋭くて「人{女}を愛したことがありますか?」なんていうのもありました。夜は井野葉子先生と三人で原宿へと繰り出しました。さらに榎本先生とひばりが丘で三次会。ある企画本の話もありましたが、詳細は内緒です。

05月29日(土曜日)

相変わらず、日中には野次馬が多いらしく、我が家の外にはまだ非常線が張られています。高田馬場での仕事をこなし、中世文学会の「公開シンポジウム・中世文化と『源氏物語』」パネラー、伊井春樹・三田村雅子・松岡心平+司会、三角洋一さんたちの話を聞きに、千代田区三番町の二松学舎大学へ。三田村さんの話によると、レジュメ500セットがすぐになくなるという大盛況。僕は伊井春樹さんの阿仏尼の話をもっと聞きたかった。夜は阿部好臣さん、帰京前の僅かな時間だけ、松浦あゆみさんも御一緒に、つもる話でビールをだいぶ飲みました。


INDEX‖ ホームに戻る