Last Up Date 1999.02.01
日記を物語る 99年01月 ‖INDEX‖ ‖ホームに戻る‖
01月29日(金曜日)7000カウント達成御礼
更新後確認のアクセスを07:55にアクセスしたら7001カウントでした。6000カウントは今月08日でしたから、僅か21日で1000人の方のアクセスがあったことになります。ほんとうにありがとうございました\(:;)/。
青山の成績管理も目処が立ち、メール限定でのレポート未着2名はファックスの原稿で受領することとし、あとは自由発表のまとめ一本の郵送を待つのみ{来年はもっと余裕をもって出しましょうね}となりました。二年生の文学史は、一部の学生さんに無情の再試験を実施する事を決断{今度ダメなら、後のこたぁ知らねよ!!}。この春休みは努めてホームページの新展開と原稿書きに務める予定です{いつもやってるけど(笑い!?)}。
01月30日(土曜日)
白百合女子大学で物語研究会例会。斎藤昭子さんの江戸の源氏学の教学化の様相を論じたテーマ発表に、神野藤さんの『散逸した物語世界と物語史』の合評会。最後に神野藤さんの感動的な物研へのメッセージが寄せられ、感動的なフィナーレでした。出席者40名、入試と重なった割には盛会だったと言えるでしょう。充実した一日になりました。
01月01日(金曜日)
新年明けましておめでとうございます。ちょっとゲラに目を通しながら正月を迎えました。
01月02日(土曜日)
関東大学対抗東京−箱根間往復駅伝をテレビ観戦しました。大東は一年生主体のチームに切り替えたようです。まったくのどかです。今世紀中にもう一冊書き下ろしを書きたい、とふと思いました。
01月03日(日曜日)
中学校時代の同級会に出席しました。同級生がすっかりオジサン・オバサンになり、禿げたり、白髪の話が出たりしたのはショックでした。だって僕だけブロンドとグレーで髪を染めていたので。中学時代のスーパーエリート達がなぜか犯罪に走ったり自殺したりしていて、まともな人生を歩んでいないのも不思議なことでした。
01月05日(火曜日)
13:00ちょうどに実家を立ち、14:47には所沢インターを通過。15:10には車から荷物を積み終えました。のんびりとしてから賀状を書き、ゲラに目を通しました。山口博先生の賀状から「堂々日本史」を見ることができたのはラッキーでした。後日、再放送を録画したいと思います。
01月06日(水曜日)
11日校正締め切りゲラが二本あり、少し焦っています。一つは教科書の指導書なのですが、教科書出版関係各社で作る教科書協会の申し合わせにより、指導書の頁数が教科書本体の二倍を越えないと決められており、削らなければなりません。削らなければならぬ行数を念頭に、一行ごとに数えながら慎重に進めています。土日が勝負でしょうか。
01月07日(木曜日)6000カウント達成御礼
僕の弟が東京出張で立ち寄っています。今日は昭和天皇十年祭。十年前、僕らの間ではワードプロセッサが時代の最先端でした。
さて、21:35にアクセスしたら5999カウントでした。カウンター設置は07月08日です。1000カウント08月06日、2000カウント09月12日、3000カウント10月13日、4000カウント11月11日、5000カウント12月08日。ありがとうございました。今後ともご愛顧くださいますようお願い申し上げます。
01月08日(金曜日)
青山の今年度最終講義。榎本先生・陣野先生、そして僕の講義受講者の二年生+専攻科の履修者のみなさんと新年会に行きました。なんと栗坪学長も参戦。みなさんからたくさんお話を伺いました。話をまとめると僕の講義は体育会系のノリで、エッチな話{下を向いて小さい声で言われましたが…}が凄く多いのが特徴なのだそうです。四月からは“はんなり・しっとり”とした講義を心がけたいと思っております。では、みなさん、ごきげんよう。
01月09日(土曜日)
所沢市松井公民館で古典に親しむ会。先月のデジカメ写真集をみなさんに差し上げました。『源氏物語』の関屋の巻を少しだけ読み、新年会をしてくださいました。近所の秋草学園短期大学で公開講座があり、インターネットの講習を受講された方もいて、関連の話題も出たりしました。今年も楽しい会にしたいと思います。
01月10日(日曜日)
日本文学協会事務所で『うつほ物語』を読む会。昨年末「俊蔭」巻の文庫本がでたのですこし読みやすくなりました。火曜日も國學院で新年会があるので、約二時間ほど短い会食をしました。ちなみに、今日は室城さんの38+?回目のお誕生日でした。
01月12日(火曜日)
今度は國學院大學での『うつほ物語』を読む会の新年会でした。僕は國學院の院生のみなさんの席に座り、楽しく過ごしました。この諸君とは母校の現在の院生よりもお付き合いが永いことになります。今度、角川書店から出版される、『源氏物語CD-ROM』の総索引作成のための品詞分解が締め切りまでここ二、三日が山場とのこと。僕はやらなくてごめんなさい。みんな頑張りや。
01月13日(水曜日)
ゲラは書斎の机の上にのっていますが、しばらく余裕があり、頭は休めようと思います。今日は新聞以外の活字は見ないことにしました。でも『源氏物語』の胡蝶巻の論文もそろそろ書かないといけないし、テンションも上がってきました。ああ、辞書もあったっけ…{今月末日締め切り100項目}。夕方、成増のジムにゆきました。プールは誰もおらずマイペースです。女性で、おそらく新人のインストラクターさんが僕の泳ぐのを横目に見ながら、水質チェックをしたり、ワゴンを磨いたりしていました…。ある平凡な僕の日常です。
01月14日(木曜日)
僕の愛車が車検から戻ってきました。ずいぶん痛んでいたようですが、すっかり直してもらい、エンジンも快調です。帰りがけ、清瀬にある大学の同級生・大槻直史君経営のコーヒーショップ“玄”に立ち寄りました。大槻君は中森明菜の兄貴と同級生の、清瀬ジモチーです{これは始めて人に話すのですが、昨年暮れ、高視聴率で巷の話題を独占したCX系ドラマで主演した歌手で女優のNさんは、同じくタレントの妹ともども、僕の小・中学校の後輩だという噂があります。ただし卒業前に転校したらしく、今は確認できませんが…}。帰宅するとものけんの創設メンバーのおひとりから電話をいただき緊張。しばらく退会したいとのこと。休会ではどうかとの僕の問いかけも実らず。文学に賭ける信念に、今はただ、時の流れを待つ他はないようです{その後、保留していただけたようです 02月01日}。
01月16日(土曜日)
物語研究会関係の電話多数。事務局メンバーを立候補制にする改革の提言もありましたが、これだけ世代間が広がると容易には行きません。若手にはこの研究会の歴史に関して、かなり情報に混乱のあることがわかってきました。二次会の席の断片的な話だけで、ものけん観が形成されている部分もあるようです。
01月17日(日曜日)
日本文学協会で「『枕草子』の会」。やはり『枕草子』は本文がよくない。辞書の用例もこのテクストでは決定打にはなりません。三次会のカラオケまで楽しみました。
01月19日(火曜日)
講義の全日程も終了し、締め切りにも間があることがあって、ブンガク的生活も滞っいます。そこで角田文衛『平安の春』(講談社学術文庫・1999.01)を購入しました。先生には1994年10月の同志社大学での中古文学会と1996年12月14日、立正大学での古代学協会東京支部の「『源氏物語』を考える」と言う講演会でお見かけして以来ですがお元気のようですね。僕も先生と萩谷先生説の紫式部の本名・藤原香子説の展開を考えて久しいのですが、東大史料編纂所のデータベースを検索したところ、「源香子」なる人物が同時代に居たことが判り、ますます発表が遠のいています。そうした検索のなかった時代に古文献を精査し、読み解き、考証したこの世代の先生方には、心から尊敬の念を表明します。
01月20日(水曜日)6500カウント達成
角田文衛『平安の春』を仕事の合間合間に読み始めました。面白くてやめられない感じですが、セクハラ的発想{たとえば第一部「師輔なる人物」など}が随所に目に付きます。先生は1913年(大正2)生まれ。教育・社会的環境の問題でしょうか。
午後、高田馬場駅戸山口前にある本のディスカウントショップ・ブックオフで『徳川15将軍の事件簿』(扶桑社.1998.02.\1143)をなんと315円で購入しました。僕の研究課題である伝阿仏尼筆本の表書{おもてがき}に「伏見宮安宮照子殿下明暦三年{1657}十一月廿六日/紀伊中納言光貞卿へ御降下之節御持込」とあるにもかかわらず、このあたりの事情に僕が全く無知だという自覚があったためです。これによれば、紀伊家は、家康−頼宣<宗家>−光貞{1624生}−<長子・綱教、次子・頼職…、四男・吉宗{1684生}>という系譜になります。紀伊家と伏見宮家は、以後も婚姻関係が継続していることもわかりました。この阿仏尼本の表書によれば、伏見宮家から、照子への嫁入り本とされたとも読めますが、そもそも阿仏尼本は駿河御譲本として、家康から紀伊家に分与されたとされているもの。このあたりもう少し調べてみる必要があるようです。
01月22日(金曜日)
青山の二年生「日本文学史T」の期末試験に出講しました。試験教室に向かうと、そこには宝塚風の、長身でカッコイイと言う形容がぴったりの副手さんが準備万端用意して、学生さんたちを待っていて下さいました。さて、以下、実際の問題です。自信のある方は問題を解いて僕にメールして下さい。。採点して進ぜます{もちろん何もでませんよ}。
@ 次の語に読みがなをつけよ。 ・乾飯・渡殿・折敷・継母・阿闍梨・還饗・産養・立坊・文章経国・内侍督 /10点
A 次の語を説明せよ。 ・遣唐使・夾算(よみがなも付すこと) /10点
B 次の文を現代語訳し、論評せよ。 ・「清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。…そのあだになりぬる人のはて、いかでかはよく侍らむ」 /20点
C 次のテクストから二つ選び論ぜよ。 ・うつほ物語・源氏物語・紫式部日記・枕草子・後期物語 /60点
二年生のみんなは、ほとんどこの試験が学生生活最後のようで、なごりを惜しんで互いに写真を撮ったりして、僕も何人かのカメラに収まりました。試験監督中、このクラスのメンバーがこうして教室に一同に会して揃うことはないんだなあ、なんて、ふと思ったりしました。
01月23日(土曜日)
またまた、高田馬場のブックオフで、寺尾義雄『新装新版 中国文化伝来事典』(河出書房新社.1999.01<1982初版>\3700)をなんと1417円で購入しました。和漢比較文学を研究の主軸のひとつにする僕にとって、簡明に日本・中国比較文化史を記述しているこの事典は、極めて有益な書物となりました。午後、白百合女子大学で『浜松中納言物語』輪読会。松浦あゆみさんにお願いしていた、「古代文化」(古代学協会.1999.01)を入手しました。前記19日に記した古代学協会東京支部の講演会を基調としたもので、室伏信助先生の「大島本『源氏物語』の再生−新大系本の本文作成過程」などが収められています。
01月24日(日曜日)
午前中に教科書の指導書に付帯される自習ノートの校正を終えて郵送しました。午後以降は断続的に読書をして過ごしました。乾燥しきった関東圏では、久しぶりの恵みの冷たい雨。かなり底冷えのする日曜日です。
01月25日(月曜日)
古代婚姻史・高群逸枝{たかむれいつえ}研究の栗原弘{くりはら・ひろむ}さんから、僕までうれしくなるような来翰を戴きました。あらためて御著書を広げてみました。午後、『元輔集』注釈の作業のため、久しぶりに大東にゆきました。萩谷先生は新潮選書書き下ろしの『土佐日記』『紫式部日記』の制作事情に関する本を、すでに250枚お書きになったそうです。
01月27日(水曜日)
成績の締め切りが近くなってきたのに加えて、辞書の締め切りも被ってきました。メールのみに限定した「古典演習」のレポートが着々と届いています。さらに「文学史」の採点と原稿書きで机に向かう時間が大幅に増えています。そんな中、夕刻、成増で少しだけ水泳。やっぱり気分がいいですね。
01月28日(木曜日)
ここ最近半年近く、車での移動を極力避け自転車を利用しています。急いでいた行きには目に留まらなかったのですが、帰りがけには関越自動車道の通る大泉学園町近辺の梅が咲き始めたことに気づきました。白梅・紅梅ともに美しく蕾を膨らませていました。この梅園、例年二月には、目が覚めるほどの空間が広がります。