Last Up Date 12.31
日記を物語る 98年12月 ‖INDEX‖ ‖ホームに戻る‖
12月31日(木曜日)
1998年私的重大ニュース。@2月17日、Mウェーブで長野冬季オリンピックの男子スピードスケート一万b観戦。なぜかオランダ応援団の真ん中に座らされ、その上、ジャンニ・ロメ選手の驚異的な世界新記録を筆頭に、オランダ人選手が初めて金銀銅(なんと四位まで世界新記録!)を独占した壮挙となったため、翌朝の朝日新聞に観戦・応援中の僕自身も小さく掲載される。{画面真ん中左下。トランペッターを見上げている。僕の金髪{茶髪ではない}が判らないのが残念。『朝日新聞で見る長野冬季オリンピック全紙面 Feb.1998』朝日新聞社.1998.3、161頁参照} 。ただし、原田選手たちのジャンプ団体金メダルと同じ日の午後であったため、日本人で記憶している人は極めて少ないので、あえて一位。A3月、『古典講読 源氏物語・大鏡』{角川書店}最終検定を通過して完成。準備期間2年。以降、指導書・問題集の編集、執筆に忙殺される。B6月、我がホームページ「物語学の森1998」オープン。以後、本日記執筆に情熱を傾けすぎ、しばしば原稿の締め切りを遅らせる m(!!)m。
以上、平凡な一年なり。「変わらぬは我のみなりと悟る春」 みなさまにはすばらしい春が訪れますよう祈りつつ。1998.12.31.9:15 Up Date。
12月01日(火曜日)
今日から師走。仕事はしたが何の実感もなく{と書き改めます。12.07}一年が終ってしまう感じだ。辞書の締め切りが来週月曜日だし、他にも仕事が溜まり気味なので、今日は一日中机に向かって仕事しなければならない。夕方、息抜きに人文研により、その後、成増で軽く水泳。帰宅すると、小林正明さんから予告通り『村上春樹・塔と海の彼方に』(森話社・1998.11.30)が届いていた。昨年刊行された『村上春樹論−フロイト◇ラカンを基軸として』(青山学院女子短期大学学芸懇話会シリーズ20.1997.3)を礎稿として、さらに「大幅な加筆・訂正を施し」、「全面改稿したもの」だそうである。しばし、原稿の締切を忘れて読み耽ってしまった。
12月02日(水曜日)
国文学研究資料館で「うつほ物語註釈史の基礎的研究」。尊経閣文庫本『うつほ物語考証』は、ほぼ註釈も仕上がり、著者略伝・文献目録(僕が担当)も揃った。あとは無窮会蔵・大久保本『うつほ物語考』の精確な翻刻を期すのみである。夕方、雨の中、五反田で新装開店のお店にみんなで寄る。店員さんの応対も初々しいかった。帰宅すると、日向一雅さん名義で明治大学理事長あての物研会場借用のための「念書」が届けられていた。この大学は、まだ学生運動の余波が残っているらしい。また、某大学から、まず留守番電話で、来年度の出講日の確認と、もうひとつ、速達で、なんと文部省の形式に則った僕の「履歴書」「業績目録」などが届けられていた。新設5年目のこの大学は「教員の免許状を得させるための課程認定について」文部省に「再認定申請を12月に行うための準備」を行っていて、僕じしんがその申請の加わり、審査されるのだそうである。確かに、「古典文学」と「教職課程」で呼ばれたし、検定教科書の編集委員もしているけれど、「ほんと、オレでいいのかなあ」という気もした。招聘してくださった先生に電話したら、事務サイドで手違いがあって、「出講依頼状」も出さないうちに文部省への申請の締め切りが迫っていることに気づいたのだそうだ。「著書・学術論文」50数編の所在ページを今月07日までに調べて郵送せよ、という。「今、忙しいんですけど…」とも言いたくなるが、来年度、得体も知れぬ教師を待ち受けつつ、教員を目指して頑張っているはずの諸君のことを思い起こし、気合いを入れ直す。だって、だから、師走なんだから!!
12月04日(金曜日)
午前中、大東で自分の著作の所在ページの確認。12:30、青山学院。例によって教職員食堂で陣野氏{写真撮影は拒否された?!}と昼食。僕は本日のサービスランチ\400円。二年生は卒論提出目前により休講としたため、四大・短大の図書館と回る。メインストリートのポプラが美しい。 四時限目は「古典演習」。初のパソコンを使っての授業。起動、操作と初心者は僕の近くに座ってもらって、初歩から指導。インターネットブラウザを立ち上げ、まず、各自のレポートをすべてフロッピーに落とすこと、印刷の方法などを学ぶ。さらに僕のリンクから「平安時代フルテキストデータベース」と「大島本『源氏物語』総索引」を検索、最後に僕宛に今日の講義の感想をメールで書いてもらった。メールの着信を確認すると、13人全員出席したのに、なぜか11通しか届いていない。エラーがあったようだ。残念。メールを読むと、本当にたのしかったようでよかった。 18:00、角川本郷ビルで「古典講読」の編集会議。その後、場を移して楽しく歓談した。 (左から、松坂さん・保坂先生・上原・鈴木先生・室伏先生・小島先生・針本先生・高野さん)充実した一日だった。
12月05日(土曜日)
14:00から所沢市松井公民館で古典に親しむ会。『源氏物語』蓬生から関屋巻まで。すでにあしかけ8年もお世話になっている。ぼくの『源氏物語』勉強はここが起点になっていると言ってよい。ここでもみなさんにお願いし、記念写真を撮らせてもらった。
12月06日(日曜日)
午前中辞書を書き上げる。午後、日本文学協会事務所で「『枕草子』を読む会」。4時間近く勉強したが、伝能因所持本と三巻本との距離の取り方がわからない。
12月08日(火曜日)5000カウント達成御礼
放送大学第二学習センターで「中古の日本文学」。テキストは『AERA MOOK 源氏物語がわかる』(朝日新聞社.1997)に書いた「衣装」を中心に、2時間15分。この学校は隔週で二時間分を一回でまとめるシステムで、なんと言っても体力と気力が必要である。いったん帰宅して今年度最後の國學院の「『うつほ物語』を読む会」に参加。すこしずづ年末の実感が湧いてくる。
12月10日(木曜日)
至文堂より『解釈と鑑賞』1999.1月号が届く。やっぱり特集テーマから見て僕の論文は浮いていた。夕方から電話多数、机に向かっている暇もない。やっぱり師走だ。某大学の例の「教職課程認可申請」は、結局、全業績に200字の要旨を付けることになった。12月の刊行物も加えると単純計算でこれだけで400字詰30枚を越える作業だ。これだけの仕事を“ただ”で押しつけるのなら、せめて退職するときには“名誉非常勤講師”の称号を賜りたいものである。
12月11日(金曜日)
青山学院に出講。短大図書館では不要で、大学図書館でのみ必要な入館カードを発行していただいたので受け取りに行く。グリーンを基調とした洒落たデザインである。3時限目「日本文学史」は清少納言と紫式部。二人がなぜ不仲になったかといった問題や、二人の個性をテクストから読む。メモを取る音だけが教室に響きわたっていた。4時限目「古典演習」の輪読はいよいよ藤壺入内。「輝く日の宮」のあたり。来週は田端さんと吉村さんの自由発表二本。楽しみである。学年末のレポートは、履修者全員の自由発表の感想をE−メールで送ってもらうことにした。この大学の先生方がみな『源氏』研究者のため、取り上げる巻がダブる恐れもあり、陣野さんと来年度の「古典演習」の打ち合わせ。僕は「柏木」巻にしようかと思う。榎本さんは明日の「村上龍展」で忙しそうだった。
12月12日(土曜日)
朝、メールを開くと今朝04時発信で榎本さんからメールが届いていた。今日の「村上龍展」の準備をしていたようである。今回のイベントは、「龍声感冒」の栄花均さんの主催で、榎本さんも出講している東放学園専門学校が共催の形で行われる。13:30、京王線の代田橋にある東放学園専門学校へ。三部構成で、一部は最新刊の集英社文庫『Kyoko』愛読者のトークセッション、第二部は栄花さんの村上龍じじんへのビデオインタビューで『Kyoko』の撮影にまつわるエピソードなど。三部は、幻冬舎、講談社、文芸春秋の各村上龍担当編集者のトーク。企画も自筆原稿・創作メモの展示のみならず、メディアを駆使した多彩なもので、最後に榎本さん作成になる村上龍自筆サイン入りのCD-ROM{インタビュー・1999カレンダーなど}まで用意されていた!!榎本さん・栄花さん本当にご苦労様。
12月14日(月曜日)
業績一覧に200字の要旨をつける作業は昨日一日で完了し、深夜に投函した。教務課の担当者のご苦労がしのばれる。抜き刷りが毎日届けられている。こうしたものはすぐにお礼を出さないとタイミングを逸してしまうことも多い。
12月16日(水曜日)
このところ太宰治関連の著作で机の上は埋まっている。私的な勉強会で『清貧譚』論をレポートする必要があるからである。机の上には東郷克美『異界の方へ−鏡花の水脈』(有精堂.1994)や『日本文学研究資料叢書 太宰治TU』(有精堂.1970.1985)、『日本文学研究論文集成 太宰治』(若草書房.1998)に収められた論文など、中期の作品論を中心におさえておこうと思っている。しかしながら、いわゆる「作品」そのものを論じたものは極端に少なく、結局、どの批評も「太宰」その人を論じているのは、やはり近代作家の特質からかとも思うし、特に中期の古典の翻案物について考えてみると、基本的にじしんの「自作語り」が物語の前後に置かれていると言う、言わばサンドイッチ型、入れ子型の構造のテクスト群であり、しかも登場人物に太宰本人の分身が登場することも大きく影響しているのであろうか。このあたり『源氏物語』批評とは異質な方法であることは確かだ。
12月18日(金曜日)
前日は忘年会。カラオケでのどの調子がおかしい。朝少しばかり原稿を書き、青山へ向かう。思いのほか路はすいていた。「文学史」はこの一年間の講義レポートを提出してもらった。講義は『枕草子』跋文{ばつぶん}を中心に紫式部と対比させながら清少納言論。「古典演習」は田端智子さんの「『源氏物語』の成立について」と吉村亜弥さんの「『源氏物語』の男たち」。田端さんの発表は故武田宗俊氏{元青山学院大学教授}の玉鬘系後期挿入説を基軸としたもので、武田さんの話などを交えて話す。吉村さんは、最初の兼古さんの発表が「『源氏物語』の女たち」だったので、それを意識しつつラストを飾る充実した内容になった。青山も今日が実質的に今年最後で、みな思い思いの冬休みが始まった。帰りには今話題の表参道のイルミネーションを車窓に眺めながら家路に向かう。大渋滞かと思いきや、わずか二分で原宿駅脇を通過。確かに美しかった。
12月19日(土曜日)
明治大学で新装なったリバテータワー10階の美しく豪華な設備の中で物語研究会例会そして総会。安藤徹さんのテーマ発表、葛綿正一さんの『源氏物語のテマティスム』の合評会。レポーターの助川幸逸郎さんの情熱的な批評は僕の聞いた彼の発表の中でもっとも輝いていた。総会、一悶着の末、僕は退会せずに済んだ。学術団体登録の是非に関し、投票結果と総会の決定が異なる場合は退会するつもり腹積もりあったためだ。投票総数81票。賛成58、反対18、保留 5。投票総数の71.6lが賛成だったが、110票もの棄権があった。例年のアンケートの集計などより回収率は高率だが、しかしこれが会の現状である。登録反対派からは、なぜ反対するのか、研究会の未来をどう展望しているのか聞いてみたいと思っていたものの、抽象的な研究会像については話もあったが、ついぞ具体案に関しては聞くことができなかった。もっと未来をどう展望し、この会の方向性をどのように舵取りするのか、といった、現実的な具体案を提示しなければ、大方の支持は得られないはずなのに。曰く「武士は食わねど高楊枝」は日本思想史上最悪の欺瞞である。
12月20日(日曜日)
都内某所で私的な勉強会。冷や汗をかきながら、太宰治『清貧譚』論をレポートする。ルネ・ジラールを援用した神田龍身さんの分身論を用いて、物語そのものを「欲望の三角形」に見立て、主人公・馬山才之助の「模倣の欲望」の対象たる陶本三郎と、その「媒体」である姉・黄英を解こうとしたが、「三角形」の「第三項排除」のシステムにおいて、三郎が男であっては応用できないだろうとの指摘があった。やはり、神田理論からの援用ではなく、原典で理論そのものを学び直さなければならない。
12月21日(月曜日)5500カウント達成御礼
吉海直人さんから、『百人一首への招待』(ちくま新書・\660円)を戴く。先月の『住吉物語』といい、凄い、の一言につきる。ありがとうございました。書店に僕が「音楽関連項目」を担当した、『源氏物語必携事典』(角川書店・1998.12)も並び始めた。僕の家にはまだ届いていない。著者より購読者優先とは…。
12月22日(火曜日)
文京区大塚の旧東京教育大学跡地にある、放送大学第二学習センターで「中古の日本文学」最終講義。「紫式部と『源氏物語』−清少納言との対比において」、紫式部の清少納言評や、人生史、『源氏物語』流布事情など。満足していただけただろうか。この正月はみなさんのレポートを楽しみに勉強させていただきたいと思う。来年からは、千葉市にある放送大学本部で「国文学入門1」を講義することになっている。さらば“東京教育大学”。
12月23日(水曜日)
三谷邦明・三田村雅子夫妻初の共著にかかる『源氏物語絵巻の謎を読み解く』(角川書店1998.12.18)を戴く。中に素敵なメッセージがあり、末尾に「結婚二五年目の冬」と書き添えてあった。僕が10月にお送りしたミニレポートは、「第五章−徳川家の源氏物語」に結実しており、僕の名前も見えるので、ぜひご一読願いたい。ところで、『源氏物語必携事典』がまだ届かない。御歳暮は来たけど。なにやってんのかなあ…。13:00より共立女子短期大学で古代文学会と物語研究会の合同研究会準備会。方法論、文学観の差異をどう埋めて行くか、課題は多いが魅力もある仕事である。みなさん、こぞって参加しましょう。
12月24日(木曜日)
『源氏物語必携事典』が届く。よく利用されている小学館の『源氏物語図典』より手頃な値段で、担当した「音楽(舞楽・楽器)」の「琴{きん}」や「広陵{こうりょう}」などには他社版には見られぬ新知見も盛り込んである。是非御高架願いたい。某大学の先生方から二回電話があり、担当科目も都合三回変わった。ご苦労がしのばれる。来年は『竹取物語』と『伊勢物語』を半期ずつ読むことができそうだ。
12月26日(土曜日)
14:00から角川本郷ビルで編集会議。指導書のゲラの検討、文部省の検定意見に関する修正の検討など。この冬休みは校正Weekになりそうだ。今年もあと5日を残すのみ。公務はすべて終わった。メインページのタイトルも「物語学の森1999」に改めることとしよう。
12月27日(日曜日)
終日年賀状を書く。日曜日にも配達があり、勉誠出版から『叢書 想像する平安文学』第一巻の初稿ゲラが届く。『伊勢物語』の成立論について書いたのだが、二年前の春に書いたのでゲラを見ても細部が思い出せない。困った。それに僕はこの叢書の九巻目の原稿をまだ書いていない。締め切りは確か1997年の5月だったような気がするが m(!!)m。この正月は頑張ろう!!。
12月29日(火曜日)
いよいよ1998年も大詰め。平穏無事に年も暮れたかと思いきや、古代文学研究会の例会通知に同封されていたアンケートの内容にびっくり仰天、「退会届」を投函する。電話で事務局の安田君に事情を話したが、彼自身、載せて良いものかどうか、この回答そのものに当惑していたようだ。気の毒だったが了解していただいた。古代研も来年夏に事務局交替だそうである。