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日記を物語る 98年09月 ‖INDEX‖ ‖ホームに戻る‖
9月01日(火曜日)
夏休みは終わった。ただし、大学キャンパスだけはまだまだ夏休みモード。辞書の用例採集・検討のために行った跡見の図書館は、学生さんも数えるほどしかいなかった。僕は、休み中の誰もいないキャンパスに、学生さんの笑い声で溢れかえるような一瞬をこの胸に思い描くとき、この仕事を選んだ最高の喜びを感じてしまう。……感傷と感慨の後はシ・ゴ・トだ。
9月03日(水曜日)
今月の物研は僕のテーマ発表なので企図するモチベーションがそろそろと頭をもたげてくる。今月末日締め切りの『解釈と鑑賞』誌99年1月号は「語彙の諸相」の特集で、その古代語を僕が書くので、それも絡めての内容だ。展開の構想は、『竹取物語』の本文史から、竹取享受が「あはれ」の物語の文学史であることを照らし返しながら論じようと思う。最初は書志学的な話から入り、徐々に物語世界の解読に転ずる予定なので、嫌いな方は、國學院に二時半頃おいでください。
9月04日(金曜日)
18:00より、角川本郷ビルで針本先生(國學院大學助教授)をキャップに指導書の編集会議。品詞分解の統一の問題など。一冊目は有る程度見えてきた感じた。二冊目はある程度ノウハウもあったので検定もスムースに行くのではないか。ところが、二次会に席を移すと第二書籍編集部の本間部長から、辞書教科書課の若きエース・津久井哲郎さんが、新設の第四書籍編集部へ異動になり、併せて、教科書部門も子会社の「飛鳥企画」の担当になる社内の機構改革が発表になった。一瞬唖然……。ただし、他の担当者は不動で、新しく教壇経験のある岸川さんも新戦力に入ったことだし、と気を取り直す。津久井さんは、角川選書・全集などの担当になるということである。隣の松坂さんから「先生も早く偉くなって、津久井のところから本を出してくださいね」と励まされる。本間部長は座席の位置にも細やかな配慮をなさっていた。大手出版社の人事異同というと、すぐ渡辺淳一の『失楽園』(『渡辺淳一全集』角川書店所収・1997)を想起する向きもあるかと思うが、津久井さんは僕より年下、新婚のハワイ旅行帰りで、まだ日焼けがすがすがしい好青年である。
帰宅して、神野藤さんから電話。よもやま話。北京にいた分、九月から毎日大学で勤務があるとのこと。ご苦労様です。
9月06日(日曜日)
14:00より、日本文学協会事務所で「うつほ物語を読む会」の俊蔭巻輪読に参加。担当は斎藤正志中国文化大副教授。彼は奥様が日本にいるため、ちょくちょく帰国しているせいか、台湾在住という感じがしない。今回も阿修羅だの天稚御子やら天女やらがフルキャストだったが、この本文を実態化して物語映像に復原することはあまり有効ではないのかもしれない。大系本の解説に「サ行三段活用」とあるのには驚いた(実はサ変活用のこと。校訂者は品詞分解がかなりお好きであったようである)。
夜、少しばかり辞書の項目執筆。巨人は勝ったようだ。Mr.Giantsの去就が気になる。僕は巨人・大鵬・卵焼き世代の最終ランナーなのだ。Mrのいないプロ野球には興味がない。せめてもう一度だけでも胴上げを見たいものである。肌寒く、もう冷房もいらない夜である。虫の声も聴こえる。
9月11日(金曜日)
朝、六時前に目覚め、辞書関係の執筆を始める。1日の日に74項目送っていて、今日にも残りの74項目は終わらせねばならない。なにしろ締め切りは先月末日だったんだから。ところが今でも流布している他社版の用例が古い本文で、用例を新しくしようとすると、ことばがなくなってしまう例がある。例えば、
連番:112
かな見出し:[うちかたぶ・く]
漢字見出し:【打ち傾く】
現代仮名遣い:(ウチタカブく)
品詞・活用の種類:(自カ四、他カ下二)
全活用形:{か・き・く・く・け・け/け・け・く・くる・くれ・け}
依頼行数:5(25字×5)
備考:
解説:《「うち」は接頭語》(1)(自カ四)首を傾げて不審な様子をする。「頭は尼削ぎなる稚児の、目に髪のおほへるを掻きはやらで、うち傾きて、ものなど見たるも、愛し」<枕・うつくしきもの>(2)(他カ下二)傾ける。「頼朝も兜をうち傾け、うち傾けあひしらはれ(=応戦し)ければ」<古活字本平治・中・待賢門軍>
出典:集成・下・21頁4行目、校注日本文学大系・14巻・157頁12行目。
通信欄:一行オーバー、大系・新大系ともにこの本文なし。笠栄治『平治物語研究校本編』(桜楓社)450頁で本文を確認し、流布本を使用。
(2)の用例は今一般の図書館ではおそらく手に入らない『校注日本文学大系』(誠文堂・1922)本文にしかないのである。つまり版本の本文ということ。これでは手間がかかって仕方がないし、これから勉強する人には不便ではないかと思う。他にも特に『狂言』の本文が語りのテクストであるためか、異同が多くて使えないことが多い。お昼前に跡見の図書館に向かい、用例採集とチェックをしに行った(この夏、大東の図書館は閉館のため)のだが、家に戻ってから「打ち果たす」の用例を取り落としてきたことが判明、自転車で近くの福祉会館内にある市営図書館に向かうも全集本しかなく、用例が確認される『狂言集』『浄瑠璃集』には、目的のテクストが採録されていない。急いで関越をくぐって練馬区の大泉図書館に移動し、大系本の『仮名草子集』の「竹斎」にようやくまみえる。索引もないので全部斜め読みする方法で二度目に発見、最終の郵便回収になんとか間に合った模様である。今回は「い・−−」とか「うち・−−」の複合動詞中心に、勉強しつつ格闘したのであった。でもちょっと充実感がある。他にも書きたいことがあるが、明日にご期待ください。なぜなら、アクセスカウントが夕方17:00頃の段階で1985であつたので、明日には奇跡の2000カウントが達成される模様だからである。虫の声が我が家の周りで聴こえる静かな夜である。今日のニューススティション、長嶋三奈は夏休みであると伝えている。
9月12日(土曜日)2000カウント達成御礼
今朝、7:16にアクセスしたら2001カウント。僕とっては奇跡の2000カウントを達成した。約二ヶ月でクリアしたことになる。普通、国文学系のサイトは一日10〜20アクセスだそうだから、やや多いらしい。今後拡張したいコンテンツもいくつかある。気長にお待ちいただきたい。
夕方、成増で軽く水泳。帰りの車の中で、一転、Mr.Giantsの来年続投を知る。辞表は確かに預けていたようだが、「留任を固辞」するつもりはなかったようだ。「退団濃厚」とか、退団を既定路線のように報道していた、明日の朝日新聞が楽しみである。朝日は、今から十数年前、Mr.Giantsの三女が家出騒動を起こしたときも、親の躾がまるでなっていないかのような書き方であった。要は、このライバル社のスーパースターを追い落としたいということなのだろう。特にGiants関連の場合、そういうコンテクストで新聞記事を読まねばならないことに留意しておきたいものである。それにしても、今回の騒動は、読売新聞社内にリークを担当した幹部もいたはずで、與論{よろん−世論(せろん)は当て字}の観測気球のデータが、留任要請の後押しをしたものと思われる。日本の競争社会はかくも建前と本音の錯綜する世の中であることを実感した一日であった。
9月13日(日曜日)
長い長い大学の夏休みの最後の日曜日。今朝の朝日新聞のGiants関連は、いかにも今までの報道との整合性を量ろうとする内容だし、「週刊朝日」の広告ではもう監督更迭を前提としたものである。松本恵のかわいいCMも、今度ばかりは高校生にすら愛想を尽かされそうなお粗末さである。この朝日の「ひと」欄は谷崎賞受賞の津島佑子さん。キャプションに「詩人の藤井貞和氏と生活。『男性の日常の姿がわかったみたい』」とある。藤井さんはどんな暮らしぶりをしているんだろうか。古代文学研究会で御一緒したのはもう四年前になる。あの夏は暑い夏だった。現在事務局の安田真一君がデビューした例会だ。
朝から学年末テストの処理。終わってひと休みした後、物研例会の草稿を書き始める。すっかり御無沙汰の『竹取物語』関連の文献を総点検。懐かしくもあり、気恥ずかしくもあり。
9月15日(火曜日)
敬老の日。朝日新聞に65歳以上2000万人時代の記事。僕の両親もこの中に入っている。そういえば、やっと更新された僕の弟のホームページに自らを「おじさん」と書いていた。なんともはや。ちょうど竹取の翁は30代だったという論文を書いていたところだったので苦笑を禁じ得ない。今日は一日中『竹取翁物語』を読んで書いて過ごした。
9月18日(金曜日)
後期授業が始まった。青山の二年生は最後の夏休みでたっぷりエンジョイしていたことがわかるほど肌が焼けている人がまだちらほら。一年生のゼミも滑り出した。講師室での会話も弾んだ。帰宅すると中山和子先生(大学での恩師)から電話。二人暮らしのお母様が先月亡くなられ、つきそってくれた妹さんも帰郷、ずいぶん寂しいようだ。一度ご自宅に伺うことにする。明日の物研発表の原稿をチェックしていた深夜、今度は松岡君から電話、物研年間テーマ発表者の件など。秋からちょっとした朗報があるようでこれはなによりでした。
9月19日(土曜日)
物語研究会例会。ベテラン組は欠席だったが35名もの出席があった。高知から東原さんが見えて、例の竹取の翁30歳説は軽く批判されてしまう。渡部泰明さんのレポートも勉強になったし。三次会はカラオケで解散。
9月21日(月曜日)
前日は疲労のため完全オフ。さすがにこれだけ連続して執筆活動が続くと体が動かない。今日は国文学研究資料館の共同研究「うつほ物語の注釈史の基礎的研究」清水浜臣の『うつほ物語考証』について。いつも新鮮な発見がある。メンバーの江戸英雄さんの家にお子さんが生まれた。「耕介」くんというそうだ。台風で帰りは土砂降りだった。
9月24日(木曜日)
榎本正樹さんがインタビュー・構成・解説を担当した村上龍『憂鬱な希望としてのインターネット』(メディア・ファクトリー・\1400円)が本日発売になった。村上龍のマルチな思考が十分に堪能できる。榎本さんの、この夏の情熱のありどころに触れるためにも、ぜひご一読を。脚注の、村上作品の梗概も便利。現在文芸雑誌に連載中の小説の梗概を書く事なんて、僕には決してできない“わざ”だ。
9月25日(金曜日)
青短の後期二回目の講義。古典演習で発表予定者だった学生さんのフロッピーディスクのテキストが文字化けしてしまったということで、発表は一本にして切り上げ、希望者を募って視聴覚教室でワープロソフトとインターネットの基礎的な操作方法を一時間ほどレクチャー。半蔵門線で移動して、後楽園の中日友好会館内のレストランで跡見の懇親会に出席。山崎学長以下専任の教授陣12名と講師12名+助手の大塚さんが出席。跡見の国文は岩田先生の50歳が最年少だそうで、神野藤さんも下から二番目だそうだ。ド緊張。散会後、いつものように小島孝之先生と丸の内線で帰る。
9月28日(月曜日) 2500カウント
大東で萩谷朴先生と『元輔集』の注釈作業。先生のいつもながらのものすごい集中力に圧倒される。特に、源順{みなもとのしたごう}・紀時文{きのときぶみ}関連の詞書に関して、蓮華王院宝蔵に自撰本『貫之集』三巻があった記事『実隆公記』などの考証作業など、抜群の記憶力で資料を博捜される。そのスピード・正確さはいまだこれを凌ぐ学究はいないのではないかと思うほどの鮮やかさで、僕が資料を探したり、影印で該当本文を探しているのが遅くて、もたもたしているとすぐに「ボクに貸してみなさい」。ただし、増補改訂したばかりの『平安朝歌合大成』の人物考証に誤りを発見。ついでにこれを孫引きして注釈した先生の誤りまで見つけてしまった。近々、先生からお手紙が届くすはずの先生、孫引きはやめましょう。研究室では「中古文学会」の事務処理作業中。いつものように先生を車でお送りする。帰宅すると、兵藤裕己さんからちくま新書『平家物語−<語り>のテクスト』(筑摩書房・1998)をいただく。冒頭の「盲琵琶・蝉丸」など散読。國學院の森野くんにも勧めようと思う。夜、『解釈と鑑賞』誌の執筆。角川書店の高野さん、米子の原君から古筆の鑑定の件など電話多数。