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日記を物語る 98年08月 ‖INDEX‖ ‖ホームに戻る‖
8月01日(土曜日)
所沢・松井公民館で古典に親しむ会。蓬生巻。『河海抄』の当該箇所から、澪標、蓬生巻、関屋、の並びの巻のことなど。帰宅して、終日、指導書の執筆。「北山に遊ぶ少女」(若紫巻)を脱稿。20枚。締め切りは前月末日だが、土、日曜日休日の角川には郵便物の配送がないことを知っている僕は、日曜日の午前中をしめきりと勝手に決めている。進行係の松坂さん、ごめんなさい。あとは「光源氏の秘密」(若紫巻)と課題ノート、テスト問題集を残すのみとなった。付録関係の締め切りは先月末日が努力目標ではあるが、来週中にはなんとかなるだろう。それにしても「光源氏の秘密」で、光源氏と藤壺が共寝をしたあとの「命婦の君ぞ御直衣などはかき集め持て来る」なんて、どうやって高校生に教えるのだろうか。採択の原案を出したのは僕だが、検定でも何も言われなかった。時代は変わったものだ。何せ、谷崎潤一郎の『現代語訳源氏物語』(中央公論社1938)の初版に、この箇所はなかったのだから。谷崎訳の校閲をしたという、山田孝雄は泉下でどう思っているのだろう。
8月03日(月曜日)
秩父の新木鉱泉で日本語文法研究会の合宿。もう5、6年連続でお世話になっている。夜の研究報告では「解釈と鑑賞」誌で常連の高校の先生方が多いこともあって、例の指導書の執筆時点における問題点などを報告。「光源氏の秘密」(若紫巻)は「よく採用になったねえ」と感心される。細部まで指摘多数。やっぱり温泉につかってのんびり勉強するのはいいですね。
8月04日(火曜日)
1時から仕事があるので、中座して西武の特急レッドアロー号で池袋へ。今年は仕事とこの合宿で古代文学研究会の大会の参加は断念したのだった。帰宅すると、32MBのメモリが限界だった、我がディスクパワーがいよいよ立ち上がらず。指導書その他の締め切りなども近く、これしかない商売道具なので、またまた、フォーマットしてメモリを確保してから一太郎8を再インストール。ネットスケープナビゲーターは4.06になったがニフティはバージョンを落とさなければならなくなった(結局、6日には4.60に戻った )。仕方がない。一太郎が重すぎて印刷ができなくなってしまったんだから。
8月06日(木曜日)
ディスクパワーの容量を考えながら、不必要なアプリケーションを削ぎ落としつつ執筆を継続。実は指導書関係もまだ書いている。一応、語句・語法の研究、授業構成案などはできているが、念には念を入れたいのだ。角川書店の第二書籍編集部辞書教科書課は8月11日から夏休みだそうで、その前までに、ということだそうだ。前日、針本正行先生(國學院大學助教授)から指導書単元解説の打ち合わせの電話があったので、早朝、桐壺から紅葉賀巻までの単元の解説の原稿をファックスで送る。おなじく『源氏物語研究ハンドブック』(音楽関連項目)の校正ゲラを角川の高橋さんあてに返送。仕事から帰宅すると、カウンタ設置から29日目(SINCE 7.08)にして、アクセスが1000ヒットを記録した(実は僕じしんのアクセスが1000件目だった!!)。ご覧のみなさんありがとうございました。来週約一週間の完全オフ(信州に帰ります。といっても辞書原稿は持ち帰りだが)には、我がホームページも新たな展開の準備をしますので、ご期待ください。
8月07日(金曜日)
指導書関係はほぼ脱稿。三段組、二段組など複雑な文字指定があってわからなかったのだが、単元の解説、語句・語法、主題などの分だけで400字詰め108.5枚も書いていた。よく考えてみたら、七月以降、自宅ではパソコンと寝室のある二階で終日暮らしており、一階のソファーで休んだ記憶がなかった。今晩はソファーの上でのんびりとテレビを見る。物研大会の発送が遅れていることもあって、問い合わせの電話若干。明日には大会通知が届くとのこと。今回は会費滞納者・大会出席者にそれぞれ違う文書内容を封入したため、手間取ったようである。物研会報も11日には完成するという。これを新宿の山吹町まで行って受け取ってから帰省することにしよう。
8月08日(土曜日)
午後、清瀬のコーヒーショップ「玄」(学部の同級生の大槻直史さんがオーナー)で、パソコン(NEC)を購入したばかりの徳江純子氏(昭和学院女子短期大学助手)にWINDOWS98をインストールしながらレクチャー。大槻君は二階を貸しきりにしてくれた。WINDOWS 98はインターネット系が充実しているようだ。徳江さん、物研大会期待しています。パソコンにお困りの方で東京西部、埼玉方面にお住まいの方は僕にお問い合わせください。
8月10日(月曜日)
朝、角川書店の松坂さんから原稿落掌の電話。都合150枚。のべ三週間でよく書けたものだ。これなら新書版の書き下ろしもできないことはない、と少し自信を持った。気力がまだあるので、「大東文化大学紀要」に渡辺静子名誉教授の名前で連載中の、飛鳥井雅有『春の深山路』の弘安三年(1280)十一月三日の条の注釈作業。和歌の連作があるので現代語訳にすこし手間取る。伏見院御製には定家流の難解さがないのが救いである。
夜、11:20まで電話を待つ。ある仕事を依頼した方の誠実さに期待したのだが。泣いて馬謖をきることになった。仕事に個人的な温情をもって起用するのはやはり失敗だったかもしれない。寝苦しい夜を過ごす。
8月11日(火曜日)
本日、信州に帰省します。弟のパソコンが借りられれば、更新に努めますが、しばらく夏休みモードに入ります。17日からは白馬村で物研の大会に参加してから帰京の予定。
8月12日(水曜日)
弟のパソコンでホームページも無事更新も可能となった。写真も徐々に掲載して行く予定である。朝は小雨で寒いくらいだった。
昨日は3時半前に所沢から高速に乗り、六時前についた。途中、佐久インター手前が渋滞だったので、下仁田インターで降りて、国道254号線経由で西へと進む。途中、群馬県上野村を過ぎった。今日はあの日航ジャンボ機墜落事故の日である。僕はあの日まだ学部の四年生で、友人のうちで夕食をごちそうになっていたのだった。友人のお母さんから「佐久に飛行機が落ちたそうよ」と知らされ、実家そばの歩道橋に上って四方を眺めたが、盆地ですべて見渡せるはずなのに、そうした気配はなく、翌朝、東南へ向かう自衛隊のヘリコプターの爆音で、落下地域が知られたのだった。僕は桃の選果場で季節限定のアルバイトをしていた。同じ年の初秋に逮捕され、社会現象にもなったロス疑惑の三浦和義氏は、今夏無罪となった。同じ頃、あの夏目雅子が白血病で死に、伊集院静は酒に溺れる日々をおくることになる。あれから13年の歳月が流れたのである。先日、かの三浦氏が、小菅拘置所では、囚人たちの部屋に毎日曜日、松任谷由実のサウンドアドベンチャーが流されており、みなが楽しみに視聴していることを、松任谷事務所に直接本人から知らせてきたのだそうだ。僕は彼が逮捕された時、奈良を旅していた。そして、三島由紀夫の『豊饒の海』の舞台である、帯解(おびどけ)の円照寺の本堂にいた。秋というより、むしろ夏の日差しのきつい日だった。その時の写真は、『物語 その転生と再生 新物語研究2』(有精堂・1994)のカバーを飾っている。そこでもまた、出会いがあり、そして別れがあったのだった。
8月14日(金曜日)
弟のパソコンで作文したら、保存形式が若干異なることがわかった。更新はやや停滞することになる。
8月18日(火曜日)
あとで「一週間ぶりの更新である。」と見えるが、これは22日に書き加えたものである。せっかくなので、大会中のショットを数カット載せておこう。下の写真は、二日目の昼のフリータイムに田中君、原豊二君と食べた「馬刺の霜降り」、「くるみざるそば」である。このあと、温泉に入って、地ビールをのみ、シンポジュームに参加したのであった。
馬刺 \1400円
くるみざるそば \900円
大会風景 大漁旗は三谷邦明氏寄贈
8月21日(金曜日)
一週間ぶりの更新である。昨日早朝、農林省に公務の弟と共に帰京した。所用多数。物研の大会も無事終わって、今年の夏も終わった感じだ。発表内容質疑ともに充実。全体的には成功ではないか。物研が日本学術会議に学術団体登録することも討議したが、これは暮れまでに直接投票で決することにした。現在、「日本文学」「国文学」そのものの、相対的評価が流動化している折、歴史の流れからこれも必要かと思うが、反対意見にも耳を傾けねばならない。約200名の会員全員の意見が聞けるとよいのだが。
8月22日(土曜日)
物研の大会以後疲れがとれない。夏バテ気味である。午後、白百合女子大で「浜松中納言物語」注釈の会。本文を読むことは楽しい。まだ物研大会の余韻が覚めやらず、ペンションでの会員諸氏の武勇伝に花が咲いた。
8月25日(火曜日)
悲しい出来事があった。ここに越してきて以来、暖かい声をかけてくださっていた、向かいの伊藤さんが肺癌で亡くなられたのだ。僕の両親より一つ上の68歳。お通夜では近所の人々がみな集まった。始めてのことだそうだ。ご冥福をお祈りしたい。
午後、ふたたび白百合女子大で日本文学協会の「枕草子」の会。僕のレポートで「すさまじきもの」あたりを丁寧に読む。やはり萩谷朴『解環』の独自性が際だつ。終わってカラオケ。京王線・中央線とほぼ最終電車。バスも深夜バスの最終。でもあわてなければ仙川駅12時でも帰れることがわかったのだった。
8月26日(水曜日)
午後、角川本郷ビルで教科書の編集会議。単元の解説は僕が「国語科通信」(角川書店・1998)を転用して書いたのだが、『大鏡』の小島孝之先生(東京大学教授)がマニュアルどおりお書きになった「作者」「参考文献」などはぼくの原稿にはなく、統一しなければならないことに気づく。品詞分解の統一など問題山積。来週また会議である。原稿の宿題ができた。二次会に席をうつし、担当の高野さんより、角川文庫ソフィアの新刊、高田宏『ことばの処方箋』をいただいた。
8月27日(木曜日)
ホームページが1500カウント。なかなか展開できませんが、以後もよろしく。
8月29日(土曜日)
朝、晴れ間も見えたが、昼にはすごい豪雨になる。高田馬場で仕事のあとすぐ帰宅して今月末締め切りの辞書を執筆しようとしたが、わずか四項目に終わる。夕方、雨が一時上がったので、自転車で大泉学園駅へ。以前、非常勤の同僚だった、石川正人さんのお誘いで、おなじく、下平泰央さん、大野耕平さんとひひさびさの交歓の場をもつ。しかしながら話題は自然と不景気な話題が多くなることは致し方ないのかもしれない。石川さんは某大手予備校の生徒アンケートを見せてくれたが、なんともシビアな設問であった。(ただし彼自身は好成績)また年明けに会合を持つ約束をして散会。土砂降りの雨の中、自転車で帰る。夜もすごい雨であった。各地の被害は甚大であろう。
8月30日(日曜日)
午後、植田恭代さんから電話。来年に向けて、某学会と物語研究会で一度ジョイントして合同例会を開催したいという申し出があったとのこと。9月例会に向けて承認を得るため準備委員を組織して、企画を進めねばならない。ただし、僕の物研事務局が三月で二期目(都合4年目)の任期満了なので、時期事務局問題も絡んで頭が痛い。植田さんからアドバイスをいただく。今世紀最後の事務局メンバーには、今後の国文学界の厳しい現状を冷静に見つめる視点が、ぜひとも必要であろう。