Last Up Date 2001.06.01
05月29日(火曜日)
『うつほ物語』のページ、『松浦宮物語』のページの文献目録更新しました。
午後は、『元輔集』の注釈二首。貫之の屏風歌が入り込んでいるところ。移動して『うつほ物語』「国譲」上巻の輪読。どう考えてもこの巻の前田家十三行本本文は孤立例ばかりで、他本より劣位にあると言えますね。
05月30日(水曜日)
明治大学 。本日も「国語」は吉永小百合の『伊豆の踊り子』。クラスごとに場面場面の反応が違います。原作にも村の入り口に「物乞い旅芸人お断り」の札のことが記されていますが、「偏見がひどくてびっくりした」などという感想が出るのは、大正時代の日本では、致し方ないことなのでしょう。
四月に逝去された稲賀敬二先生の奥様と御子息・繁美氏の連名で、BookPark@オンデマンド・ハブリッシング、『華麗なる平安朝のいざない〜源氏大学〜講義録/源氏物語・散逸した巻々と現存の物語』(講談社)を頂戴しました。先生が人前で話した最後の講義録になるものだそうです。お手紙に拠れば、先生は息を引き取る直前まで『中世王朝物語論』を口述なさり、毅然と最期の言葉を遺されて旅立って逝かれたとのこと。昨年の学会の懇親会の帰り道、『校異源氏』の話でお引止めしてしまったこともあって、おひとりで帰ろうとなさっていらっしゃったため、僕がホテルまでのお見送りを申し出たところ、「僕は弟子を大勢引き連れて歩くような男ではありません。いつもひとりで行動しております」と仰った、その言葉の意味などを思い起こし、短い言葉に深い含蓄と生き様を学ばせていただものと思っております。合掌。
05月31日(木曜日)
愛車の重量税を納めたものの、午後、あさひ銀行の北与野西口出張所(なぜかよく利用しています)で払ったところ、出張所では翌日の決済になってしまうとのこと。案外、まだまだ世故に疎いようですね。
05月01日(火曜日)
予約していた本屋さんの主人(僕の後輩。《オレは急いでるんだ》って言ったでしょ(!!))が連休を取ってしまって、入荷困難だとわかり、一般書店で中野幸一先生校注の新編日本古典文学全集『うつほ物語A』を入手しました。さっそく漢籍の施注を総チェック。僕の机上には、今から三年程前、和漢比較文学会で御一緒した折に約束してお送りした、この物語の漢籍資料のお礼状が飾ってあります。
三田村・河添・松井さんから編者連名で『源氏研究』第六号 翰林書房 を頂戴する。いつもありがとうございます。巻頭は昨年の彩の国藝術劇場のシンポジュゥムの採録。論文、エッセイ中、僕が真っ先に読んだのは、加藤昌嘉さんの「源氏物語のさまざまの貌−文化でなく文献でなく」。彼自身の今後の展望がマッピングされていないのは致し方ないにしろ、「『源氏物語』研究が生気も刺戟も失い、年毎に面白くなくなっている」と率直に書いた勇気にひたすら拍手ωω。また、彼を起用した編集のお三方の度量にも感服しました。なぜなら、源氏研究者(副題「文化でなく文献でなく」に含意があるのでしょう)に向かって、「この人、裸の王様達やんけ」と軽くいなしてしまったわけですから(注、特定の団体・人物を指して書いているのではありません。むしろ「文献」には僕も入っているのかもしれませんので。念のため)。加藤さんへの僕なりのエールは、 「夢と人生−『物語学の森』の谺から」に記してあります。再度、御覧下さいますように。今度彼にお会いしたら、僕のエールも含めて、《青表紙本》《河内本》《別本》の分類に関する定義をぜひお聞きして、みなさんに御報告したいと思います。
05月02日(水曜日)
溜まった礼状を認める。机上にはいつも葉書を切らさないように心がけていますが、オフライン系の方への返事がどうも遅れ気味なのは申し訳なく思っています。『新編全集/うつほ物語A』漢籍データの入力を完了。注釈の指針や志向性の全貌が把握できました。引歌に関して永年の蓄積が詰め込まれていることが大きな特色ですね。そして難渋なさったであろう本文校訂、現代語訳。ぜひ御高架をお勧めします。夕方は水泳。それにしても寒暖の差が著しい日でした。みなさん、御身体大切に。
05月03日(木曜日)
朝、NHKの「華麗なる極楽浄土−復元 宇治平等院」をビデオ録画。平安の色彩が復原された雲中供養菩薩を見ると『うつほ物語』の天人を連想するのは僕だけではないでしょう。琵琶を弾く天人もふっくらしていてかわいらしい。
午後、田園都市線のあづみ野へ。学生時代の昔、有楽町線永田町乗換えでこのあたりの進学塾の仕事をしていたことがある懐かしいところ。僕は一生住めそうもない立派な住宅が立ち並んでいました。
05月04日(金曜日)
大学が連休中のためか、アクセスも連休の方が多いようですね。本日は学問関係一切タッチせず、羽根を伸ばすこととしましょう。
05月05日(土曜日)
午後、『新編全集/うつほ物語A』の漢籍データを基に注解の補綴作業。『新編全集A』は、先行諸注以外の新たな漢籍の発掘は見られませんが、各漢籍と物語内容の照応関係・連関性は抜群に分かりやすい解説が付けられています。逆に引用関係にズレが見られると引用とは認定しなかったのかもしれませんね。僕の担当部分の書き下ろしは160枚弱となりました。
05月06日(日曜日)
先日から帰省中。山並みが新緑にバージョンアップしつつある、山桜の咲く高原を抜けて、久方ぶりに旧軽井沢銀座に出向いて見ました。相変わらずニセブランド商品の店がある、あやしげな街。\390のシャツや\1000均一に触手が動きましたが、見る人が見ればすぐにわかるシロモノ、さっさと諦める。古本屋で『赤染衛門集全釈』を見つけるも、これも東京にもっと安くいつでもあるじゃないか、と気を取りなおして、結局は、礼状を旧軽銀座郵便局のポストに投函しただけのドライブに終りました。帰りは知る人ぞ知る離山(はなれやま。浅間山の山裾にある山)経由で。プリンスホテルの別館は平成以後、主を失って久しく、門が固く閉じられていました。自分的には上に登るほど、新緑と落葉松の対比率が変わって行くのを楽しむことが出来ました。かくして、うららかな午後の一日が終ったのでした。(作文風に)おしまい。
05月07日(月曜日)
6:15。朝靄の立ちこめる佐久平高原のインターに乗り、 明治大学 に直行。8:24。休憩時間に、週末の中古文学会総会以後、代表委員となり事務局を務めることになっている日向先生に声をかけていただく。委員選挙の票を開いてからでないと何も進められないシステムのことなど。常任委員会も今季は大幅な世代交替が予想されますね。僕も二度の口頭発表でお世話になり、論文も機関誌に掲載していただきました。
例の生協との関係でテキストが揃わず、今年は総て手作りになりそうな気配。予想より遅刻も少なく、また始まったね、と言う感じですね。論文演習ではメールや当日提出の分も含めて添削を終える。ワイドスクリーン上で、読めるレベルにまで字を拡大することに腐心しました。帰宅後はぐったり。体力が落ちていることを痛感したので、水泳に気合を入れることを改めて誓った一日でもありました。
05月08日(火曜日)
午後から雨。國學院の『うつほ』の会。「国譲」上巻。諸本の状況を見ると今回の箇所(校注古典叢書/4巻/96E〜)だけで、前田家十三行本のみの孤立本文が三例。『うつほ』独自の文法が認められるとすれば、校訂しなくてもよい場合もあります。平安朝のかな文の文法用例史を勉強する必要があるようです。
05月09日(水曜日)
またまた雨の水曜日。 明治大学 。郷ひろみの『Daddy』と別れた奥さんの手記『楯』からアナグラム的物語分析の方法の話。時間を少し置いて学食に行くと、昨年の履習生が、履修マニュアル本片手に科目変更届を書いていました。その一冊に僕の「論文演習」がレポートされていて、「能力5/出席率5/楽勝5」「テキストは『日本語練習帳』で正しい日本語を学ぶ。講義はコンピューターを使って行い、レポートはメールで送り、授業中に添削する」と書いてありました。能力は、教員の資質のことと凡例にありました。これで「1」がつけられたら、履習生ガタ減りというわけですね ≦∞≧。
05月10日(木曜日) Thanks 62000 Hits !!
倉田実さんから『源氏物語の鑑賞と基礎知識/空蝉』(至文堂.2001.05.\2400)を頂戴する。今回は「『源氏物語』の建築」が特集で、注解、補助論文は倉田さん単独の優れもの。昨年、「空蝉の衣」の典拠を尋ねられた僕が『竹取物語抄』所引の漢籍をお知らせしたことも論文中に紹介されていました。特集では、後藤祥子先生の考証とも重なり合ってくる「中川の宿」のみならず、六条院の女楽や宇治八宮邸まで復原されているのは助かりました。こうした空間性を復原して物語を読む論文を構想していたからです。倉田さんに感謝。
05月11日(金曜日)
快晴。 明治大学 。「論文演習」の「自分史」。小学生時代、男の子たちから「決闘状」を突きつけられた武勇伝とか、もうひとりの「ちゅらさん」の物語など。添削が楽しい90分でした。移動して 青山学院。ともに梗概は女三宮降嫁まで。いよいよエンジン全開というところです。今年から青山四大への編入推薦枠が拡大される話をしたら、終了後、あっという間に僕の回りは相談者に取り囲まれる。明日は学会だから、現状を御報告してもっと枠を増やしてもらいましょう。夕方は、青山通りのとある場所でオフタイム。。。(本日、これにて)
05月12日(土曜日)
専修大学神田キャンパスで中古文学会。会場は満員の盛況で、冷房が利かずかなり体力を消耗する学会となりそうです。たくさん抜刷を頂戴し、原稿の打ち合わせもかなり進みました。
05月13日(日曜日)
中古文学会二日目。前の方の涼しい席で熱のこもった発表を聞く。司会のみなさんもそれぞれ適任の方々ばかりであったようです。休憩時間は本の内容の打ち合わせなど、こうした機会でないと出来ないこともたくさんありますからね。二次会はいつものみなさんと水道橋で新幹線の時間まで名残を惜しみつつ。またお会いしましょう。
05月14日(月曜日)
学会で休日抜きの辛い月曜日。しかし、いちばん御心労があったはずの日向先生が予定通り出講なさっておられ、意気込みをお話下さったこともあり、気合を入れなおす。もちろん、僕でもできることなら微力を尽くしたいと思っている旨、お伝えする。講義の「国語」は「春馬車」の佳境に入り、「論文演習」は敬語の成り立ちと、手紙作法のあれこれについて。普段より滑らかに話が出来たのはどうしてだろう。
05月15日(火曜日)
完全オフ。先日の打ち合わせで圧縮を約束した原稿を削るだけで四苦八苦。なにせ、個々の各論で全体をブリッジしているため、どこも削れないのです。でも74枚を55枚にまで頑張りました(あと5枚だ)。「日本文学」5月号が届き、これも先日予告があった通りに、僕の後期物語に関する座談会発言「(後期物語研究は源氏研究の成功例を適用する)スタテッィクな分析の型(がある)」の部分が引用されていました。この秋、後期物語、中世王朝物語で50〜80枚の依頼原稿があるのですが、「ミイラ取りがミイラ」にならぬよう。。。
05月16日(水曜日)
またまた雨の水曜日。 明治大学 。校門前で、赤ヘルの活動家達十数名がアジ演説する中、学校側の警備員と公安警察がそれを幾重にも取り囲んでいる脇を、学生が大量にすり抜けつつ登校するという異様な光景に遭遇しました。歩道橋には何人もの警察関係者と思しき人々が、カメラの放列をなして活動家を撮影していました。当然、僕の車も中に入れず、警備員さんにキーを預けて講義に向かいました。いつものことながら、学内は何事もなかったように平穏無事で、初のクラスコンパのためか最高の出席率すら記録していました。僕は僕で、三田誠広の『僕って何』のストーリーを思い起こしつつ帰宅しました。
清水好子『紫式部』(岩波新書.1973)を中心に、『紫式部集』とその関連文献を精読する。僕独自の歌の解釈を確認する作業の準備として。なんとか矛盾せず、成立する可能性はあるようです。
05月17日(木曜日)
三年ほど前に書いた「胡蝶」巻論が形になり、勉誠出版 から、4冊まとめて届きました。全十巻の予定が八巻になり、八巻末に全体像が一覧できます。僕は一巻と七巻『地図を読む 系図を読む−物語空間論』に起用していただいたことになります。他の巻では、古代音楽史の荻美津夫氏、『うつほ物語』論で猪股ときわさん、後期物語の音楽論で井上眞弓さんにそれぞれ拙文を引用していただいていました。時間をかけて勉強したいと思います。
05月18日(金曜日)
なぜかいつも金曜日は快晴。 明治大学 。「論文演習」は、テキスト『日本語練習帳』の「敬語」を中心に。移動して 青山学院。第二部は夕霧・柏木を主軸にまとめる。それにしても今年は出席率が凄い。二週続けて皆勤の今日は、残念ながら一人のみお休み。たいしたものです。花金の夕べ、青山通りである本を探して見ましたが、古本屋は一軒つぶれており、この街は、本よりも服を探しに来るところだと悟りました。
05月19日(土曜日)
國學院大学で物語研究会。会場を見渡すと、もはや半分はお名前も把握していない、大学院生のみなさんばかり。僕が始めて行ったものけんも國學院でした。あれから14年,早いものです。
05月20日(日曜日)
思いがけず、藤原克己先生より『菅原道真と平安朝漢文学』(東京大学出版会.2001.05.15.\8000)を頂戴し、ただただ恐縮する。平安朝を語るのに漢文世界、特に道真は避けて通れない課題でありながら、金子彦次郎、川口久雄先生の著作以降、専門的に論じられた著作は、国史では若干ありますが、国文学の世界では以外と少なく、極めて貴重で必読の文献になることは間違いありません。萬謝。
05月21日(月曜日)
明治大学 。そろそろ視聴覚教材の整備に入ろうと思い、ビデオテープをDVDへコピーして再編集する相談をして見ましたが、僕の構想はまだ機材が完全に揃っていないと言うことで、しばらくはロウテクなスタイルで進めざるを得ないことが判明。そんなになんでも思うようにならないのがこの世の中。先生方の利用頻度が低いと言う現実的な問題も多いのかもしれませんね。
05月22日(火曜日)
研究会用の短い文章を書き、本を整理したりする。だんだん雲行きが怪しくなる中、國學院で『うつほ』の会へ。「国譲」上巻の書簡の並んでいるくだり。言いさし、省略が多いのは相互の距離が近いことを示すものでしょう。帰りがけ、室伏信助先生から、退職記念号に掲載された「幻想から理想へ−源氏物語本文制定の方法」(「東京女子大学日本文学」95/2001.03.15)を頂戴する。やはり「河内本成立以前の本文」は「古伝系別本=青表紙本系別本」と見なす他はなく、これを前提に、朱書や書き込みを科学的方法で年代測定する方法を模索し、それと並行して「本文価値」を見極めることが必勤の課題なのですね。とどのつまり、現時点では、『源氏物語』本文群を単一の《本文》に帰属させながら読む、現行のいくつかの方法に頼るしかないわけです。室伏説は『大島本源氏物語』に書き込まれた総ての本文を統合し、最終的な現在の本文状況を以って『大島本源氏物語』とすると言う方法の理論化を徹底したものです。
05月23日(水曜日) Thanks 63000 Hits !!
またまた、また雨の水曜日。 明治大学 。横光の『春は馬車に乗って』。キミは花束に静かに顔をうずめて目を閉じた……。
教員室で長谷川先生から折口信夫に関する貴重な資料を拝見する。僕も一度で良いから全集の編纂に関わって見たいと言う願いはあります。
05月24日(木曜日)
読書三昧の一日。雨も降り続きました。
05月25日(金曜日)
明治大学 。「論文演習」は時事問題を論評する。WEB検索で各自テーマを選び、ダウンロードしてから作文していただきます。教員室で『白氏文集』研究の神鷹徳治先生に声をかけていただき恐縮。来週までに先生の論文を再度拝読しなくては。 青山学院。講義は二つとも「宇治十帖」へ。まず、本文を読む。そこからすべて始まります。
05月26日(土曜日)
白百合女子大学で『浜松中納言物語』の注釈作業。『新編全集』本の刊行でこの物語の研究者人口も広がる事でしょう。
帰宅すると「朝日新聞」夕刊は、紫式部と清少納言の意外な因縁をコンピューターが発見。なかなか面白い記事なのだけれども、インパクトはちょっと弱い感じ。清原深養父と藤原兼輔、それに紀貫之は深養父の「琴(きん)」を通じて「松風」の歌を詠みあった仲だったのは周知のことですから(『後撰集』夏部)。僕が最近書いたばかりの「ある紫式部伝」なる論文は、曽祖父・兼輔と紀貫之の歌縁から、紫式部の父・為時が、花山天皇の退位に伴い、再び散位となった失意の時期に、兄・為頼の縁故も頼って、貫之の嫡子・紀時文と藤原香子(=紫式部)の結婚を推進したであろうことを、史実を悉皆調査して立証したものなのですが、如何なりや?。
05月27日(日曜日)
昨夜、プロ野球観戦後に西武山口線で起きた暴行死亡事件の当事者は、僕も少年時代のあどけない顔を覚えている、近所に住む青年でした。人間どこで人生を誤ってしまうのか分からないもの。それとやたらと記憶力がよいのは、不愉快なことも多くあることを実感しました。暗い話題しかなくて申し訳ありませんが。
05月28日(月曜日)
明治大学 。「国語」は吉永小百合の『伊豆の踊り子』(1963)を見る。物語は大正末年の一高生と踊り子の青春群像を中心に、老齢の大学教授となった宇野重吉が、自身の青春を入れ籠型の物語形式で回想しています。1960年代の日本映画、如何でしたか?「論文演習」は時事問題。WEB検索も手慣れたものです。ただし、時事問題も物語性を把握しないと書きようがないと言うことで、いくどかテーマを変える人もいましたね。情報は多面的に把握しないと論じられないと言うことでしょう。