Last Up Date 2000.12.01          

日記を物語る 2000年11月INDEXホームに戻る             


11月28日(火曜日)  

財布を置き忘れるというハプニングで清泉 (本日一号館に飾られ始めたキリスト生誕のミニチュア)に立ち寄りました。予想通り置いた記憶そのままのところでこれを発見できました。マリア様のお恵みに感謝しましょう。渋谷に戻り、時間まで青山の図書館を利用して原稿を書きました。卒論を書いている学生さんが、こっそり閲覧室にいる僕を見つけて質問に頼ってくるのも判りますね。そのまま徒歩で移動して夜は國學院の『うつほ物語』の会に出席しました。

11月29日(水曜日)  

終日、原稿を書く。寒い一日でした。

11月30日(木曜日)  

東京成徳大学。「国語科教育法」の漢字・文法テストは成績向上してきましたね。満足。「日本古典講読(中古)」須磨・明石から一気に藤裏葉の巻まで。先が長いからね〜。一番前の一年生は僕の話を録音をし始めました。緊張しますね〜〜。


11月01日(水曜日)  

さぶっ。。。。新研究会「リンクフリーの会」のページを創りました。

『古典文学作中人物事典』の構想について相談のお電話を頂戴する。250項目を立て、20名近い人達をリストアップすることから始めるようです。

11月02日(木曜日)  

東京成徳大学。雨のため交通事故渋滞になんどか遭遇して時間ギリギリに到着。「日本古典講読(中古)」の時間に、この学科の特色である、日本語、文学、歴史の三コースのうち、何に興味を持って入学したか?と尋ねたところ、歴史と日本語ばかりで文学がいなかった。悲しい。帰りに寄った図書館で僕の日記を読んだ学生さんから「壊れた車はどうしたんですか?」と聴かれました。壊れたことだけ書いて、治ったことは書かなかったようです。そうです。10月16日には治っていますよ。これで僕の愛車騒動の物語は完結させてください。

11月03日(金曜日)  

母校の院生発表会に参加しました。今月締め切りの事典原稿を一枚も書いておらず、お手伝いの人と打ち合わせること、加えてあたらしい事典の執筆者も探さなくてはなりません。講演会は、近代文学界のリーダーのおひとり、小泉浩一郎先生。27年ぶりに、28歳から33歳まで勤めたわが母校に凱旋講演に来てくださいました。講演は「北条霞亭注釈のことども」。僕も二時間の講演をもれなく拝聴したことはいうまでもありません。ところが、ニ次会の小泉さん、なぜか僕の名前を「さくいち」と覚えて帰って行かれました。か・な・し・いっす。

ちなみにここでも後輩から車のことを聞かれました。結局、ここの読者は身内ばっかりなんですね〜〜。そんだけ!!!!! 

11月04日(土曜日)  

所沢の松井公民館で古典に親しむ会『源氏物語』朝顔巻。例のうえはら薀蓄学で盛り上がる。源典侍の物語など。ところが、またしても僕の愛車のハンドルがブレだすというトラブル発生。昨日の僕の愛車物語は偽跋となってしまったのでした。たまたま、公民館となじみの工場が近かったため、すぐに車を運び込む。すると、木曜日の雨の高速走行で前輪のタイヤ二本が変形したというのです。「このまま走ればバーストでしたよ」と、にこやかに言われました。とりあえず、タイヤを入れ替えてみると、やっぱりブレーキの利きが違います。物語はまだまだ続くのか。

『伊勢物語』の世界で知られる奈良女子大学から、『学術研究交流センター研究成果報告 Vol.2奈良女子大学附属図書館蔵 伊勢物語関係写本 解題と翻刻 付画像CD−ROM』(奈良女子大学大学院人間文化研究科.2000.03.31)と、田村俊介さんから、『北陸古典研究/15』(北陸古典研究会.2000.10)の抜き刷りを頂戴する。萬謝。 

11月05日(日曜日)  

全日本大学駅伝。母校は三位。監督も僕の後輩になる只隈監督(廊下で会うと、いつも礼儀正しく挨拶してくださいました)で若返り、正月の箱根が楽しみです。

夜は琴の稽古。『源氏』の「若菜」下巻に見える、源氏が女三宮に語る「なほ一たびゆし按ずるいとまもあわたたしければ」とある「ゆす」「あんず」という動詞は『細流抄』の「由はゆる也。あんずるはおす也」が正解で、左手の指を絃上でスライドさせつつポイントの「徽」を押さえることで、これを「由」といい、「徽」を目印にそのポイントのみを固定的に押さえるのを「按」というのです。例えば、「減字譜(げんじふ)」で譜の上部分が「名ニ/七」とある時には、左手薬指で七の「徽(き)」の左十分のニの部分を固定的に押さえるのを「按ず」といいます。また女楽の際に女三宮が「五六の撥を、いとおもしろくすまして弾きたまふ(「青表紙諸本は『はら』」)」と校訂される奏法の叙述は、僕は「胡笳の五六拍め」だと考証しましたが、琴の奏法としては、左手で七絃目の六の「徽」十分の五のポイントを親指で押さえつつ、「抜刺(ばっし)=右手、人差し・中・薬指を揃えて前後に掻き弾くこと」なのかもしれません。おっとっと、後は企業秘密としておかなくちゃ。本日、これまで。

11月06日(月曜日)  

学園祭休みのため、終日原稿を書く。新聞、テレビのマスコミ報道は、「旧石器発掘捏造事件」でもちきりですね。埼玉でも秩父の小鹿坂遺跡の発掘に疑問が生じているためか、埼玉県教育委員会文化財保護課の課長がテレビのインタビューに答えていましたが、この方、僕の大学の書道の教職免許にかかわる「日本美術史」を担当なさっていた林先生ではありませんか。世の中狭いですねえ。

まあ、謎と言えば、『源氏物語』の世界にもこの手の謎はついてまわるもの。例えば、中世『源氏』古注によく引かれる、従一位麗子(具平親王の孫)本の存在。。。この本の所蔵者渡部栄氏によって奥書の写真まで公開されていましたが(『源氏物語従一位麗子本之研究』近年、『物語文学研究叢書』に復刻)、決して他見を許さず、大陸を旅行中に紛失したと言う逸話だけが残るもの。う〜〜ん、どうなんでしょうね。

11月07日(火曜日)  

國學院の『うつほ物語』の会に出席。消息文は「紫の色紙に桜の折枝」手は「男・女」のそれ。加えて、『古今集』の春の歌で、紀友則と紀貫之の歌が連続するところが引用された贈答歌のある場面。解釈をめぐって楽しい議論が展開され、大満足の一夜でした。

帰りがけ、室伏信助先生から「三谷榮一著『狭衣物語の研究』」に関する書評の掲載された、『國學院雑誌』(2000.10)を頂戴しました。同じ号に、辰巳正明先生の「百済王朝と古代日本王権の生成」が巻頭論文として掲載されている、レアものの10月号です。

11月08日(水曜日)  

はやくも『國文学 特集・王朝文学争点ノート』(学燈社.2000.12.10)が刷りあがって届きました。王朝文学といってもほとんどの論考は『源氏物語』についてのものでした。僕のタイトルはやはりちょっと浮き気味かもしれません。編集後記に、牧野さんが「「研究ファイル」は、現場からの報告です。研究の息遣いのようなものが伝わってきます」と書いてくださいました。この「ファイル」は他に、芦田耕一先生「『清輔集』の結題」、石井正己さん「二千円札の『源氏物語』」松岡智之さん「仏教と恋 歴史と恋」。僕が謎に思ったのは、東原伸明さんが、論文の末尾に「附記 …、学術団体物語研究会会員の○○の各氏より…」と書かれたこと。先般、文部省から通達のあった正式な呼称は「学術研究団体 11453 物語研究会」。書いた後眺めて見ると「おにゃんこクラブ」が連想されてしまうのは、オジさんモード入っているのかもしれませんぜ。。。。

11月09日(木曜日)  

東京成徳大学。「日本古典講読(中古)」の時間に、提出してもらうレポートには、日本語、文学、歴史の三コースのうち、何に興味を持って入学したか?を書いてもらいました。37名中、すべて01名、文学17名(うち古典・近代限定01名)、歴史12名、日本語07名という結果でした。講読は、「花の宴」までまで進みました。

11月10日(金曜日) 

明治大学。来年度、地方に御栄転の先生の出講が適わなくなったとのことで、僕ともうひとりの先生が分担することになり、教務の方とマルチメデイア教室等を勘案しながら時間割をやりくりしていただく。やはり出講日を複数にしないとこなしきれないようです。「国語」は森田芳光監督の『それから』。活字世界と映像の違和感がなんともいえないけれども、当時のファッションが、映画製作時に全盛のDCブランドであることなど、見所はいくつもあります。青山の文学史は、『うつほ物語』の琴の物語。雨模様だったため、琴の持参は後日にしました。古典演習「柏木」巻。朱雀院が西山(=真言・仁和寺)から下ってきて、女三宮の病気平癒の加持僧に、出家受戒をさせるくだりに疑問を持ち、講師室で御専門の三橋先生に真言宗の出家作法についてお尋ねする。たいへん有益な示唆を頂戴できました。 

11月11日(土曜日)  

物語研究会。高木史人さんの発表は、愛知犬山の市橋鐸という学者の物語。くわえて土方洋一さんの『源氏物語のテクスト生成論』の合評会。テクスト論と銘打つ本だけに、物語研究会のあり方を相対化するという意義を持つ合評とも言えます。藤井貞和さんの批評はものけんテクスト論を先の旧石器捏造にからませた辛らつな内容で、テクストに存在もしないもうひとつの物語を読むことの危険性を話されたのだろうと思います(間違っていたらゴメンなさい)。土方さんからは「ものけんは僕のふるさとです」という素敵なコメントもありました。

11月12日(日曜日)  

余明先生のスタジオで琴の稽古。『懐風藻』にも見える「関山月」。これは難しいっ。

11月13日(月曜日) 48000カウント  

清泉女子大学。発表は、「成人、婚姻の儀礼」について。レジュメも凝ったつくりの楽しい内容でした。

本を借り直すために青山に立ち寄る途中、渋谷の新日本プロレスの前を通りかかるとたくさんの記者が居ました。スポーツ新聞は「橋本真也解雇」の報道。なるほどねえ。

11月14日(火曜日)  

昨夜、『懐風藻研究』に掲載予定の論文を添付ファィルで送りました。くわえて、この夏の共同作業、「うつほ物語漢籍引用一覧」も同誌に併載される見込みとなりました。

11月15日(水曜日)  

『文学用語事典』の原稿を書きました。季節の変わり目です。みなさん、風邪に注意しましょう。

11月16日(木曜日)  

風邪に苦しみつつ、東京成徳大学へ。国語科教育法の授業はよく計算された構成でした。「葵」の巻の物のけ出現に興味を持ってくれたようですね。

11月17日(金曜日) 

明治大学。「論文演習」で確認しましたが、明治のオリジナルページのアクセスは、一日平均二件の割合らしい。来週あたり更新しますのでお立ち寄りください。「国語」『それから』の後半部。この映画の製作は1985年。主演の松田優作はすでにこの世になく、僕と同じ年の藤谷美和子はまだ幼さの残る感じ。歳月の流れを感じます。青山の文学史は、『うつほ物語』のあて宮求婚譚。古典演習「柏木」巻。夕霧と柏木の官職について。輪読は『源氏物語絵巻』の有名な場面でした。 

11月18日(土曜日)  

立川の叔母の家に遊びに行きました。

11月19日(日曜日)  

東京学芸大学で日本文学協会第55回大会「情報化社会の文学と教育」。発表のコンテンツにもよりますが、もうすこし最新鋭のAV機器を稼動させてもよかったのではないかと思いました。総会は僕が議長。予定より40分も延びてしまいました。つまり、もめたわけだけれども、発言はすべて、来年、「日本文学」の大会特集号に掲載されます。それにしても、「内容はぜひ御覧下さい m[!+!]m 」とは勧めませんが。

11月20日(月曜日)   

雨で紅葉した中庭が美しすぎる清泉女子大学。発表は「舞」と「仲忠と夕霧」のニ本。お昼にはラファエラ食堂で、軍記物の栃木先生、学務の古郡さんと楽しく歓談。前期に僕が担当していた日本中古文学概論は、後期が栃木先生の中世文学概論なのですが、僕が作った座席指定出席名簿が有効に活用されているようです。みなさん、友達の代筆は、古典の先生は目が肥えているのですぐ判りますから、絶対止めましょう。

昨日の日文協で、僕の議事進行に対して、厳しい批判を頂戴した兵藤裕己さんから、『<声>の国民国家・日本』(NHKブックス.2000.10.20)を頂戴しました。栃木先生が清泉に移られた後の千葉大の講義でも扱われていたもののようです。サントリー学芸賞の『太平記<読み>の可能性』(講談社選書メティェ)『平家物語−<語り>のテクスト』(ちくま新書)に続く日本人・日本文化論三部作ということになるのでしょうか。萬謝。

それにしても、謀反人、加藤紘一の乱には失望しました。「ひとりで採決に行きます /($@$)/ 」「大将がひとりで行ってどうする /[?@?]/」「おれたち、生きるも死ぬも一緒だと約束したじゃないか /(\_\)/」。。。できれば、鎧兜を着て、髪振り乱してやれば、判官贔屓で人気沸騰したのではないでしょうか。ところで、松浪某が大学教授だったというのは本当でしょうか?プロレスラーへの転進をお勧めします。

11月21日(火曜日)  

國學院の沼尻くんにバーナーを作っていただきました。ありがとうございます。リンクしている方は御利用下さい。目がチカチカしたら、ごめんなんし(信州佐久方言)。。。m(!ゅ!)m

11月22日(水曜日)  

『文学用語事典』の原稿を書きました。締め切りへの目処が立ちました。

11月23日(木曜日)  49000カウント  

早起きは三文の得。七時に家を出て環状八号線を南下。五島美術館に八時半にはつきました。おかげで十年ぶりの『源氏物語絵巻』全巻を眺めることが出来ました。何度見ても新しい発見がありますね。

11月26日は僕が古代言説研究会で、「女人出家作法と王法仏法相依の諸問題−出家の物語としての『源氏物語』」を発表します。その準備で一日終りました。

11月17日(金曜日) 

明治大学。「論文演習」の視聴覚棟AV−8教室は、この春2000万円をかけてリニューアルしたようですが、教卓備え付けのマイク付きヘッドホンには、なぜか「上原」と名前入り。僕しか使わない教室ではなかろうに。ありがとうございます。「国語」は明日にちなんで三島由紀夫。「文化防衛論」をみんなで読もうと思います。青山の文学史は、『うつほ物語』の三回目。一番前に座ってくれた学生さんが「うつほはキライです」と授業の終りに話しかけてくれました。古典演習は「柏木」の巻。発表は演習テーマと同じ「柏木はなぜ死んだか」。いろいろな見解のあった論争に挑んでくれました。 

11月25日(土曜日)  

30回目の憂国忌。事件当時、小学校02年生だった僕は、翌日白黒テレビに映しだされた事件の現場に衝撃を受け、迎えに来てくれた級友に三島事件の話をしたものの、彼はまったくその事件の話題を理解できなかった。そんな原体験があります。

11月26日(日曜日)

余明先生のところでレッスンしたあと、新宿で古代言説研究会。宗教と文学はまだまだ突き詰めるとやるべきことがたくさんあるのですね。

11月27日(月曜日)

清泉女子大学。発表は、「うつほ物語と『多武峰少将物語』『蜻蛉日記』の関係」「桜について」の二本。先行研究もありますが、これをじっくり読み込んでレジュメに独自性をだすこともいいでしょう。天気がよかったので中庭をあるいてみました。島津山の敷地の半分は樹林です。小高い丘の上に、大正六年、大正天皇・皇后御行幸啓の際の記念碑を見つけました。この地はやはり凄いところなんですね。

名門日立バレーボール部解散のニュースが話題ですが、僕が愛用している南波浩先生校訂の『日本古典全書 竹取物語 伊勢物語』(朝日新聞社、1960)は「日立武蔵女子学園図書」の蔵書印と廃棄処分の印のある本です。中卒の就労者が多かった時代、企業が定時制高校を経営していた時代の名残です。もちろん、僕の中学卒業時は、100%進学しました。おそらく全国的にも中卒での就業は10%以下だったのだろうと思います。


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