Last Up Date 2000.03.17          

日記を物語る 2000年02月INDEXホームに戻る             

02月28日(月曜日)

日が長くなってきましたね。今日は美しい夕日を眺めることが出来ました。

02月29日(火曜日)

今日は四百年に一度の特別なうるう年らしいのだけれども、とくに僕自身に変化があったわけではありません{あたりまえか}。僕のパソコンも精確に時を刻んでいます。

 「朝日新聞」夕刊は、先日御一緒した明治大学の林雅彦先生が僕に予告なさっていた、「『絵解き』が伝える民衆の信仰」の記事 。長野市の刈萱山西光寺{かるかやさんさいこうじ}の住職夫人は、希望者に毎日、寺にゆかりの刈萱道心と石道丸の絵物語を解説なさっているのですが、そうした絵解きを一同に集めたフェスティバルが林先生の肝いりで開かれるとのこと。この話を話題にした時の林先生の温顔が目に浮かびます。僕も、以前、学会の折に、『うつほ』仲間と、偶然御一緒した目加田さくを先生とともにこの「絵解き」を聞かせていただいたことがあり{その際には、信心深い旅の女性ぐらいに思っていて、懇親会の席でのオーラに、お名前を確認してカナリ驚いたわけでした}、その時のことを懐かしく思い起こしました。


02月01日(火曜日)

ぼちぼち原稿書きなど。一月はなんとなく永かった感じですね。

02月02日(水曜日)

『中世王朝物語・御伽草子事典』の「音楽・芸能」の項目を脱稿。礎稿は九月には出来あがっていましたが、編者のやさしい言葉に怠けてしまいました。ところが、もう一方の編者の先生から、別の事典の企画をもちかけられ、かなり締め切りに厳しい方だとわかりましたので、慌てて鎌倉物語を読み返すと言う大失態。おかげで『あきぎり』『在明の別』『しのびね』『松浦宮』など、繰り返し読み返すことが出来ました。春に完結が予告されている『鎌倉時代物語集成』{笠間書院}の別巻は索引だそうですが、項目索引が今あればもっとよかったのになあ。

02月03日(木曜日)

東京成徳の学年末試験にひさしぶりのスーツで出かけました。ところが、学バスが一時間に一本しかなく、勝田台で時間をつぶす。試験はみんなよく頑張りました。増尾先生の研究室で成績処理をすべて終えて、教務に提出。夕方、増尾さんの御案内で勝田台となぜか新大久保まで遠征して飲み歩く。いやあ、楽しかったですよ、今日は。

02月04日(金曜日)

前日最後に寄った韓国料理屋は日本人は僕らだけで、メニューも他のお客さんの言語もコリア語でした。やはり、朝はあちこちが痺れている{なさけな〜}。しかし、気合を入れて青山に出かけ、今度はこちらの教務に成績を提出。まだ学食が開いており、教職員食堂とおなじスペシャルメニューだったので、外には出ずにここで食事を済ませました。放送大学のレポートを返却したので、古希を迎えた学生さんから達筆の礼状も届いていました。そんなわけで成績処理はあと清泉のみ。しかし、のべ150のレポートの採点がたいへんなのですが。

02月05日(土曜日)

所沢の松井公民館で古典に親しむ会「薄雲」巻。明石の母子の子別れと着袴の場面。九年続けてやっと話のつぼが見えてきたような。新年度の茶話会をしていただきました。この間に車の定期点検をしてもらっていたのですが、前輪部分の部品交換を宣告される。僕の家の前は狭いからこのあたりタイヤの減りも激しいし、痛みもすぐ来るのでしょう。深夜、近所でまた火事が起きたらしく、狭い路地にけたたましいサイレンが長時間鳴り響く。昨年の火事の恐怖を思い起こし{関連記事。写真中央は消化活動中の僕。左下に僕の愛車が炎に照らし出されています。}、寝苦しい一日になりました。

02月06日(日曜日)  27000カウント

終日何もせず。また始まった怠惰な日々よ。

02月07日(月曜日)

締め切りは今週末のため、清泉の基礎演習レポートを再チェックする。前後期のレポートに発表レジュメをトータルすると、都合30〜50枚×400字くらいの調査作業をしてもらっていたことになります。頑張ったみんなによい成績をつけたいところですが、欠席四回は無条件でワンランク落とし、欠席八回以上もしくはレポートがすべて揃わない場合は再履修に廻ってもらいました。日本語日本文学を専攻する大学生の研究の基盤は、最低この条件をクリアしてもらわないと次にコマを進めないと思っているからです。

02月08日(火曜日)

午前中は春たけなわのような暖かさだったのに、夕方は雪混じりとなる。99年度の成績をすべてつけ終わり、大学関係の仕事は春休みとなりました。

02月09日(水曜日)

久しぶりに辞書に手をつける。『源氏物語』が主要な用例の語が多くスムーズに進みました。夕方は、ジムで身体を動かす。最近は完全に運動不足になっていますからね。

02月10日(木曜日)

これも久しぶりに高田馬場で仕事。BOOK0FFにも寄って見ましたが、今回は収穫がありませんでした。

02月11日(金曜日)

かなりマンネリ気味の日々が続く。こんな時期もあった方がいいのかもしれませんが。

02月12日(土曜日)

辞書を書くとき、用例探しに索引が手許にない場合は厄介です。所在を求めて全ページめくってゆかなければなりません。ただし、これで速読・再読が出来るのでいい勉強になることはなりますね。

いよいよミレニアム映像詩『源氏物語あさきゆめみし〜Lived in a dream〜』が公開されるようですね。ハイビジョン放送、 NHKBS-2、そのあと劇場公開、ビデオ及び DVDビデオ販売、講談社から写真集の発刊、 2000年4月には宝塚大劇場にて花組が同じ演目で本公演という、画期的なメディアミックス展開の予定だそうです。放送予定・NHK ハイビジョン放送(BS-9ch)  3月8日(水)19:00〜20:30・NHK 衛星第2放送 3月19日(日)20:00〜21:30

02月13日(日曜日)

阿佐ヶ谷の余明先生のもとで、琴のレッスン。なんと言っても減字譜{げんじふ}が難しい。これに手が付いて行かないのが悲しいけれども、これもこの春には克服しなくては。

02月14日(月曜日)

寒い一日。しかし仕事は驚くほど捗りました。この春は、勉強会の草稿として眠っている未発表の論文が何篇があるので改稿してどこか載せてもらえる雑誌でも探して見ようかなと思っています。

02月15日(火曜日)

辞書は122項目、締め切りから一日遅れで書き終わりました。すこし自分のための勉強時間が作れそうだと思っていたら、青山の図書館から春のガイダンスの資料やら、推薦図書の依頼が届いていました。ガイダンスのモデル資料には二年続けて僕の「古典演習」で作っていただいたものが掲載されていました。これを機に、今年は休みのうちに講義の年間計画を立てようかと考え立ちました。さあ、やってみよう。

02月17日(木曜日)

暖かい午後、医者を志す呉君と名物ラーメンを求めて、環七、環八と回り荻窪の春木屋で中華ラーメンを食す。僕の車で探しましたが、いざとなると見つからず、やっと中華そばにありついたわけで、これはなんとも美味でした。昨日、第三水曜日が定休だと忘れていて三ヶ月連続で行ってしまったジムでエアロバイクと水泳。来月はカレンダーにチェックしておきましょう。

02月18日(金曜日)

今朝の朝日新聞朝刊の「ひと」欄は「折口信夫全集の再編集を終えた長谷川政春さん」。帯には「清泉女子大学教授。専門は平安朝の物語文学。全集は中央公論新社刊。61歳。 」とありました。高校時代の折口との出会いから、大学編入、終生の学問を導いてくれた師の存在、さらには折口学の真髄が簡潔に語られています。  「あらためて感じるのは折口の偉大さですね。彼は、この世のあらゆるものに霊魂があるのだから、自分以外の価値を認めようという論者です。日本人のアイデンティテーや環境問題を考える上で、大きな意味があるのではないでしょうか。」微笑をたたえた口元に、畢生の仕事を終えた安堵が感じられました。再び御著書を書架から取り出して再読しようと思います。

02月19日(土曜日)

河添房江さんが御自身のホームページを立ち上げられた。僕が寄ったときのカウンターは「8」。末広がりの未来を祈念して、御紹介いたします。作成はご主人の手になるものだそうです。

02月20日(日曜日)

僕の後輩の二色博樹さんが、小嶋菜温子さんもいらした韓国啓明大学の客員講師として渡韓するため、新大久保のコリアスンデで送別の宴をしました。僕の高校の非常勤仲間である、石川正人さん、下平泰央さんにくわえて、アドバイザーとして専修大学で『源氏物語』を専攻する姜善奉{かんせんぼん}さんも見えて、韓国の暮らしやマナーをお話頂きました。二色くん、元気でね。

02月21日(月曜日)

夕方、東京FMを聞きながら車を飛ばしていたら、「寅年のあなた、独断で物事を進めると世間から反発が出ますよ」だって。たまには運勢占いが当たることもあるんだなあ〜〜{この意味を判る人は相当僕に近い人なり}。

02月22日(火曜日)  28000カウント

夜、某大学で再試験{レポート}に回っていただいた学生さんから電話がかかり{教務に教わったのでしょう}、400字×八枚のレポートの課題図書の三冊がともに手に入らないとのことでした。ひとつは僕の本で図書館が二月いっぱい開いていないとのこと。あとはちくま新書の本なのですが、何軒回ってもないらしい。このシリーズで平安文学関係を見つけたら買っておくのがお徳です。そこで、『源氏物語』関係の書物に切り替えて出していただくことにしました。他にも気になる学生さんの様子を聞いてみました。一月下旬からいきなり頑張る学生さんは毎年いるものです。いつだか、大学関係の仕事は終わったと書きましたが、この関係はまだ残っています。出席・成績不良の学生さん、あなたたちのことは、忘れておりません、ご安心ください。

02月23日(水曜日)

前日とは別の某大学の再試験{レポート}が書き留めで送られてきました。四年生だから必ず出ると思っていたら、ひとつ足りない。昨日の大学と同じ課題の本だったので本が見つからなかったことも考慮しなければ、と思い、教務経由の電話で事情を聞きました{おことわり:男子学生です}。「本はありましたけど…モジモジ」。途中教務からキャッチホンが入り、この学生さんは来年度も在籍が確定しているとのことでした。話を来年度の履修方法に切り替えて、再会を約束して電話を切りました。余分な一年分の学費はいつかかならずおかあちゃんに返すつもりだと言っていました。またどうせ再履修するなら良い成績を収めたいとのこと。頑張って。

02月24日(木曜日)

明治大学和泉校舎で、国語講座の2000年度の教科書選定会議。前から存じ上げている先生もあれば、お名前だけは存じ上げていて初対面の先生もいらっしゃいました。終了後、法学部の全語学担当教員{だから僕らは国語なんですね}による懇親会。席上、僕ととともに初お目見えの先生は、15年前、国文学研究資料館で学部四年生だった時に時給500円交通費ナシのアルバイトをしていた同僚であることを思いだし、互いの記憶と今までの人生の軌跡を楽しく語り合うことが出来たりして、なんとも言えぬ時の流れに感慨を覚えました。なにしろ今の僕には住宅ローンが××××万円も残っていて{当たり前か}、当時、一年間資料館で得た全アルバイト料を当てても、今ではほぼニヶ月分のローン代に足りないくらいなのですから。

02月25日(金曜日)

国文学研究資料館で共同研究。今日のテーマは『うつほ物語』の「車」と、褒美としての「衣裳」の二題。データベースがしっかりしているため、資料の検索は完璧なのですが、規準の立て方でこぼれる用例もあります。これをいかに厳密にして行くかが、今後の課題ですね。

02月26日(土曜日)

白百合で『浜松中納言物語』の注釈の会。各種データベースの整備のおかげで思わぬ引歌が見つかったりしますね。

 帰宅すると、都内の私立高校の国語科の現主任の先生から、中学校の生徒募集の不振を理由に、24年間勤めた高校の退職を勧告されたとのこと。法律的には、まだ04月01日より01月以上ありますから、経営者サイドも考えていたのでしょう。この学校は今年退職する先生には退職金が払えるけれども、来年度以降はそれも難しく、また雇用保険も学校は入っていなかったとのこと{四月からの失業保険が受けられないと言うこと}。数年前に購入した住宅ローンもあるそうで、善後策を相談されましたが、僕では埒があきません…。

02月27日(日曜日)

余明先生のスタジオで琴のレッスン。先生、せっかく楽譜まで書いていてくださったのに、指が動かず、新しいテーマまで進めませんでした。先生、ちょっと{カナリ}むっとした感じ。来月までの精進をお約束しました。帰宅して某大学の再試験レポートを採点・確認して書留で成績報告書を郵送、これでほんとうにすべて99年度の成績管理が終了したのでした。四月からは5大学の諸君と一緒に、彼ら彼女らの青春のひとときを共に過ごすことになります。出講先の学生諸君、どうぞよろしくお願いいたします。


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