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「源氏物語の生活」 井川 愛

「源氏物語」の邸宅

「源氏物語」には,物語の背景となる多くの邸宅が描かれており,場面の大部分は屋内での描写である.そこでまず,「源氏物語」に登場する邸宅のうち,京内及びその周辺に営まれた主なものを見ると,

一,桐壷更衣の里邸―――光源氏の里邸であるが,

のち源氏が伝領する.源氏が元服し,葵の上

と結婚した後,改装されて二条院となる.

二,紀伊守の中川邸―――光源氏が方違のために

訪れた際,空蝉と出会った邸宅.源氏は寝殿

(寝殿造の正殿)の東面に迎えられた.

三,大弐乳母の邸宅―――五条に所在し,源氏が

六条の御息所に通う途中に乳母を見舞うが,

隣家に住した夕顔を知った事から通うように

なり,夕顔の悲劇が始まる.

四,朱雀院―――累代の後院(上皇の居所)の一

つであるが,物語においては,源氏の異母兄

である朱雀院の御所として描かれ,院の女三

宮の裳着の儀もこの邸で行われ,院は彼女

を源氏に託している.

五,六条院―――光源氏の本邸.源氏本人の呼称

ともなる名邸.

六,三条邸―――三条に営まれた邸宅としては次

の三ヶ条がある.

1,藤壷の里邸である三条宮

2,左大臣室の宮(桐壷院の妹)の邸宅である

三条宮.のち娘の葵の上に伝領され,源氏

が婿取られる.大宮の息男である頭中将は

右大臣の四君の婿になったことから二条邸

に居住する.葵の上の死後,遣児夕霧は,

外祖父母により雲居雁(葵の上の姪)と共

に当邸で育てられ,両者が婚した後は当邸

に移り住み,以後三条殿と呼ばれた.

3,女三宮の邸宅.源氏膏去後,六条院を去り,

柏木との間に生まれた薫と共に当邸に移り

住む.のち薫は当邸に今上帝の女二宮を迎

え繁栄する.

七,一条邸―――落葉宮(朱雀院の二宮,柏木

の室)の邸宅.柏木と母である一条御息所の

死後,夕霧が当邸を強引に改装し,移り住む.

八,桃園宮―――式部卿宮(桐壷院の弟)の邸宅

宮の死後,女である朝顔斎院は賀茂を退下し

当邸に住む.朝顔は源氏の求愛に対し,終生

心を開く事はなかった.

などが挙げられる.物語を展開するにあたり,居

住空間としてばかりでなく,出会いの場としての

邸宅に対する心配りが窺われ,男女の織成するド

ラマが住居のありかたに深く投影されている印象

を強く受けるのである.そして何よりも,当事の

婚姻形態が住居のあり方によってより鮮明なもの

となるのである.

二条院―こうした邸宅の中でも注目されるのは

光源氏の二条院と六条院と言えよう.まず二条院

であるが,この邸の前身は,源氏の母である桐壷

更衣の里邸であったことは先にも述べた.源氏は

当初左大臣に婿取られ,三条邸に暮らしていたが,

自らが伝領した更衣の里邸を改築し,紫の上を迎

える.以後,紫の上は,「二条の院の君」「二条の

院の姫君」「二条の院」などと呼ばれるようにな

る.平安左京二条二坊十三・一四町に所在した陽

成院をモデルとしたとされるこの邸のありさまは

元の木立,山のたたずまひ,面白き所なりけ

るを,広くしなして,めでたく造りののしる.

(桐壷巻)

明けゆくままに見渡せば,御殿の造りざま,

しつらひざま,さらにもいはず,庭のすなご

も玉を重ねたらむやうに見えて輝く心地する

に(若紫巻)

などと記される如く,その壮麗さが彷彿される.

当院にわ東西に対が設けられ,紫の上は西対に入

った.源氏の所在については詳らかにしないが,

恐らくは基本的には寝殿の東面部に居住し,秋好

中宮が退下してきた折には,中宮に寝殿を提供し

,自身は東対を用いたのでわないかと考えられる

なお,東西の関係については「民江入楚」に「人

の家の寝殿には東面を晴れ」の方に用いるなり」

との記述があるように,東側が公の「晴れ」の場

に設定され,西側が日常の「け」の場として設定

されていたことが窺がわれる.

六条院―光源氏は内大臣となり,上級官人としての

地歩を築いた三十五歳の時に,四町に及ぶ六条

院を建て,縁のある女性たちを住まわせたので

ある.いわば源氏の栄華象徴とも言うべき邸宅

であるが,ここで紫式部は四町に及ぶ大邸宅を

想定し,物語を構成するのである.

六条院について式部は「六条京極のわたりに,

中宮の御ふるき宮のほとりを四町を占めて,造

らせ給ふ」(乙女巻)と述べており,秋好中宮

の母である六条御息所の邸宅を拡張したことを

記す.

六条院は一町ずつ四つに敷地割りがなされ春夏

秋冬の四季の風情を織り込んだ配置がなされ,

それぞれの季節を好む女性を住まわせている.

春の町である辰巳(東南)の当院の中心的存在

であり,六条院行幸などの重要な儀式のさいに

はこの寝殿が用いられた東対には紫の上が,寝

殿の西面には女三宮が住み,薫もここで,育っ

た.また紫の上が育てた明石中宮も里第として

用いており懐任の折には退出し,源氏の外孫で

ある女一宮・第三親王(匂宮)も当院で育った

丑寅(東北)の夏の町の東対には夕霧を献身的

に育てた花散里が住み,夕霧も後に落葉宮を当

地に住まわせている.花散里はまた源氏の養女

となった玉御髪(父は頭中将,のちに内大臣,

母は夕顔)の世話も引き受け,家庭的な女性で

あったことを印象づける.玉御髪は,西対の文

殿を他に移し,ここに住んだ.

末申(西南)の秋の町には秋好中宮が住むが,

これはこの地が彼女の母である六条御息所の邸

宅の跡地であったことによる配慮であった.南

池は春の池に続き,胡蝶巻には新造の船楽の際

,両町の池を行き来する有り様が活写されてい

る.

戌亥(西北)の冬の町は明石の上の住まいであ

るが,彼女が受領階級の出自であることから,

この地の殿舎には寝殿がなく二棟の対が廊で結

ばれるという造りであった.明石の上は源氏と

の間に女子を生むが,彼女は紫の上のもとで育

てられた.のち中宮(明石中宮)となるや明石

の上は宮中に侍し,娘の後見役となり,身分に

対する劣等意識から解放される.

次に住居内のありさまについて見ておきたい.「源氏物語」の大半は室内における描写である.室内には生活の場に必要な調度類が備えられているが,それらは物語の展開に不可欠な小道具として登場する.

・ 御調度どもも,そこら清らをつくし給へる中に

も,香壷の御はこどものやう,壷の姿,火取の

心ばへも,日馴れぬさまに今めかしう,やう変

へさせたまへる.

・ 御調度どもも,もとあるよりもととのへて,御

みつからも,ものの下形,絵様などをも御覧じ

入れつつ,すぐれたる道々の上手どもを召し集

めて,こまかに磨きととのへさせたまふ.

いずれも梅枝巻からの引用で,入内を控えた明石の姫君の六条院での描写であるが,調度類を通じて源氏の心配りが彷彿される.

また,調度類を始めとする室内の装飾設備は室礼

という語で表されるが,この語も簡潔にして,しかもイメージを掻き立てる語として用いられている.

例えば,葵の上の葬儀を終えた源氏が二条院に帰った際「衣がへの御しつらひ,くもりなくあざやかに見えて」(葵巻)と記されただけで,十月一日の冬物への衣がへに際し,室礼も換えられ,室内の様相が一変したというイメージがわくし,また葵の上を失った左大臣邸の喪中の室礼に比べ,いかにも華やかな装飾が施されていたことを読書に理解させる効果もはたしている.

こうした調度類が,絶妙の小道具として物語の展開の中盛り込まれた「源氏物語」には,王朝の雅の世界が凝縮されていると言っても過言ではないだろう.

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