このテクストは2005年度にサントリー文化財団から助成を得て進められている研究プロジェクト「ヨーロッパにおけるアニメーション文化の独自の発展形態についての調査と研究」の成果として公開するものです。



【注意】以下のテクストの改訂版が本プロジェクトの研究成果報告論集(2007年7月発行)に収められており、そちらが正式版となります。したがって、以下があくまでも仮のヴァージョンであることをご了解の上でご覧ください。


ミッシェル・オスロ監督1との対話

古永真一

 9月30日から10月2日の3日間、第2回「日仏アニメーションの出会い」が日仏学院で開催された。初日は「ルネ・ラルーへのオマージュ」、二日目が「ミッシェル・オスロ監督を迎えて」、3日目が「ベルナール・パラシオス監督を迎えて」というプログラムで、3日間とも盛況で会場に入りきれないほどだった。

 本稿で取り上げるのは、2日目のミッシェル・オスロ特集とその際に私と赤塚若樹氏が行なったインタビューについてである。この日も盛りだくさんのプログラムであったが、ミッシェル・オスロ監督の作品は「プリンス&プリンセス」(1999年)、「キリクと魔女」(1998年)、「キリクと野生の獣たち」(2005年)から「キリクと謎の呪い鬼」(仮題)、現在製作中の「アズールとアスマール」の一部が上映された。「アズールとアスマール」は、世界初の独占上映だそうで、3D映像の一部が公開された。中世のイスラム教とキリスト教の文化圏を背景にした古代ペルシャの物語になっているようだ。一見して感じたのは、人物の表情や動きに関してはまだ修正の余地がありそうだということ。ディズニーのようにキャラクターが単純に記号化されておらず、一人一人が劇画のように立体的に描かれているので、自然に動かして演技させるとなるとかなり高度な技術が要請されるのだろう。とはいえ、オスロ監督ならではの鮮やかな色彩感覚や細密な情景描写は健在であった。上映後は、ミッシェル・オスロ監督が新作について語り、「カンヌでパルムドールを獲ります」と言って会場を沸かした後、川本喜八郎監督、高畑勲監督を迎えての鼎談が行われた。

 まず高畑監督が一部公開されたばかりの新作「アズールとアスマール」の感想を述べた。高畑監督は、「一部の映像だけではなんともいえないが」と留保したうえで、CGを大胆に使った新作でも、オスロ監督のもっている「装飾的な美しさ」がイスラムの伝統に根ざした幾何学模様をうまく表していると評価した。「プリンス&プリンセス」では影絵アニメーションという古風な手法で撮ったオスロ監督だが、コンピューターを全面的に導入した理由については、似たような作品を撮り続けるのが好きではないからと答えていた。

 次に話題は、オスロ監督の過去の作品に移った。川本監督は「プリンス&プリンセス」のなかの日本を舞台にした話が特におもしろかったと評価し、高畑監督は日本が舞台なのか外国が舞台なのかまったく意識せずに見られたのが不思議だったと述べた。川本監督がオスロ監督の様式美が浮世絵に通じるものがあり、リアリズムに裏打ちされたヨーロッパの感性とは異なるものを感じたと言うと、オスロ監督は、経済的な理由などから切り絵を表現手段に選んだことでそのような様式化に至ったと謙虚に答えていた。

 川本監督の新作「死者の書」の一部も上映され、オスロ監督は「マリオネットの悠揚せまらぬ動き」を評価していた。ちなみに当日、私がオスロ監督に「川本監督のように人形を使って撮る予定はありますか」と尋ねたとき、オスロ監督は「そういう予定はありません。」と述べていた。

 鼎談終了後は、観客との質疑応答に移った。「人物の表情、台詞の重要性についてどのように考えているか」「世界で起きている大きな問題についてアニメーションは何をなしうるか」「なぜリアリスティックではない作品を作ろうとしたのか」「どういったきっかけでアニメーションを撮るようになったのか」「『キリクと魔女』がフランスで公開されたときの反応はどうだったのか」といった質問が提起された。当日の模様はキャメラによって収録されていたので、いずれDVDの「特典映像」か何かで見ることができるのかもしれない。ちなみにこの日も高畑監督は「キリク」の感想を述べられていたが、それについてはミッシェル・オスロ監督と高畑監督の対談が「キリクと魔女」のDVDに特典映像として収録されているから、興味のある方はそちらをご覧頂ければと思う。

 鼎談が終わり、下のロビーでオスロ監督のサイン会が行われた。特にサイン会を催すということではなかったが、自然とそういう流れになったのである。オスロ監督は、ひとりひとり丁寧に応対している。赤塚若樹氏も持参した「プリンス&プリンセス」のDVDにサインをしてもらっている。 オスロ監督は、全員にサインして終わったかと思うと、今度は隅の方に移動して立ったまま、何か書いている。近づいていってのぞきこむと、大きな布に子供たちの寄せ書きが書かれている。質疑応答のときに、「子供たちに映画を見せる運動をしていて『キリク』の上映会を行う予定です」と言っていた女性がいたが、おそらくその方だろう。するとオスロ監督は、サインをするかと思いきや、キリクの絵を描きはじめた。殴り書きのサインとは異なり、書道家が精神集中して書くようにサインペンをゆっくりと走らせている。

 話しかけようと思うのだが、あまりに一心不乱に描いているので躊躇してしまう。しかもそばにはレセプションに早く誘導したそうな様子の係の方が立っている。思い切って話しかけてみると気さくに言葉を返してくれた。まずは影響を受けたアーチストについて尋ねてみる。オスロ監督は、「私はあらゆる人に影響を受けてきましたが、『キリク』の場合は、税官吏ルソーだと言えますね。あとはそうだな……アフリカの絵ですね。でも、私には『師匠』はいませんよ。」とキリクを描きながら語ってくれた。やはりアフリカで暮らした経験は大きいようだ。師匠はいないという点は強調していた。オスロ監督は(エリート養成のための)「正規の美術教育」を受けてはいない。「子供の頃から絵を描くのが好きで、飽きることなく続けていたらいつのまにかプロの映像作家になっていました」と言っていたのを思い出した。

 レセプション会場は、日仏学院の敷地内にあり、歩いて数分の距離のところにある。移動する途中もオスロ監督と話すことができた。その場に同行していた赤塚若樹氏が「ロッテ・ライニガーについてどう思いますか」と質問する。「プリンス&プリンセス」が影絵アニメーションで撮られていたからであろう。オスロ監督は、「彼女がああいう作品を作っていなければ、私が現在のように制作していることはなかったでしょう。」と世界初の長編アニメを完成させた影絵アニメーションの巨匠への尊敬の念を示した後、「でも彼女の作品には興味はないですね。」といたずらっぽい表情で付け加えた。「アルカイック過ぎるという感じでね。それに物語があまりおもしろくないでしょう(笑)もちろん、おもしろいところもありますよ。影絵のテクニックなんて興味深いと思います。」

 そういえば、オスロ監督の新作「アズールとアスマール」はイスラム文化圏が舞台だそうだが、ロッテ・ライニガーの代表作「アクメッド王子の冒険」(1926年)もイスラムが舞台である。このインタビューの翌月に「アクメッド王子の冒険」が写真美術館ホールで公開されたので見に行ったのだが、前に座っていた母子は席を立ってしまっていた。たしかに影絵の技術は素晴らしいのだが、オスロ監督の言うとおり、(少なくとも21世紀の)子供にはあまりおもしろいものではなかったようだ。子供向けのワークショップの経験もあるオスロ監督は、子供にとって何がおもしろくて何が退屈なのかをよくわかっているように見受けられた。

 レセプション会場に到着する。近づいてゆくとオスロ監督は「また質問かい?」と笑いながら、嫌な顔一つせず質問に答えてくれた。フランスで注目すべきアニメーション作家について尋ねると「特に思い当たらない」とのこと。今現在とりくんでいる仕事に没頭しておりそれどころではないといった様子だ。愛読している本について尋ねると、ヴォルテールという答がかえってきた。「プリンス&プリンセス」や「キリク」の印象から世界各地の民話や童話に関心があるのかと思っていただけに意外な感じがしたが、ヴォルテールが自由と反骨の象徴だとすれば納得の回答ではある。オルレアン公を諷刺してバスティーユに投獄され、イギリスに亡命したヴォルテール。そういえば、キリクも自分なりに考えて行動するうちに社会と対立して共同体から追い出されてしまう。オスロ作品を深く知ろうとするとき、ヴォルテールという名前は一つのキーワードになるのではないだろうか。

 サインペンでキリクを描いていた光景を思い出し、バンドデシネについてはどう思うかと尋ねると、「BDはレベルが高すぎてね」とご謙遜の様子である。日本の漫画はフランスで大量に訳されているけれども、フランスのBDは日本でほとんど訳されておらず、解説書の類も乏しい。こうした状況では、BDよりも言葉の壁を感じさせないアニメーション――台詞が皆無に等しいメビウスのBD『アルザック』のような例外はあるが――にオスロ監督は可能性を感じているのだろう。

 ミッテラン政権下で文化大臣ジャック・ラングが推進した文化政策について話題を転じてみると、発展途上国の安い労働力に頼る構造は変わっていないが、新作「アズールとアスマール」はパリで制作したことを強調していた。新作の高度な3Dの画像処理は、フランスに集結した優秀なスタッフが担当したそうだが、いずれこうした作業も発展途上国に委託されることになるだろうか。日本でもアニメーション産業に携わる人の労働環境が社会問題化しつつあることを伝えると、オスロ監督はなにやら神妙な面持ちで聞き入っていた。先進国のなかでも日本の文化予算はとりわけ低く抑えられている。文化立国のフランスの政策も参考にできるところは「経済大国」日本も採り入れるべきであろう。

「日本では日本のアニメだけでなくヨーロッパのアニメーションに関心を持つ人が増えていますよ」と私が言うと、大勢の観客で埋まった会場の様子を思い出すようにオスロ監督は「とてもいいことだと思います。特に若い人は世界のあらゆることに目を向けるべきですね。」と、異文化に関心を持つことの重要性を力説されていた。私がパリに住んでいた頃にモスクを訪ねたことがあると言うと、「まさに新作はそうしたイスラムの文化を知るいい機会になると思いますよ」とオスロ監督は答えた。「アズールとアスマール」は2006年フランス公開だそうだが、日本ではまだ公開は決定していないそうである。「時節柄、政治的な反応が凄そうですね」と話しかけると、オスロ監督は「それはそうかもしれませんが、作品を見てもらえば、皆にわかってもらえる内容になっているはずです。」と新作への自信をのぞかせた。

 その後、フランスではイスラム系の移民の若者たちが中心となった暴動が続き、それに対しておそらくは極右勢力によって礼拝中のモスクに火焔瓶が投げ込まれる事件が起きている。1998年のワールドカップ優勝のときは「多国籍軍」を彷彿とさせる代表チームの勝利に酔いしれたフランスだが、そうしたスペクタクルでは隠蔽できない現実が噴出しているのが現状である。オスロ監督の作品は、一般的に子供向けの作品として親しまれてきたが、次回作では3Dの人物描写がうまく行くかどうかという技術的な問題もさることながら、イスラムという異文化との対話と共存という難しいテーマが取り上げられることになるだろう。

 レセプションの主賓を独占していては、他の人たちに失礼だ。オスロ監督が「さて、何か食べましょうか」と言ったのをきっかけにインタビューは終了した。長丁場のイベントをこなした後で疲れていたと思うのだが、アポなしで初対面の人間に矢継ぎ早に質問を浴びせられながらも、オスロ監督が終始にこやかに丁寧に答えてくれたのが印象的であった。

(2005.11.29)



[1]ミッシェル・オスロ監督は、コート・ダジュール生まれ。幼年期をギニアで過ごし、ルーアン、パリ、ロサンジェルスで美術を学んだ後、アニメーションの制作に専念する。「三人の発明家」でザグレブ国際映画祭で最優秀賞を受賞。1982年に「哀れなせむし男の伝説」、1987年に「四つの願い」を制作するが、1998年に最初の長編作品「キリクと魔女」が世界中で大ヒットするまでは、失業者のような生活をしていたという。この作品の成功によってテレビ番組用に制作された「プリンス&プリンセス」も映画として2000年に公開された。2005年の12月には「キリクと野生の獣たち」、2006年には「アズールとアスマール」の公開が予定されている。なお「プリンス&プリンセス」のような影絵アニメーションの様式で、今回はCGを駆使した作品も準備中とのことである。

Text Copyright (C) 2005 SHINICHI FURUNAGA


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