このテクストは2005年度にサントリー文化財団から助成を得て進められている研究プロジェクト「ヨーロッパにおけるアニメーション文化の独自の発展形態についての調査と研究」から生まれたもののひとつです。



チェコ・アート・アニメーションの世界
    ――対談:辻直之×赤塚若樹 パート2

2005年10月19日 UPLINK FACTORY

 注目の若手アニメーション作家・辻直之1と、本プロジェクトの研究代表者・赤塚若樹によるチェコ・アニメーションをめぐる対話のパート2。

 パート2は、パート1の2日後、同じく渋谷のUPLINK FACTORYで、コロムビアミュージックエンタテインメントのチェコ・アニメーションDVD-BOX発売記念イベント「チェコ・アート・アニメーションの世界」の一環として行われた。対談に先立つ上映プログラムが「新世代」の作家たちを中心をしていたこともあって、今回の対談では、「新世代」の人々の作品が中心的に取り上げることとなる。「新世代」の作家たちとほぼ同年代である辻直之が、実作者の視点から、「新世代」の作家たちの作品の平板さを指摘する場面が非常に興味深い。司会は、前回同様、辻直之作品の配給をてがける鈴木朋幸氏。(2005.12.25)


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未知のものを共有する

赤塚:トルンカのダークなところについてもう一度おききしますが、辻さんはそういったところに惹かれるわけですか。

辻:そうですね、わけのわからないものを描いて、それを作者と観客で共有する。そういうところがあるのかなと。ポヤルもそうですね。理屈じゃないものを出してくるというか。トルンカの場合は、神秘的なものだとか、自分では知覚できないものに対する関心と、アニメーション技術を切り開いていくことが連動している。

赤塚:辻さん自身にもそういうところはあるのですか。

辻:私も未知のものを描きたいということがあって、自分でも意識しているからこそ、そういうところを見つけてしまうところがあるのかなとも思いますけれども。そのときに、どうやってそれを描くかということがありまして。物語は進めなければならない。その両立の仕方を、トルンカなどを観て盗もうとしているのですけれども。

赤塚:それは面白いですね。未知のものというのはたとえばどういうものですか。

辻:自分の生きている社会では共有できないものですね。トルンカもそういうものを描こうとしているのかなと思います。

赤塚:見えなくても、それに向かっていく。それがアニメーションであると。

辻:思うのは、観客とそういったものを共有しようという前提があるのではないか。

赤塚:たんに自分のものとするだけではない……。

辻:それを感じさせるために、どこでどういう技術を使って、どういう風に物語を組み立てていくか、それを考えていくということです。映画をつくるときに、そういうことをやらなければならないと最初から思っているのではないかと私は思っています。

「新世代」の欲求

赤塚:新旧の違いみたいなものも考えてみたいのですが、「新世代」の人たちについてはどうでしょう。トルンカたち「巨匠」は、未知のものを追求している。それに対して「新世代」はどうか。

辻:私の印象としてはですね、「新世代」は、生きている時代が同じですから、描かれていることに受け入れやすいものが多い。トルンカたちの作品がわからないというのは、時代のズレもあると思うので。

赤塚:同時代性というのは重要ですよね。

辻:私はどちらかと言えばトルンカの時代の作品が好きなのですけども、それはおいといて、どうして「新世代」の作品が素直に入ってくるのか。私の考えている理由が一つあって、「巨匠」たちの場合は、冷戦時代じゃないですか、そうすると、お互いにお互いのことを知ろうとしたり予測しようとしたりするじゃないですか。鉄のカーテンの向こうは神秘なわけですから、そういうことを一緒に考えよう、と。それは共有しやすいことですよね。「新世代」の人間は、自分たちの作品が、西にも東にも届く。ですから西側の人にも東側の人にも同じように届く作品をつくろうという意識があるのではないかと思うんです。

赤塚:それは意図的に、ということですか。

辻:そうですね。だから、物語も平たく平たく作ろうというしているような気がするんですよね。私も、わりとすんなり物語の仕組みがわかるんです。彼らの求めているものがこちらにはっきりと伝わってくる。

赤塚:たぶんトルンカの場合でも、ある意味伝わってはいるわけですよね。おそらく、それが言葉にしやすいかしにくいか、そういう違いだろうとは思うのですが。

 辻さんの話を伺っていて、いくつか話を分けて進めていきたいと思うのですが、その前に背景について説明しておこうかと思います。第二次世界大戦後、チェコ(スロヴァキア)はソ連側、社会主義圏に入りました。前回もいいましたが、社会主義というのはすべてのものを国が用意してくれる制度です。そのかわり国のいうことをきかないといけない。ですから、その当時、映画産業も国有化されていた。映画をつくろうとすれば、まあ、国に認められればですけども、国がお金を出してくれていたわけです。そういう背景がありますから、やはりアニメーションはつくりやすかった。お金がかかりますから。一方、トルンカたちの作品は海外で評価が高い。するとアニメーションが国の宣伝になる。なおさらアニメーションに力が入れられる。

 「プラハの春」という言葉を皆さん聞いたことあると思いますけれど、1968年頃、民衆たちの自由を求める動きが高まっていった。そうした動きにソ連が怒り、ワルシャワ条約機構軍によってチェコ(スロヴァキア)に攻めてきた。そして70年くらいから「正常化」の時代になる。「正常化」っていうのはソ連にとっての正常化です。社会主義にとっていいようにする、そういう時代になったわけです。

 60年代には、チェコの「ヌーヴェル・ヴァーグ」という言われ方もするくらい、世界各地でチェコの実写映画の人気が出てきた。たとえば『アマデウス』のミロシュ・フォルマンなどですが、そういう流れがあった。ところが、68年以降それが変わっていって、やはり反動がやってくる。それまでは多少のことは認められていたんですね。ところが「正常化」の時代になって、締め付けがかなり厳しくなった。フォルマンなどは国外に出てしまったり。思想的に弾圧されかねない状況のなかで、生活の手段として子供向けの映画をつくるようになった人も出てきたり。アニメーションについてもそうで、自由につくれなくなってしまったんですね。たとえばポヤルは「大人向けの作品がつくれなくなった」というわけですよ。チェコでは70年代から80年代にかけて、実際にはアニメーションがつくられているわけですけども、毒気のない作品が中心になってしまった。

 そういう流れがあったなかで、1989年に東欧革命が、チェコではビロード革命があり、ヨーロッパで一気に社会主義が崩れ、西側と同じような体制になった。その後90年代になってから出てきたのが「新世代」なわけです。ですから、今いったように西側との壁というのが、1989年以後なくなった。そして、いろいろな技術的な進歩も地球を狭めた。そういったことが「新世代」の背景にある。

 辻さんは「新世代」について、それがわりと欲求が見えてきてしまう、平板だ、といいますが、西側に媚びているとまでいってはだめですか。

辻:というかですね、やさしくアプローチしてくるというか、こうだよね、こうだよね、というように。そうするとですね、安心はあるわけですよ。同じ物語を共有できるというのはもちろんいいことですけども、トルンカたちの場合は、未知の世界を共有させてくれるわけです。そういうところがちょっとちがうかな。確かに、情報が行き来できるわけですから、同じものを共有したいと考えるのも非常に自然な欲求であるとは思うんですけども。

赤塚:でもそれではある種の頷き合いになってしまう。芸術というのは、突飛であったり、受け入れ難いものがあるゆえに面白いというところがあるわけですから、面白みがなくなりますよね。恐らく辻さんは言葉を選んでらっしゃるのでしょう(笑)。事前の打ち合わせでは、面白くないということはないがピンと来るところがあまりなかった、とおっしゃってましたよね。それが率直な印象だと思うんですが。トルンカにかんしてはピンとくるわけですよね。「新世代」についてはそういうところはありませんでしたか。「オリジナリティ」という言い方がありますが、それと「ピンとくる」というのは言葉が重なってくるでしょうね。

辻:「新世代」についてはこれから違う目標を必ず求めるようになると思うんです。でもとりあえずは、自分の書いたもの、作ったものをまずみんなに分かってほしい、というのがあって、それはわからないとは言われないんですね。だから、今の状況というのは、やろうということは達成されている状態であると。だからこれから変わるであろうと私なんかは思うわけですけれども。

赤塚:言い忘れましたが、イジー・バルタという作家がいます。彼は80年代に頭角をあらわしてきた作家なんですけれども、彼の作品はどう考えても子供向けではないわけで(笑)。つくったのはチェコでなんですが、西ドイツなどの資本でつくったりだとか、作品の発表の舞台はおもに海外であったりだとか。シュヴァンクマイエルもそうですけれど。シュヴァンクマイエルの作品はアンダーグラウンドであるといわれていますが、知人のチェコ人が、最初に観たのは実際に「地下」だったらしいんです(笑)。そういうようなかたちでしか観ることができなかった。もちろん公式的にすべて禁止されていたわけではないですけれどもね。

アニメーションの東西交流

赤塚:東と西ということを考えてみたいのですが、辻さんとの事前の打ち合わせのなかで、辻さんが、「新世代」の作家たちが西側の変な部分に感化されているのかな、と思ったとおっしゃっています。チェコのアニメーターが西側を向く。そして、辻さんもそうですが、西側のアニメーション作家のほうは東欧だとか中欧から影響を受ける。90年代以降、冷戦構造が崩れていくなかで、そういう傾向があるのではないかとおっしゃっていましたが、それが興味深かったですね。

辻:私の場合、アニメーションをつくろうと思った最初のきっかけは、イギリスのブラザーズ・クエイの作品集を観たことでして。もう毎日観てました。非常に売れたらしく、それを観て、「ブラザース・クエイみたいな作品を作りたい」という同じくらいの年齢の作家が非常に増えたんですけども。

赤塚:何年くらいですか。

辻:92年くらいですかね。みんなブラザーズ・クエイみたいなのをエネルギッシュに作ってしまうわけですよ。で、同時期にカナダなどで作られた作品を観ても、カナダなのに、ブラザーズ・クエイみたいな作品になっているというのがあって。ブラザーズ・クエイは明らかにシュヴァンクマイエルに影響を受けているところがあって……。

赤塚:ブラザーズ・クエイというのはシュヴァンクマイエルが大好きで、『シュヴァンクマイエルの部屋』なんていう、シュヴァンクマイエルのエッセンスのいいところを抽出して、それを自分たちなりに消化した面白い作品をつくってますよね。それからストラヴィンスキーというロシアの作曲家や、レオシュ・ヤナーチェクというチェコの作曲家をあつかった作品 それから『櫛』とか『ベンヤメンタ学院』とか、オーストリアの作家ローベルト・ヴァルザーの小説にもとづいてつくった作品もある。東欧・中欧というよりは、かなりあいまいに「東」といったほうがいいでしょうが、そういったところから触発されて作品をつくっていましたね。

辻:そういう風に東側のものに影響されたブラザーズ・クエイの作品を観て、そのまま作家になってしまうくらいに熱くなってしまった人たちがいて、そういうそっくりな作品がたくさんできて、私もその一人だったんですが……。

赤塚:ある種の東欧的な雰囲気が好きだったのですか。東欧というのは小さなところにいっぱい国があって、言葉もそれぞれ違うわけですよね。そういった坩堝のようなところなんですけど、でも、「東欧」という力があると思うんですよ。

辻:完全な精神的ショックだと思うんですけど。他のジャンルでも、例えばワールド・ミュージックだとか、そういうことがあったと思うんですけど。

赤塚:それは鉄のカーテンがなくなってしまって、向こう側のものが入ってきやすくなったということもあるんでしょうね。それに触れることによって驚いたのでしょう。でもおもしろいですね、辻さんの作品を観て、東欧に関心が強いようには思わなかったので。

辻:やはり、シュヴァンクマイエルだったり、ブラザーズ・クエイに後押しを受けて、作家になった一群というのがいるんですね。でもそれぞれ別の道を探していかなければならないわけですね。「シュヴァンクマイエルに似てる」だとか「ブラザーズ・クエイに似ている」だとかいつも言われてしまうわけですよ。

赤塚:それはやはり芸術家にとっては屈辱的なことですか。

辻:一年間とか一生懸命時間をかけて作るわけじゃないですか。それなのに第一声がそういうものだと、何のために作っているのかと……。でもそりゃそうなんですよね、毎日毎日ブラザーズ・クエイの作品を観ているわけですから。

赤塚:そういうほうも観てるんですね。

辻:そうなんですよ、よく知ってるがゆえにわかると。違う部分もあるけどね、と優しい方は言ってくれるんですけど……。自分の世界を作ろうと思ってアニメーションを作っているのに。そんなのセイントセイヤとかそういったものを同人誌で真似して描いてるのとも同じことなんですよ(笑)。実際私もそういうことやってたんです。まあ、違うマンガですけど(笑)。そこからまだ自分は出られないのかとショックだったんです。

赤塚:辻さんは、60年代から70年代の作品に惹かれるところがあるとおっしゃる。作家のポテンシャルも違うんじゃないかとも。それはやはり情念の深さですか。

辻:そうですね。いろいろあるんですが、トルンカとシュヴァンクマイエルに関しては、私が思うに、情念がわりと深そうな感じがするんです。

赤塚:余談かもしれないですけど、トルンカは『手』をつくっているころというのはかなり身体が悪くて、それでその後アニメーションをつくれなくなったということもあったらしいんです。身体的なものが精神的なものにも及んでいるようなところがあった……。

辻:根本的に暗いというのはその二人が代表的だと思うんですけども。

赤塚:僕は実作者でないからわかりませんが、作家の内面的な欲求と、わかりやすくしようというものはときに相反するものだと思うんですね。だから、そういうものが強くなれば、あまり平坦なものには結果的にならないんじゃないですか。たとえば辻さんの作品なんかそうですよね(笑)。

辻:たとえばトルンカなんかは、自分たちの社会に通用している以外のものを映画のなかで作るわけですよ。社会で通用する以外のヴィジョンというものを見せたいという欲求があるわけで、それについて考えさせたい、考える仕組みまで作ってやろうと。そういうことをする人間というのは、その社会の中で心情的にうまく社会とコミュニケーションできていないのではないかと思うわけですけどね。シュヴァンクマイエルなんかは、話をきいていても、やはりそういうことを思ってしまうわけですけども。そうするとですね、やはり「新世代」の人たちは、こんなところで文句を言ってもしょうがないですけど、こっちから「こんにちは」って手を振って、向こうから「こんにちは」って返してくれるという、それとは違うものを投げかけてきてほしい、というのがあるわけです。未知のものでなくてもいいですけど。

赤塚:もうひとつ、「巨匠」にかんしては、自分たちの思想をシンプルに表現しているけれど、「新世代」についてはそうではないのではないかとおっしゃってました。「思想」というのは他の言葉で言い換えてもいいのでしょう、頭でっかちになっている、策に溺れているということですが。

辻:そこはちょっと語弊があったかもしれません。アニメーション用の脚本もつくられますが、そのためにはたぶん脚本とアニメーションを作る側との高度なコミュニケーションが必要となってくるわけですね。「新世代」の脚本というのは、アニメーション技術の中の特定の部分を使って作っているという気がします。別にこれは人形アニメーションでなくてもいいのではないか、と思うこともあるし。

赤塚:それは考えと技術が一致していないということですか。

辻:それを一致させるためにはかなり密なチームワークが必要となってくるわけです。アニメーションで思想を表現するっていうのは、そういったチームワークがなければできないんじゃないかと改めて思わされたわけです。そうするとですね、チェコ・アニメーションの80年代のブランクというものを考えると、例えば、技術スタッフ同士のコミュニケーションに、トルンカたちと同じようなものを要求するのは非常にかわいそうなことなのかなと反省しましたけども。でも、実際できていないということも事実なわけです。

赤塚:アニメーション・スタジオ自体はあったものの、トルンカが亡くなっただとか、イジー・バルタが来るまではリーダーとなる人がいなかったということはあって、やはりそれまでとは違う感じの作品をつくっていたということがあったわけです。それも新しい世代の問題であるわけですか。

辻:締め付けが厳しくなったときには、アニメーションの技術を思想の表現のために使うというやり方は育たない。

赤塚:でも一方でバルタとかシュヴァンクマイエルとかはいましたよね。主流ではないですが。

辻:バルタたちはチェコの工房で作っていたのですか。

赤塚:そうですね。社会的に受け入れられてはいない、ということはありますが。

辻:じゃあもしかしたらスタッフの継承というものはあったかもしれないわけですね。

赤塚:「新世代」に入ってますけど、ヴラスタ・ポスピーシロヴァーというのは1935年生まれで、学校を出てすぐにトルンカのスタジオに入りました。それは『真夏の夜の夢』の頃だったんですけども、トルンカにかわいがられたのです。ほかにもシュヴァンクマイエルの『対話の可能性』だとか、アニメーターとしてはずっとやってた人なんですよ。自分で監督するようになったのが、けっこう遅くて88年とか89年くらいで、それで「新世代」に入ってるわけですけども。だからちょっと別格なんですよ。これは情報としてお伝えしておきますが。

社会主義体制崩壊後のアニメーション

赤塚:そろそろ話題を変えますが、89年を境いに体制が変わったいうことがありまして、それまで国有化されていたものがそうではなくなった。そうすると、いろんな問題が出てくる。それに絡めて鈴木さんにきいてみたいんですけども、鈴木さんはプロデューサーですが、その仕事というのは、たとえば辻さんの作品についていえば、どういうお仕事をなさるのでしょう。

鈴木:辻作品については配給をしているだけなのですが、一般的にプロデューサーというのは、お金を集めてきて、作品を制作して、それを売るということですね。

赤塚:配給というのはどういうことですか。

鈴木:できあがった作品をみなさんに売るということですね。宣伝して売る、と。

赤塚:そういうところではもちろんお金の問題というのがでてくるわけですよね。チェコも、資本主義になってしまったらお金を工面しないといけないという問題が出てきて、「新世代」にとっての一番の問題はそれなんですよ。今のところ「新世代」で一番評価が高いのはアウレル・クリムトというひとです。まえにNHKでチェコ・アニメーションの「新世代」の特集があったのですけれど、それは、クリムトがこういう作品をつくっている、というドキュメントだったんですね。で、資金繰りのためにイギリスに行ったりする場面があったんですけれど、やはりアニメーションをつくるには資金というのがかなり必要になってくるわけですか。

鈴木:社会主義のもとで国がお金を出してくれた、というのと、自分でお金を出して作るというのは全然違いますよね。

辻:私の場合は……

鈴木:辻さんの場合は一人でやってらっしゃいますからね。やはり、大スタジオで多くの人数がいるとなると大変になってきますよね。

赤塚:辻さんは社会主義の時代だったら弾圧される側ですよね、まちがいなく「堕落した芸術」、「頽廃芸術」として(笑)。いや、わかりやすいもの以外認められなかった時代ですから。まっさきに弾圧されますよね。

辻:私の場合、「新世代」のような経済上のプレッシャーというものが幸か不幸かないわけですね。

赤塚:鈴木さんはどうして辻作品に関わろうと思ったんですか。

鈴木:私は美術館の学芸員をやっていて、辻さんの作品の面白さに関心がありまして。ですから、辻作品に関しては、プロデューサーというものは後から付いてきたものです。

赤塚:作品の強さとか、そういった部分に惹かれたということですか。

鈴木:そうです。「新世代」の人たちは資金繰りが大変だといいますが、まあ、お金を稼ごうと思っても、そうそう売れるもんではないですよね。

辻:戦略的にやろうとしてもすごく難しい部分があるんじゃないですか。

鈴木:日本だと「チェコ・アニメ」というとある種の市場があるわけですけど、他の国においてもそうなんですか。

赤塚:いや、全然ないですよ。日本特有な気がしますね。たとえばイギリスだったら、チェコのなんとかセンターみたいなところで映画祭があって、そこで一日だけ上映されるいった程度でしょうね。

辻直之作品について

鈴木:最後、辻作品に関して少しお話をしましょうか。

赤塚:木炭画の線が動いていくと残像が残りますが、それについてどう思ってらっしゃいますか。

辻:『闇を見つめる羽根』(2003)を作っているころには、残像があるという前提がありましたね。最初の頃は、残像が出るということは知っていたんですけども、できあがった後に大失敗だと思うような、嫌な感じに出てしまうということがあったんですけども。

赤塚:効果として狙っているわけではないのですか。

辻:『闇を見つめる羽根』では効果として、面白い感じになると思いながら作っていたのですが。

赤塚:今はどうなんですか。

辻:今は微妙でですね、非常に不愉快になるときもあれば、効果としていいと思うときもあるんですけども。

鈴木:コントロールできないときがあるということですね。

赤塚:たとえば部屋などに入ったとき、「あ、さっき人がいたのかな」という気配を感じるようなときってありますよね。そういうのが具体的に出ている感じがして面白いんですけど、そういうことはお思いにならないですか。

辻:最初に、恥ずかしいとか思ったわけです。かっこわるいとか。

赤塚:線が残るというのは木炭画アニメーションの特徴ですよね。ウィリアム・ケントリッジもそうですし。人形から木炭画に移行したというのはどうしてですか。ひとつには、トルンカを観て人形アニメーションはもうやってられないと思ってしまったところもあると思うんですが、そのほかにも理由はあるんですか。

辻:先ほどもお話しましたが、ブラザーズ・クエイっぽい作品を作ってしまった人間としては、やはり、別のやり方を。

赤塚:人形はすでに彼らがやっている、それは超えられないと。

辻:そうですね。彼らを常に念頭に置いていたわけですから、もうちょっと離れたところで自分を立て直すという意味もありました。私の場合、ブラザーズ・クエイだとかチェコの作家たちとは違うのが、制作チームとかがないわけですね。で、音楽とか脚本とかポスト・プロダクションとかの作業は、その都度、お願いするという感じなんですが、基本的にはずっと一人でやるというシステムになってしまったわけで。立体のアニメーションって二、三人いたほうがいいんですね。例えば、キャメラをパンして、さらに人形も動くというシーンだと、一度に頭が回らないわけですね。人物が二人動くという場合になったときに、一人一人にタイムコードとか作ってしまってもいいと思うんですけど、アドリブ的な動きが入ってしまったときにわからなくなってしまったりだとかあると思うんですけど。木炭画アニメーションだと、どこまでやったかっていうのはある程度わかるわけですよね(笑)。

赤塚:じつはこの質問は、ユーリー・ノルシュテインの研究をしている若いアニメーション研究者からぜひ辻さんにきいてほしいといわれてきたものなんですが、ノルシュテイン作品と辻作品は離れているように思えますからそれも面白いですね。ノルシュテインは切り絵アニメーションで、あまり絵を描くということに執着がない。ところが、辻作品は絵を描くということに特別な執着というか、こだわりがあるのではないか、とその研究者はみていまして、それについてはどうでしょう。

辻:私、基本的には絵描きなんですよね。

赤塚:絵描きなのに人形アニメーションをつくっていたということですか。

辻:そうですね。変な話かもしれないですけど、絵があまりうまくない。じゃあ彫刻をやってみよう、というとなって、でもうまくいかない。じゃあアニメーションをやってみよう、ということがあって、それで立体のアニメーションを作ったりしたんですが、一人でやっていると人形が倒れたりだとか、そういういろんな制約がありまして。だから、絵が下手かもしれないですけども、アニメーションにすれば……。かといって長篇アニメーションは作れない。でも、短篇ならばオリジナリティが残せるかもしれない。先ほどケントリッジの話が出ましたけど、木炭画のアニメーションをやっている人を知らなかったんですよ、ラッキーなことに。で、知っていたら、第一人者がいるということで始めるのを躊躇したかもしれないんですけども。

赤塚:アニメーション制作のモチベーションは情念、怨念であるというわけですが、その若手の研究者がいうには、辻さんの作品を観て、非常に居心地がいいと。でもノルシュテインが好きな人間ですよ、ある種の親近感を感じるといっている。そういう言葉をきいてどう思われますか。

辻:率直にありがたいということもあるんですけれど……。私もノルシュテインはすごいなと思うんですけども、たぶん、あの人は私の作品嫌いでしょうね(笑)。

赤塚:じゃあ最後にですね、「新世代」と呼ばれる人々は、若干のズレはあるとはいえ、ほぼ辻さんと同世代であるわけです。同時代の作家たちということで、自分と「新世代」の作家たちということにかんして、何かいいたいことはありますか。これから新しい方向性を探さなければいけないということもふくめて。

辻:先ほど思ったのが、もし「新世代」の作家にお会いしたとしたら、最初軽く挨拶をしたうえで、たぶん批判をし始めてしまうと思うんですよ。それで応酬しあえばいいと思うんですけど。お互いグサグサと言葉を刺しあってですね、それを励みにまた次のものを作ればいいんじゃないかと思うんですけども。

[終わり]


(発言採録・構成:土居伸彰)


[1]辻直之(アーティスト/映画監督)
 1972年静岡県生まれ。1995年東京造形大学卒業後、インスタレーションや平面、アニメーション映画を通じ、アンダーグラウンドな活動に没頭。2002年岩崎ミュージアムにて個展。以後、バンコク、ソウル、ロンドンなどの映画祭に出品。2003年より非営利映画の上映会「ぺぺ馬場キネマ劇場」主催。木炭画による短編アニメーション作品が高く評価され、2004年には『闇を見つめる羽根』、2005年には『3つの雲』と、2年連続で《カンヌ国際映画祭》「監督週間」に招待されている。
 この11月に初のアニメーション作品集DVD『3つの雲――ダークサイド・アニメーション』(COBM-5372)がコロンビアミュージックエンタテインメントよりリリース。いまもっとも注目されるアニメーション作家のひとりである。


協力:コロムビアミュージックエンタテインメントUplink FactoryTomo Suzuki Japan


Text Copyright (C) 2005 Naoyuki Tsuji, Wakagi Akatsuka


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