1997年9月 磯長から二上山を越えて当麻へ

用命天皇陵
Ancient tomb of Emperor Yohmei

天王寺あべの橋から近鉄南大阪線に乗り、古市で長野線に乗り換えて喜志からバスに乗った。途中で運転手に太子町に行くのかと尋ねたら、「違うバスや」とにべもない。「一須賀」というバス停で降り、見当をつけて小さい川沿いに歩くと右手に大阪芸術大学が見えた。右折して降り始めた雨の中を東に歩き、ようやく辿り着いた。聖徳太子の父の用命帝は蘇我馬子を大臣に、物部守屋を大連にしたが、両有力者の対立は深まっていく。天皇は即位してすぐに病気になり、2年後に崩御された。磐余池上陵に葬られた後に、ここ河内磯長原陵に移されたとのことだ。同母妹の推古天皇陵も近い。     次へ      「ときおりの京都」に戻る