転害門
Tegai-mon Gate ; Todai-ji Temple

天平時代の門は少ない。転害門は東大寺の西北にあり、都を南北に走る東京極大路、いわゆる京街道に面し、南一条大路(佐保路)の起点となるため、古くは佐保路門と呼んだとのこと。この門をまっすぐに西に向うと法華寺の南を通り、大内裏に至る。門の立札には、悪七兵衛景清がこの門に隠れて、頼朝を暗殺しようとしたところから、「景清門」の別名もあると書かれていた。法隆寺東大門とともに好きな門だ。

能曲「大仏供養」は、治承4年(1180年)に平重衡に焼かれて焼失した大仏殿を文治元年(1185年)に平氏を滅ぼした頼朝が再建し、大仏の供養を行った際、景清が春日大社の神人に変装して切り込んだが頼朝には近づけず、若武者一人だけを切って姿をくらましたという物語だ。景清は能の世界では堂々と主役を張っており伝世阿弥作「景清」では鎌倉からはるばる日向に彼を訪ねてきた娘に源平合戦の事を語る。また、「八島」でも彼と三保谷四郎との闘いの様子が語られる。
馬場あき子さんの歌に、「逃げ上手景清がつひの地としたるここが日向かぶんたん実る」がある。「屋島で奮戦したり、頼朝を討とうとしたり、いろいろ頑張ったというけど、つまりはここまで逃げてきたのよね、あら、文旦が実っていい香り。」辛辣だ。