南面の石段
Stone steps of entrance

青蓮院の門は直前を道路が遮っていかにも窮屈だ。石段はアプローチが足りず、斜めにつけられている。これは北側の石段。創建時は南に隣接する知恩院を含めた全域がこの門跡寺院の境内であり、天台座主の慈円が法然を庇護して与えた境内の一坊が知恩院の起源とのことだ。軒先を貸して母屋を奪られたという言い方は下品すぎるだろうか。ただし、奪ったのは法然でも親鸞でもなく、徳川幕府であり、知恩院を城郭そのものに構築して朝廷の御所に東山から圧力をかけるためだったようだ。青蓮院の石段が窮屈な由縁か。  次へ