月輪陵
Mausleum on Mt.Tsukinowa

泉涌寺のパンフレットには、「仁治3年(1242)に四条天皇が当寺に葬られてからは、歴代天皇の山陵がこの地に営まれるようになり、爾来、皇室の御香華院(菩提所)として篤い信仰を集めている。当寺が「みてら」と呼称される所以である。」と紹介されている。
四条天皇から、次に祀られる108代後水尾天皇までは400年ほど隔たっており、この間、天皇陵は12帝を祀る深草北陵などを除いて各々独立して造営されたが、徳川幕府になり、後水尾天皇から仁孝天皇までの天皇家の墓所はここに定められた。公家諸法度が制定されてから江戸幕府が崩壊するまで、歴代天皇はこの小さな月輪山陵に質素に祀られてきたことになる。幕府の皇室に対する徹底した姿勢が伺える。