不動山から瀬戸内海を望む
Setonaikai Sea from Mt.Fudo

足下に国東半島がひろがり、姫島が浮かんでいる。晴れた日は中国・四国が見える。まず絶景といってよい。
2001年元日、千灯の実家から参拝。徒歩約45分で登った。
右端の池のある峪が岐部で、竹田津氏、伊美氏と並んでこの地を支配した岐部氏の拠点である。
岐部は「ペトロ・カスイ岐部」(1587-1639)の生地でもある。、彼はキリシタンの家庭で育ち、長崎のセミナリオを卒業し、伝道助手として布教活動を行ったが、慶長19年(1614)高山右近らと共に海外追放された。その後、インドを経て日本人として初めてパレスチナに辿りつき、ローマのグレゴリオ大学に学び、1630年、33歳で司祭となった。
寛永7年(1630)に16年ぶりに日本に戻り、キリシタン弾圧下で布教活動を行ったため、島原の乱が終った翌年の寛永16年(1639)に拷問の末に殉教した。52歳であった。
穏やかで自己主張が少ないのが欠点とされる私の故郷に、こういう先駆者がいたことは誇っても良いのではないか。  次へ