西大寺本堂
Main Hall of Saidai-ji Temple

手前の東塔の基壇に立っていた塔は、創建の構想では東大寺に匹敵する八角七重(あるいは五重)の塔だったが、四角五重に変更された。設計が困難だったこともあろうが、国の財政面からの理由によるのではないか。藤原永手が建設計画を縮小したために地獄に落ちたという「日本霊異記」の記述はそれを示唆している。藤原氏にすれば一族の寺である興福寺に対抗する東大寺に加え、更に莫大な費用をかけた西大寺を創るのはあまり気が進む話ではなかっただろう。基壇は天平の官寺、本堂は鎌倉(建物は江戸時代)の民寺を象徴している。  次へ