宸殿の板絵
Door painting of Shinden Hall

吉田兼好が「徒然草」を書いたのは「方丈記」から100年余り過ぎ、鎌倉幕府が滅び、足利尊氏が入京した頃だ。兼好は尊氏の部下の高師直と懇意だったことなど、時の権力に近づきながらも、遁世生活に入った。
鴨長明が社会の怜悧な観察者であったのに対し、兼好は社会や権威に対してかなり辛辣だ。
仁和寺については現代の週刊誌並みの「記事」を書いている。 次へ