三輪山
Mt.Miwa

田植の終った水田に三輪の山が映える。三輪山は天孫族がこの地に来るまで古来、「ミワ族」の神だった。日本最古の神と言っても良い。天孫族も崇神天皇以来、ずいぶん苦労をしてこの古代からの神をなだめてきたようだ。
額田王の有名な歌、
「味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際(ま)に い隠るまで 道の隈 い積るまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見さけむ山を 情(こころ)なく 雲の 隠さふべしや」「三輪山をしかも隠すか雲だにも情あらなむ隠さふべしや」(巻一 17,18)
これは、天智帝の近江遷都に際してのこの山との別離を惜しんだ歌だが、何のことはない、天智天皇は三輪の神を大津の日吉神社に勧請した。つまり、分身を連れて行ったのである。まさか恋人の額田のためではあるまいが、近江までお連れしたということは、このころには「大物主神」すなわち三輪山がいつのまにか天孫族の神になっていたことを示唆する。
三輪山は古事記では男神とされているが、平安時代には女神と見る説もあり、能曲「三輪」では三輪明神が女になって現れ、玄賓僧都に「わが庵は三輪の山もと恋しくは訪ね来ませ杉立てる門」と詠む。女性はいつも思わせぶりである。それにしても、杉立てる門とはこの山のどのあたりだろうか。      次へ