国東半島遠望
The distant view of the Kunisaki Peninsula

国東半島は海上から見てその名の由来がよくわかる。豊後風土記には山口県の防府から周防灘を渡ったときの景行天皇の命名と記されている。「周防の国佐婆津より発ちて渡りたまひしに、遥かにこの国を覧て、勅りたまひしく『彼の見ゆるは、けだし国の埼ならむ』と勅りたまひき。よりて国埼の郡といふ」とある。
周防灘は瀬戸内海でも広い海域であり、島影は多くない。古代難波から船で西に向い、国東半島が見えたとき、宇佐はすぐ近くであり大宰府も遠くはなく、その先の朝鮮半島から大陸のイメージも浮かんだに違いない。そんな意味をこめての「国の埼」であったのではないか。半島中央部の山なみ。左から大嶽山、小門山。船の舳先の上あたりに半島最高峰の両子山と文殊山、千灯岳が重なって見える。中央の長い稜線は鷲ノ巣岳、夷の岩峰、2つのコブのように見えるハジカミと尻付山、一つ置いて猪群山。右端の平野は豊後高田から宇佐のあたり。