大塔と不動堂
Daito and Fudo-do

空海は弘仁七年(816年)の上奏文に高野山を開いたときのことを「空海少年の日、好んで山水を渉覧せしに、吉野より南へ行くこと一日にして、更に西に向って去ること両日程、平原の幽地有り」と書いている。空海が歩くのに何の苦もない山裾を歩いたはずはないから吉野から大峰山系に入り、西に転じて西吉野村あるいは大塔村のあたりの山なみを経てこの山上の台地を見つけたと思われる。