法輪寺
Horin-ji Temple

表門の奥が講堂、右が金堂、左が三重塔で、この他には庫裏と妙見堂、地蔵堂があるだけだ。法隆寺西伽藍の三分の二の規模があったといわれる7世紀から平安時代にかけての最盛期の姿はこの塔を頼りに想像するしかない。
三重塔は、法隆寺の五重塔、法起寺の三重塔とともに「斑鳩の三塔」と称された。この斑鳩に千年以上も並び立っていたこと自体が奇跡だったが、惜しくも昭和19年に落雷で焼失した。
昭和50年に作家の幸田文さんをはじめとする多くの方々の支援を受けて再建された。名匠西岡常一さんの指揮によるものだ。
白洲正子さんの著書「十一面観音巡礼」に、再建中の塔の様子が書かれている。この現場を仕切っていたのは薬師寺の西塔の再建にも参加した、宮大工の小川三夫さんであり、白洲さんは彼の印象を、「それこそ木の香のように清々しい若者だった」「私に未婚の娘がいたら、お嫁にやりたくなるような青年だ」(同書「登美の小河」)と記している。
この塔が多くの人々の情熱で再建されたことを思えば、ことさらに創建時の姿を想像するのは愚かに思える。    次へ