■ 8月25日 対政府交渉の報告

(1)8月25日「対政府交渉 子供たちを守れ! 
             〜食の安全と「避難の権利」確立を


 この日の政府交渉は、この表題のテーマで、以下の5団体の主催、参議院議員会館で行われました。
  
 子供たちを放射能から守る福島ネットワーク
 福島老朽原発を考える会(フクロウの会)
 国際環境NGO FOE Japan、グリーンアクション
 美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会(美浜の会)
 国際環境NGOグリーンピース・ジャパン

 この日の交渉は、午前中、食品の安全基準などをめぐって厚労省および食品安全委員会(内閣府)と、午後は、学校、給食、避難などをめぐって原子力災害対策本部および原子力安全委員会と行ったもので、盛りだくさんです。
 この交渉の成果は、現在、政府が進めている放射線の許容基準作りや防護策を、どのような考えに基づいて行おうとしているのか、そのかなり重要なところを暴き出したことです。そして、基準になる考えを、こっそり変えようとしていたり、あいまいにしようとしていたところに指摘し、釘を刺しました。
 政府が、この場の「口約束」を守る保障はありませんが、それでも、知らないところで、こっそり進めようとしていたことが白日の下に出ることで、政府からすれば恣意的なことがやりにくくなり、我々からすれば、今後の監視の手がかりが強化されたことになります。
 これは、「しきい値(閾値)モデル、直線モデル」をめぐる問題、および「内部被曝」をめぐる問題、「総積算量」をめぐる問題などで、後に報告を行ってゆきます。

 原発事故以来、政府の事故対応の唯一最大の功績は、原発事故現場、食品、学校などの放射線許容値を途方もなく引き上げたことだけだ、とは、一時期言われていたことですが、学校の20mシーベルトを筆頭に広範な批判にさらされてきました。また、福島原発の事故収束の見通しも立たない中で、しかし、事故が収束に向かっていることを演出したい政府にとっても、事故後の「緊急」「暫定」値をある程度手直ししなければならなくはなっています。

 この日の前半は、食品安全委員会の出した案である「生涯100mシーベルト」という基準をめぐるものでした。
 3・11原発事故以前は、(自然放射線を除く)許容線量は年1mシーベルトとされていました。ところが、事故の後、避難の基準や学校の基準を20mシーベルトまで引き上げ、食品については「暫定基準」なる大幅に緩い基準を根拠もなく定めています。この飲料水基準に至っては、原発排水許容値の2倍で、「赤ん坊のミルクを原発排水で溶いても良い」ことになるというでたらめなものです。セシウム、プルトニウム、ウランについては年5mシーベルトを「暫定基準」としています。
 この食品基準に基づいて、普通の飲食を行うと、大体17mシーベルト/年にあたる放射線被曝を受けると計算されています。
 食品安全委員会は、今後の食品の基準をつくる基礎として、「生涯100mシーベルト」という案を出してきました。しかし、これは、生涯を何歳と想定したものなのか、これまでの1mシーベルト/年との関連はどうなのか、外部被曝との積算はどう考えるのか、これらについて、まったく答えられないものでした。
 ここでは、食品安全委が「しきい値モデル」(後述)に立脚しようとしていた姿勢が暴かれています。

 後半は、多くの論点が出ました。
 避難をめぐっては、伊達村の「特定避難勧奨地点」地域のAさんが訪れ、一戸毎に避難指定するというこの制度が、現地で、いかにひどい状況を引き起こしているのかを具体的に証言し、災害対策本部の金城慎司を追いつめています。
 また、学校被曝、給食被曝など全体にかかわることとして、その基準を、内部被曝・外部被曝を含めるのかについて、原子力安全委は従来から、双方を含めると明言しています(あまりに当たり前のことですが)。ところが、災害対策本部の金城は「安全委の見解を認識する」「尊重する」等々と繰り返しながら「同意する」という言葉を拒み、最後は沈黙を続ける状況になりました。
 これは、同じことが、被曝の積算をめぐっても起こっています。
 福島県の県民健康管理調査でも、とんでもないことが浮かび上がっています。
 この調査では、(シーベルト換算で)1mシーベルト以下を「未検出」としていますが、それ以下でも積算すれば健康被害の可能性はあり、なにより、県民は事実を知りたいにもかかわらず、検査を受けた人に対して、1m以下を「未検出」としか教えないことをやってきました。
 この追及を受けて、文科省は、「検査は1mを超えるものがいるかどうかを調べることを目的に行った(従って、それ以下は未検出として切り捨てる)」と繰り返し(こんな「目的」が公表されたことはありません)、県民の健康のためではなく、安全を「証明する」目的が最初から決まっている検査であることを物語るものになっています。
 
 人間は、受ける放射線の総量で健康被害を生じるものです。
 また、何m以下になれば、急に、まったく被害が無くなる、という「しきい値」があるという(御用学者が勝手につくった)基準によって、それ以下の線量で安心することなど出来ません。
 しかし、食品委員会や災害対策本部などは、多量の線量でも「安全」と強弁するために、許容限度を外部被曝と内部被曝の総量ではかることをしぶり続け、「しきい値モデル」の否定もしぶりました。
 これは、彼らが設定したでたらめな基準(チェルノブイリの避難権利の20倍)である20mシーベルトを超えた地域にすら、各戸ごとにしか避難の権利を認めようとしない(しかも、福島市内については2ヶ月経っても認めようとしない……後述)姿勢と照応しています。
 
 政府や県、マスコミなどの言っている「安全」を信じては身を守れません。特に子ども、妊婦などを守ることは到底出来ません。
 この交渉にも一端が表れたように、政府、関係機関などが、どのような論法で、多量の被曝による危険を誤魔化そうとしているのか、それを暴きただして行く作業は、これから、より一層重要になります。

 こうした論議・確認の積み重ね、深化は、放射能汚染をめぐっては、とりわけ重要で不可欠です。
 他方、同時に、並行して福島の子供たちの疎開・避難を一刻も早く実現しなければなりません。
 夏休み中も、外やプールで遊べず、窓を開けられず、外に出るときは長袖でマスクをしなければならないという生活で、一体、どこが「安全」なのか、と多くの子どもや親が思っているのは当然です。
 放射線への感受性が強い子供たちを、こんなところにおいておくのは、人体実験に等しいことです。夏休み中の疎開・避難を実現できなかったことは痛恨事です。しかし、実現に向けて、あらゆることをしなければなりません。
 いずれ、助力、協力を皆さんに依頼するかも知れません。そのときはよろしくお願いします。

 以下、25日の交渉のいくつかの要点を報告します。

 (2)はじめに  「しきい値モデル」「直線モデル」など


  この日の交渉では、複数の箇所で「しきい値」(または「閾値(いきち)」)をめぐる話が出ているので、はじめに、この言葉について、簡単に説明をしておきます。
 「しきい値」「閾値(いきち)」とは、ある値以下の刺激では神経への反応を引き起こさない境界線の値という意味で元々使われたようです。
 放射線被害をめぐっては、原爆訴訟で「しきい値」が問題になりました。
 「しきい値」以下の値では健康被害と関係ない(あるいは証明できない、という言い方をしますが)という論議で、晩発性の健康被害を被爆と切り離す論議に使われました。―――しかし、原爆訴訟では、国は18連敗し、最高裁は「しきい値」の考え方を実質否定しています。
 最高裁も認めざるを得ないほど「しきい値」理論は根拠薄弱なものでした。
 ある境界線以下はまったく影響がない(または影響がないと見なす)「しきい値モデル」に対して、放射線量が減って行けば健康被害も減っては行くが、なくなることはない、しかし、現実的にはどこかで許容量の線引きをしなければならない、という考え方が「直線モデル」です。この場合、許容量以下も健康被害の可能性は認めるものの、現実との折り合いを付けるため基準値を設けて線引きしなければならない、という考え方で、これは、許容量以下を「がまん値」と呼ぶこともあります。
 この「しきい値」は、たとえば、電気的なデジタル化などにも出てきますが、これは、実際に計測された根拠のある数値です。
 ところが、放射線被害では、人体に係わることで、実験できず、実証の難しいところがあります。もっとも、本当の意味での実証の難しさよりも、実験困難につけ込んで、御用学者が、チェルノブイリで健康被害がさして出ていない、といったでたらめな論文を書き散らし、それが権威あるものとして流通し、実態を混乱させていることによる「実証のわかりにくさ」が大きい比重を占めているのが現実です。
 御用学者連中も、さすがに「しきい値」以下は、健康被害がない、と言い切るものは少なく、ただ「実証されていない」という言い方をするのが多勢です。「分からない」ことと「危険はない」ことと同義でないことくらい、小学生でも分かります。しかし、高名な学者(御用学者)は、この両者を意図的に混同させて、「しきい値」以下を安全と言い張り、それ以下の危険を証明したり、可能性に言及すること自体を、「不安を煽る」「非科学的」などと断罪対象にしています。このことを見るだけでも、この「しきい値」理論の胡散臭さは明らかですが。
 
 この「しきい値」的な論法で「安全」を煽動した一人が、福島の佐藤県政に雇われたアドバイザー山下俊一で、100mシーベルト以下なら安全、マスクも要らない、砂場で遊ばせても大丈夫などと言って回り、子どもや住民に、避けることの出来た被爆を敢えてさせた人物です。
 (山下俊一は、2年ほど前の医学雑誌に書いた論文で、10m〜100mの間で18歳未満では健康障害の危険があると書いていたことが明らかになっています。彼は、自分も信じていないにもかかわらず、「安全」と言って回わり、不要な被曝を煽ったことになります。県民を県外に避難、移住させないための佐藤県政の手先になった御用学者の正体です)

 この「しきい値」的な考え方は、しばしば、途方もないことを正当化します。
 たとえば、1mシーベルトを基準とするとして、学校で0,5なので問題なし、通学路で0,5なので問題なし、食品からの内部被爆は0,5なので問題なし、家では0,5なので問題なし………等々なので、「問題なし」を幾ら足しても「問題ない」という結論を引き出すと言うことです。全体を足せば1mを超えるにもかかわらず、「しきい値」以下は「ゼロ」と同じなので、幾ら積算しても「ゼロ」=安全というわけです。
 (注、これは架空の数値で、問題になっている福島では、多くのところで、これよりはるかに高い数字です)
 政府側は、こうした詐術を露骨に使うので、食品を問題にする場合も、学校での線量を問題にする場合も、その他でも、いずれにしても、最高裁ですら実質否定した「しきい値」的な立論をゆるさないよう、点検して行く必要があるわけです。
 その具体例は、この日の交渉の中にも出てきました。

 (3)食品暫定規制値と生涯100m

 午前中は、厚生労働省、食品安全委員会(内閣府)と交渉を行いました。

 内閣府の食品安全委員会は、健康被害を守るため生涯の累積線量を100シーベルト以内に抑えるという許容量の評価(案)を提出しています。

 今回の交渉に向けて、この案に対して主催者が事前に提出していた質問の代表的なものは次の通りです。

 1,これは、食品だけの追加的内部被爆か、内部被爆と外部被爆とを合わせたものか

 2,生涯とは何年のことか
 3,緊急時と平常時を区別しないのはなぜか
 4,年単位の規制というこれまでの規制の仕組みと異なっているのはなぜか
 5,「生涯100mシーベルト」の場合、年1mシーベルトは守られるのか
 6,放射線の影響を受けやすい子どもや妊婦に、大人と同様、「生涯100mシーベルト」を適用するのはなぜか。
 7,なぜ、100mシーベルトを採用したのか 

 まず、最初から言い訳ですが、この報告は至難です。
 質問が上述のようにはっきりしているのに、それに対応する回答がほとんど返ってこずに、「リスク評価を十分検討した」「3000の文献を検討した」「充分なデータで検討した」(主催者側の指摘するデータに対しては)「信頼性がはっきりしない」などの言葉が並べられ、もう少し具体的な各部分の論議も、基本は、こうした論点ずらしです。
 これは、午前、午後ともそうですが、「イエスかノーか」で簡単に答えられる部分について、あれこれ言い回して、そのものに応えないと言う場面が続出しています。
 その上で、私の能力で整理できる範囲の紹介です。

 1の「これは、食品だけの追加的内部被爆か、内部被爆と外部被爆とを合わせたものか」について。
 この根本的で基礎的なことについて、実に、「イエスかノーか」を拒み続けました。

 たとえば「追加線量100m以内と言うとき、これは食品からだけのことなのか、食品以外からの被爆も含めるのか」という単純な質問に対して
 「前提は食品からの追加(被曝)のみ」
 「前提は食品。外部被曝もあれば、それも含める」
 と、結局、内部、外部など全線量を含めた被曝量であることを「半ば」認めながら、そのことを、なかなか、そのように言い切らずに、追い込まれて、やっとそれらしいことを言うという、参加者のストレスを高める効果絶大の発言を繰り返しました。全被曝量を含めなければ、健康リスクの基準にならないことなど、言うまでもないことです。

 2の「生涯」とは何年を想定しているのか、の質問に対しては、ついに具体的な答えなしで終わりました(代わりに、「データを詳細に調べた」等々の言葉が並びました)。

 3は、この基準は、緊急時、平時双方に適用する基準ということです。

 4の「年単位の規制というこれまでの規制の仕組みと異なっているのはなぜか」
 これについての回答は、わけが分かりません。
 食品安全委が繰り返し「答えた」ことは、自分たちは、健康リスクのことを考えて3万ケースを科学的に調べ、生涯100mシーベルトを超えると健康被害の危険が出るという結論を得た。それを元に、年毎にどのように規制するのかは、厚労省、管理機関が決めることである、などという代物です。
 なぜ、食品安全委の評価(案)の中で、年間被曝に関するリスク評価を行う「べきではなく」(?)、その領域は厚労省にあずけることになるのか、政府側を除いては、参加者誰も理解不能だったでしょう。

 5の「「生涯100mシーベルト」の場合、年1mシーベルトは守られるのか」の質問に対しても、結局、厳しい基準を作って行く、という一般論の繰り返しでした。

 6の「放射線の影響を受けやすい子どもや妊婦に、大人と同様、「生涯100mシーベルト」を適用するのはなぜか」の質問に対しては、子どもはより放射線の被害を受けやすいことを評価(案)に記載したが、具体的な数値まではデータがないので出していない、というものです(たしかに一般論としては書いてあります)

 7の「7,なぜ、100mシーベルトを採用したのか」については、例によって、これだけデータを調べ、これだけ研究し、専門家の意見を聞いた、等々です。

 以上、質問への直接の回答は、ほとんどどうしようもないもので、論点逸らしがほとんどです。

 ただし、その中で浮かび上がったことが幾つかあります。
 「生涯100m」という基準をめぐって、それ以下でもリスクは想定されるし、年ごとの摂取の仕方(生涯100mを特定時期に集中して受けることなど)でも危険が増大する余地があるのではないか、といった意見が食品安全委に対して出されました。
 それに対して、安全委は、100m以下は証明されていない、と言いながら、実質、危険はゼロであるというに等しい言い方を(多少あいまいながら)繰り返して、自分の正当化をはかりはじめました。
 そのため、主催者側から、それは「しきい値」の考え方ではないか、それは、日本の法令でも否定されている、「しきい値モデル」をとらない日本の法令と同一の立場とは認められないがどうか、などと食品安全委や厚労省の意見を求めています。
 それに対して、のらりくらりと質問を逸らして話していた食品安全委は、当初「わかりません」と開き直り、さらに質問を重ねられて「答えられません」と、ふてくされた回答を行うまでになりました。
 この問題が、食品安全委や、今回の評価(案)の弱点であることを自ら告白したようなものです。
 国が建て前であれとっている「しきい値モデル」否定の立場を知らずにいたのか、知っていて、こっそり、そこから移行しようとしたのか?
 これについては、後日、文書で見解表明することを約束させています。

 (4)避難区域、学校20ミリ、給食、内部被曝、県民健康調査


 午後は、原子力災害対策本部原子力被災者生活支援チーム、原子力安全員会、文部科学省との交渉を行っています。

 以下は、事前に提出した質問の主なものです。

 1,特定避難勧奨地点をめぐる問題
 2,福島市大波、渡利地区について、高線量が検出され、特定避難勧奨地点の検討がなされていると繰り返し報道されながら、具体的な避難指定がないのはなぜか
 3,避難の基準である線量について、原子力安全委員会は、外部被爆と内部被爆(実測)との合計としているが、災害対策本部は、これに従うのか
 4,県民健康調査について検出限界があまりに高いことが問題にされている。これについて、災害対策本部が「詳細を確認し回答する」といった内容を
 5,学校暫定基準20mシーベルト見直しの現在状況は
 6,給食の食材について詳細な測定を行うべきだと考えるがどうか
 7,給食食材の産地公表について、自治体によりばらつきがある。改めて公表を促すよう指導すべきだと考えるが、どうか
 8,「緊急時避難準備区域」の解除について
  a、余震が続く中、放射能の大量放出の危険はなくなっていないのではないか
  b、土壌汚染調査は実施されるのか
  c、区域内の線量が高い地域についてはどのようなあつかいになるのか
  d、「緊急時避難準備区域」解除後も不安を感じて避難を継続する人々への補償の支払いはどうなるのか

 1の「特定避難勧奨地点」をめぐっては、特定避難勧奨地点を指定中の伊達市霊山からの参加者Aさんが、この制度の問題を具体的に語りました。Aさん自身は、特定避難勧奨地点に接するところにいながら避難地点の指定を外れている人です。
 (Aさんは、避難地点に指定されることを望んでいます。線量の高い地域の多くの人が避難指定を求めています)

 政府は、事故直後、福島第一原発周囲を避難区域としながら、それを広げていって、20Kmの範囲を「避難区域→警戒区域(立入禁止)」20Km〜30Kmを「屋内退避→緊急時避難準備区域」と指定した以外、避難区域指定をしぶり続けましたが、飯舘村全域の線量が非常に高くなり、IAEAからも勧告されるほどになって、ようやく飯舘村を「計画的避難区域」に指定しました。
 しかし、飯舘村と同じほどの高線量地区が、隣の伊達市などにあるにもかかわらず、政府は、避難区域指定をながらく避け続け、ようやく「特定避難勧奨地点」なる方針を出して、避難指定を拡大するに至っています。
 とはいえ、その「拡大」は、途方もなく「渋い」もので、なんと、線量を調べて、各戸毎に避難鑑賞指定を行ったり、その隣をはずしたり、というとんでもないものです。
 避難を少しでも避けたいという政府と、おそらく、それを促進している佐藤県政の意図が露骨ですが、それでも「そこまでやるか」という代物です。
 この「特定避難勧奨地点」は、このような各戸毎の指定ということなので、その結果、多くの問題を生んでいます。
 コミュニティを分断するものなどと批判されていますが、この言葉では、まだ甘すぎるかもしれません。
 同じ敷地内の別棟に住む家族が、避難指定と指定から外れるという分断まで起こっているのです。また、子ども、妊婦に配慮すると言いながら、ほとんど線量が変わらないにも係わらず、一方で子どもや妊婦が外れ、他方でその隣の高齢者が避難指定されるなど、でたらめです。
 そして、もう一つの問題は、こうした基準もあいまいな指定の仕方などを問い合わせると、市は「国に聞いてくれ」といい、国は「具体的なことは市に」というたらい回しが行われていて、どこも責任を持った回答をしていない、という問題が起こっています。
 
 Aさんは、この避難指定にあたっての、放射線量計測がどんなものであるのかも具体的に報告しています。
 たとえば、同じ敷地内に二棟の建物があるところに、市の計測係が車で来て、場所の設定など大ざっぱに、車を降りたところで一カ所はかり、次に、もう一棟に少し近いところではかり、その結果、一方が、2,7マイクロ、もう一方が2,2マイクロの数値を出し、一方だけが避難地点になる、といった具合です。
 そもそも、二つの棟は、庭がつながって共通になっているのです。
 子どもも(子どもだけでなくとも)双方の庭を行き来することもあり、境界線がはっきりしているわけですらありません。にもかかわらず、こうしたところを、恣意的に二カ所はかって、避難地点と、そこから外れた地点に振り分けているのです。
 おそらく、計測する場所を少し変えれば結果は逆になることすら考えられます。
 また、風などで表土が飛んで、線量の分布が変わることも充分あります。
 そもそも、隣接した庭の線量が高ければ、そこから飛来する放射能の高い土壌飛沫を吸い込む危険がいつもあります。
 にもかかわらず、こうした一戸毎の線引きをして、一戸でも避難指定からはずそうという信じられないような方策を採っているのです。
 「できるだけ避難させない」「移住させない」「県内に止める」という佐藤県政およびそれを後ろから支える政府の意図を、これ以上にないほど露骨に示しています。

 したがって、この「特定避難勧奨地点」をめぐっては、
 1,この適用が、上述のように場当たり的で、家族、地域の分断をはじめ、避難指定されるべき人が指定されないなど多くの問題を生んでいること
 2,この問題を問い合わせると、市と国の間でたらい回しにされること
 ―――といった、この制度の運用をめぐる問題とともに、
 3,この制度自体が破綻していることを認めさせ、変更させること(より広い「面」「地域」としての避難指定をさせること)
 といった課題をもつものです。

 1,2については、災害対策本部は、現地に問い合わせたが、問題になっているようなことはないと聞いていると言った官僚答弁に終始しました。
 3については、避難を要するかどうか厳密に線量をはかり「ちばん(?)」を重視して指定しているので問題はない、という答弁を行っています。

 この点については、現地から来たAさんを含めて、たらい回しを含めた運用問題を現地対策本部に伝えて改善することと、この制度自体の問題を認めて変更することを強く申し入れました。

 2の「福島市大波、渡利地区について、高線量が検出され、特定避難勧奨地点の検討がなされていると繰り返し報道されながら、具体的な避難指定がないのはなぜか」
 これについては、6月30日の政府交渉で、福島市の渡利地区平が森などが、市の計測でも面として年20mを超える高い線量になっていることを示し、早急に避難指定することを強く申し入れています。
 そして、その後、現地の報道では、幾度か、この地域が、「特定避難勧奨地点」指定になるようだと伝えられたそうです。
 にもかかわらず、一向に、その動きがありません。
 伊達市については、上述のような問題がありながらも、ともかくも「特定避難勧奨地点」指定したのに、福島市内の高線量地域をいつまでも放っておくのはなぜか、このことを災害対策本部に問いただしました。
 
 対策本部は、モニタリングをしてデータを集計しているところだ、などと言い訳をしました。
 それに対して、すでに2ヶ月も前にはっきりしたデータが出ているのに、それに対応を取らずに、いまさらモニタリング、等々の言葉を繰り返すのはなにごとか、といった意見が、当然ながら出ています。
 主催者は、「除染で値を下げておいて、そこだけを計って、「特定避難勧奨地点」からはずすことを意図しているとしか思えない。そのようなやり方は問題がある」と批判していますが、同感です。
 福島市内に避難指定すると社会的影響が大きい、「風評被害」を起こすので、福島市内では避難区域指定を避けるという佐藤県政―政府の「政治判断」が大きく働いていることは疑いありません。
 政府側の「錦の御旗」は、「モニタリング」と「除染」です。常に、ここに逃げ込みます。
 今更モニタリングといっても、2ヶ月以前から平が森など、地域全体が高線量であることは分かっていた。いままで、そこの住民が被曝し続けてきたことをどうするのか、といった怒りの声もあがっています。
 この遅れを追及されて、さすがに、対策本部のメンバーは言い逃れが出来ず、沈黙が続きました。
 対策本部に対して、直ちに避難区域指定することを強く要請しています。
 
 3の「避難の基準である線量について、原子力安全委員会は、外部被爆と内部被爆(実測)との合計としているが、災害対策本部は、これに従うのか」
 これは、先にも触れた内容です。
 放射線による被曝は、外部に放射線を発する物質があって、その放射線を受ける「外部被曝」と、体内に放射線を発する物質を取り込み、その物質が体内で放射線を発して周囲の体内組織を損傷する「内部被曝」とがあります。内部被曝は、食物を通じるもの、肺に吸い込むもの、皮膚から入るものなどがあります。
 放射瀬による健康被害は、このトータルによって引き起こされるので、放射線の許容限度を考えるときには、この総量を元にするのは当然のことです。小学生でも分かることです。
 ところが、6月30日の政府交渉では、文科省は、こうしたトータルで計ることを、はっきり拒否しました。
 そもそも、文科省は、生徒の学校での許容線量を20mシーベルト/年に引き上げ、その後、抗議を受けて、この基準をあいまいにし、1mシーベルトを目指す、ということにはなったのですが、20mであれ、1mであれ、それを、内部被曝を含む総量として考えるのか、外部被曝だけを考えるのかの根本問題があります。
 驚いたことに、文科省は、生徒の被曝許容量をめぐって、学校滞在時の外部被曝だけを対象とするとして、通学路での被曝や給食すら含まないと断言したのです。また、原発事故直後の大量被曝も累積線量として含めないなど、とにかく、現実を無視して、なにがなんでも生徒の被曝を小さく見せることに躍起になっている醜悪な姿をさらしました。
 このとき、原子力安全委のメンバーは、避難の基準に、外部、内部被曝を含めるという従来からの見解を表明し、文科省と対立を見せました。
 このとき、主催側は、文科省が、生徒の受ける被曝全体を管理できないというなら、それはどこが担当するのか、と詰め寄り、回答が得られなかったため、その後、文書回答を求めることになっていました。

 この25日の交渉は、6月30日のこの論点を引き継いでいます。
 6月30日の文科省回答のあまりにひどい内容と、その後、生徒の給食をめぐって、全国各地で、食材への不安や計測の要望なども広がり、さすがに、文科省は、先の主張を固持出来なくなったようでした。
 そのため、給食や通学路も考慮する、という言い方に変わっています。
 (このまま主張を固持すれば、疎開・避難への要望をより強めることになるので、ある程度、配慮する姿勢を見せて、疎開・避難させないようにしなければならない、という意図が働いた可能性も充分考えられますが)
 しかし、それでは、(根本的な考え方として)外部被曝、内部被曝の総量を対象にすると確認してよいでしょう、と念を押すと、言葉を濁す、ということが繰り返されました。 この点は、原子力安全委が、内部・外部を加えた値という立場を明確にしているので、この原子力安全委の基準でやることを確認するように念を押すと、「安全委の見解を認識している」「尊重する」などと繰り返し、さらに追及すると「安全委の見解を踏まえる」というので、それでは「同意すると言うことですね」と念を押すと沈黙してしまう、という対応を繰り返しました。
 とにかく、少しでも、被曝線量が高くなる(実際に近づく)ことを防ごうとするおぞましい姿としか言いようがありません。
 なお、細かい論点に入ると、この内部被曝についても論点があります。
 内部被曝は測定が難しく、一人一人の違いが出てきます。
 そのため、内部被曝を加算すると言うときに、実測値を加算するのか、外部被曝に、予め仮説として立てた一斉比率をかけて、それを内部被曝であるとしてあつかうのか、の二つの方法があります。この後者の場合に、内部被曝を特別大量に受けた場合(たとえば、線量の高い食品を摂取した場合、大気中の放射性の塵を大量に吸い込んだ場合など)は、それが無視されることになります。
 そのため、内部被曝を実測値で行うことを要求し、これも、徹底してしぶりながら、一応、うなずくところまではもって行きました。

 こうして文科省も、内部被曝は無視する、という姿勢を、公式には貫けなくなったことを示しました。
 
 4 「県民健康調査について検出限界があまりに高いことが問題にされている。これについて、災害対策本部が「詳細を確認し回答する」といった内容を」  
 
 この県民健康調査での結果の伝え方も、ひどい話です。
 これについて、対策本部は、次のように回答しました。
 「原子力対策本部は、「これは、内部被ばくで1ミリシーベルト以上かどうかをみるものであって、具体的に個人が何ミリシーベルトの被ばくを受けたものかを調査したものではない。高いと言われている検出限界値はおよそ、0.2ミリシーベルトに相当し、検出限界以下であれば、『県民の安心のため』という調査の目的は果たせる」(「共同プレスリリース」より引用)
 先ず第一に、この健康調査が「内部被ばくで1ミリシーベルト以上かどうかをみるもの」であるという目的など、どこにも公表されていないものです。
 勝手に検出限界を(こっそり)定めて、それ以下を「未検出」と伝えるのは、事実の意図的な隠蔽以外ではありません。
 「先行調査のWBCの検出限界は、320Bq(CS-134)、570Bq(Cs-137)となっている。日本成人男性で平常時セシウム体内量は30Bq程度、核実験による汚染がひどかった1964年で530Bq程度というデータ(Cs137のみ)がある。また、尿検査の検出限界13Bq/Lは、市民団体によって検出されたセシウム量の10倍である」(同前「共同プレスリリース」より)
 こうした、決して低くない値であるにも係わらず、それ以下を「未検出」としているのです。
 県民の健康よりも「安心」と思わせるための「調査」である政治目的が、はからずも露呈しています。「自分は「安全」などといわなかった「安心」を解いている」などと、後になって言い逃れをはじめた山下俊一の態度と完全に照応しています。
 主催者からは、災害対策本部に、先日の児玉教授の国会証言を聞いているかどうか確かめたところ、知らないということでした。
 ここでは、チェルノブイリ膀胱炎についての報告が行われていて、尿から6ベクレル検出された子どもに、前ガン症状である膀胱炎が多発していることが語られています。
 低い線量だから「ゼロ」と見なして良いことなどないのです。
 これは、福島県の健康調査ですが、政府と無関係ではありません。

 5の「学校暫定基準20mシーベルト見直しの現在状況は」について。

 この見直しについては、ほとんどの学校で3,8マイクロを下回るようになっているので、この基準は必要なくなり、見直し作業を進めている、8月一杯で基準を出す予定でいることが報告されました。

 この交渉は、この日、大きい「成果」を得たところといえるかも知れません。
 というのは、「1mシーベルトをめざす」という内容について、「生徒が学校で受ける被曝量」なのか、「生徒が生活全体で受ける被曝量」なのかをめぐる問題で、文科省が、論議におされて、しぶしぶうなずいた、という面があったにせよ、ともかく、形だけは、後者の主張を認めたからです。

 6月30日の交渉の際は、文科省は、省が扱うのは、「生徒が受ける総量」ではなく「学校で受ける被曝量」に限られる、と、この主張を頑として譲らなかったのです。おまけに、学校で受ける被曝量といいながら給食は含まない、というのだから、滅茶苦茶です。こんな論理も何もないでたらめな論議しかいえない者(文科省)が教育についてあれこれいう資格はない、などの怒りが会場から飛び交いました。
 この日は、問題になるのは、当然、生徒が生活全体で受ける被曝量である、というあまりに当然の確認に、文科省もうなずかざるを得なくなっています。
 しかし、その先は、あいもかわらず往生際の悪さを見せつけました。
 生徒が受ける総量の規制が問題であるとするならば、それを1mシーベルトとするとして(これは大人と同じ値で高すぎるのですが)、学校での生活は、全体の3分の1くらいの時間なので、学校で受ける線量を、1mシーベルトの何分の一にもしなければならない、ということをなかなか認めたがらず、「基準が少し減るかも知れない」などというところで逃げようとしました。
 これに対して、参加者から、学校だけなら何分の一にもなるはずだ、という声が相次ぎ、しぶしぶうなずいたという経緯です。
 もちろん、この「うなずき」だけで文科省がこれを承認し一変するなど、だれも思えません。
 ただ、この場で、自明であるこの前提を受け入れざるを得ず、首を縦に振ったという事実は事実として残るので、今後も、文科省との交渉や監視に役立てることが出来るはずです。今後の文科省の決定を、一層注意深く負って行く必要があります。

 6,7は給食に関するもので、6は「給食の食材について詳細な測定を行うべきだと考えるがどうか」、7は「給食食材の産地公表について、自治体によりばらつきがある。改めて公表を促すよう指導すべきだと考えるが、どうか」というものです。

 測定については、文科省は、産地で出荷する際に検査しているのだから、流通しているものは安全と見なすことが出来る、産地での検査をしっかりして貰う、という典型的な官僚答弁で答えました。
 しかし、牛肉の例に見られるように、検査をすり抜けるものがいくらでも考えられる状況で、出荷段階ではなく、給食の段階ではかるべきである、そのような対応をとる自治体も出ているが、その結果、不均衡が出ている、といった問題が指摘されています。
 ここで、社民党の福島瑞穂議員も参加し、「給食の計測については、文科省に1000億円の予算も付いているのだから、文科省がやると決断すればできる。是非決断して欲しい」と激しく詰め寄りました。
 結局、文科省は、産地公表の指導要請を含めて、繰り返し沈黙した後「持ち帰らせて下さい」というところに止まりました。

 給食については、親たちの運動の結果などもあって、産地を公表したり測定したりする自治体が出ている一方、公表や測定を行わず弁当持参を禁止している自治体もあるなど、格差が生まれています。
 福島議員は、政府―文科省が、これを一律実施するよう文科省に迫っていましたが、まったく正当で必要なことです。
 子供たちが自ら選べず食べさせられる給食については、子どもや保護者が、その内容を十全に把握できる透明なものにしなければなりません。産地公表と線量測定は、その根幹です。
 
 8,「緊急時避難準備区域」の解除について
  a、余震が続く中、放射能の大量放出の危険はなくなっていないのではないか
  b、土壌汚染調査は実施されるのか
  c、区域内の線量が高い地域についてはどのようなあつかいになるのか
  d、「緊急時避難準備区域」解除後も不安を感じて避難を継続する人々への補償の支払いはどうなるのか

 aについては、1〜3号基に窒素注入して水素爆発の危険がなくなったこと、地震、津波で中断されても3時間で電源を回復できる体制が整っている
 cについては、線量の高い地域については「特定避難勧奨地点」指定を行う
 dについては、因果関係が分かれば補償対象になる、避難指定解除後、相当期間がたてば補償の対象にならない、
 ―――こうした回答でした。
 避難をめぐっては、20mシーベルトという基準が高すぎること(チェルノブイリでは、避難の権利は1mシーベルト以上)、内部被曝を考慮しているかどうかが論点になっています。
 ここでも、内部被曝については、上述同様、正面切って認める(加算する)ことを言を左右して逃げまわり、内部被曝を認める安全委との違いを突きつけることで、やむなく認めるような(しかしあいまいな)姿勢をとっています。
 (以上)