芳村伊十平 長唄と歌舞伎音楽



Isohei Yoshimura


Profile

昭和21年2月東京生まれ、父は映画俳優勝本圭一郎昭和46年5月没、母は長唄三味線杵屋佐清平成8年5月没、少年期より梅が丘長唄芳村流芳村伊四寿師に稽古を受け私立駒込高等学園卒業後、七代目芳村伊十郎師匠に従事、昭和41年12月芳村伊十平を免許される、その後東宝長谷川一夫公演など末席に出演、芳村伊十郎師匠が昭和42年12月京都南座に出演中に病床、その後二代目柏伊三郎氏に菊五郎劇団音楽部に招かれ劇団音楽部唄方の一員として入部する、黒御簾舞台師として現在に至る



長唄とは

 
長唄とは江戸で歌舞伎音楽として発達した三味線音楽の一種で、劇場に結びついて主に歌舞伎の舞踊の伴奏をつとめた。同じ歌舞伎音楽の常磐津・清元などの浄瑠璃と違って歌いものの系統に属するが、これらの浄瑠璃の影響を受け、語り物の要素が濃厚であり、伴奏には三味線のほかに囃子も加わる。長唄の囃子は能の囃子に用いられる楽器をそのまま流用し、笛、小鼓、大鼓、太鼓で構成される。

 長唄の三味線は細棹(ほそざお)と通称される棹が細くて胴が小さく軽いものを用い、撥(ばち)も駒も多種類に比べて小さくて軽い。撥音(弦を弾いたあと撥先が胴の皮に当たる打楽器的な音)を強く聞かせ歯切れよく演奏するが、これも劇場音楽のゆえである。

 演奏は、舞台上では唄方は客席から見て左側、三味線方は右側に横一列に並ぶ。唄と三味線は同人数が原則である。立て唄と立三味線とは中央で隣り合って座る。(立ては首席奏者)立て唄から左へ順に二枚目(ワキ)三枚目・・・と呼び、左端の者を巻軸(トメ)と呼ぶ。巻軸は立て唄に次ぐ重い役とされている。三味線も向かって右に二枚目三枚目と同様に並ぶ。囃方は唄方と三味線方の前の下段に並ぶ。

 長唄の特色としては、概して派手でにぎやかな曲が多く、囃子と加えることで一層にぎやかさを増す。一方、メリヤス物と呼ばれるしんみりした叙情的な小曲もある。声楽優位の三味線音楽の中で、長唄の場合は三味線の器楽性も重要視され、合いの手が多く、合い方のある曲も多く、三味線の腕の見せどころとなっており、器楽性の強い音楽である。

 長唄は、歌舞伎・舞踊の伴奏音楽として発展してきた。そのうえで、劇場音楽としての先行芸能である浄瑠璃などから、多くの形式や様式などを取り入れ、発達したと言えるであろう。そして、歌舞伎の伴奏音楽だけでは満足できず、舞踏の様式から離れ純粋に長唄を演奏する、お座敷長唄が誕生した。しかし、音楽的にみて舞踏曲から完全に離れたわけではなく、多くの様式が移行しているものが多い。

 曲の構成は、大まかに唄の部分と三味線だけの合方{短いものは合}の部分にわかれている。演奏される場や形態によっては囃子が加わり、複雑になる。唄の部分ではその大部分が三味線伴奏つきで、節{旋律}は流派によってさまざまである。三味線だけの部分では多くが三味線合奏部分で、本手(ほんて)と替手(かえで)に分かれて演奏される。

 1曲の長さは短いもので1〜2分の曲から50分以上の曲もあり様々である


歌舞伎音楽とは

歌舞伎音楽というのは、もちろん歌舞伎において用いられる音楽のことです。歌舞伎は、オペラやミュージカル、中国の京劇などと比較されるように、音楽劇といっても過言ではないくらいに劇中の音楽の比重が重い芸能であり、それは、歌舞伎が元々かぶき踊り、つまり舞踊から発展していき、現在でも演目の中に“狂言もの”(科白劇)と“所作事”(舞踊)とを織り交ぜて上演される事と関係があるのではないかと思います。また一口に歌舞伎音楽といっても、その中には様々なジャンルが存在します。それらを簡単に分類すると、

囃子・・・長唄(唄と三味線による合方)と鳴物(三味線以外の打楽器、管楽器、弦楽器その他雑楽器)によって構成される。歌舞伎のほとんど全ての様式で演出に関わる音楽で、主に舞台下手の黒い御簾を掛けた黒塗りの板がこいの中で演奏されることから通称“黒御簾音楽(下座音楽)”と呼ばれる。また、所作事(舞踊)の地(伴奏)として舞台上の雛壇に乗って演奏する形式もあり、このときは“出囃子”という。囃子は、他の歌舞伎音楽と共通の伴奏音楽という役割の他に修飾音楽、効果音楽としての役割も持っている。

浄瑠璃・・・三味線に合わせて語る語り物の総称で、義太夫節、常磐津節、清元節、富本節、新内節などがあるが、現在一般的に使われているのは義太夫、常磐津、清元である。義太夫節は、人形浄瑠璃に用いられていた義太夫を歌舞伎に導入したもので、太棹の三味線で演奏され、主に人形浄瑠璃の作品を歌舞伎にしたいわゆる“義太夫狂言”で用いられるほか、特定の舞踊の地として演奏されることもあり、基本的に上手の御簾内で演奏されるが、“出語り”といって姿を見せて演奏することもある。昔は『チョボ』と呼ばれていたが、現在は『竹本』が正式な呼称になっている。

常磐津節、清元節はともに豊後節系の浄瑠璃で、中棹の三味線で演奏される。主に舞踊の地の音楽として使われるが“他所事浄瑠璃”として狂言もの(科白劇)の中で用いられることもあり、通常『山台』と呼ばれる舞台上の台の上で演奏される。

大きく分けるとこんな感じだと思います。この他にも“大薩摩”“三重”など歌舞伎音楽は様々な様式をもっています。


歌舞伎とは 

 
歌舞伎は、能や狂言や文楽と並ぶ、伝統的な舞台芸術である。 ・400年も前に生まれた古い芝居である。 ・人類が作った最高の芸術である。
昔の古い歴史や物語を劇にしていくものである。・観客と役者が一体となって盛り上げていく芸能である。観客が声をかけたりするユニークな文化もある。
(例えば・・・・・「○○屋!」と、出演している役者の屋号の掛け声をかけたりする。名前を襲名したばかりのときなどは、「親父そっくり!」などという誉め言葉をかけたりする。このような掛け声をかけたりすると、歌舞伎をより楽しむことができるだろう。)

歌舞伎の起源と歴史

阿国(おくに)
 戦国時代後・・・・・平和がやってきた京都には、各地から女芸人の団体が押し寄せるようになった。念仏踊りをもって登場した「出雲の阿国」という女座が、「かぶき踊り」というもので一斉を風靡する。
地方を回り歩く遊女でもあった阿国は、やがて大名をパトロンにつけるようになり、幕府はこれをいさめるため1942年に禁令を発する。 

若衆歌舞伎から野良歌舞伎
 もともと能を中心とする芸能団であった若衆の舞踏団は、阿国のかぶき踊りに刺激されてかぶき踊りをやるようになっていたのですが、これが女歌舞伎が禁止されるようになると、若衆歌舞伎の時代がやってきます。阿国の女歌舞伎と同様に美貌・美声を売り物にするといった容色本位であった若衆歌舞伎は、やはり、1965年(承応)に幕府によって禁止されます。この禁令を解いてもらい、その条件として前髪を剃り落とした成人男性に限って興業が許されるようになったので、これを野郎(やろう)歌舞伎という。歌舞伎という名称は使えず、「物真似狂言尽し」と言った。

元禄歌舞伎
 元禄時代(1688-1704)・・・・・町人分化が花開き、歌舞伎はその代表でもあった。江戸では「荒事」、上方では「和事」が発展する。女形芸の完成や敵役、道外方の芸が確立する。また、富永平兵衛、近松門左衛門によって狂言作者が独立の職掌になる。

人形浄瑠璃の影響
 享保(1716-)の時代・・・・・享保の改革による幕府の弾圧や、上方で人形浄瑠璃が栄えたために歌舞伎は低迷期に入る。世の中の多くのものは、一定のサイクルで栄え衰えていったりするものであるが、歌舞伎もその例外ではなくこの時期は低迷していたのである。「近松門左衛門の「国性爺合戦」が人形浄瑠璃で成功すると、各座競って、人形浄瑠璃のあたり狂言を歌舞伎に取り入れていく。この近松門左衛門の人形浄瑠璃はご存知の人も多いのではないだろうか。
人形浄瑠璃の趨勢が衰えると歌舞伎は再び活気を取り戻す。セリや回り舞台など舞台仕掛が発達したのもこの時期である。

江戸三座

1714年(正徳4)・・・・・絵島生島事件で江戸四座の一つ山村座が取りつぶされる。以降、明治時代まで江戸三座が世襲によって櫓権という興行権を継承することになり、興業制度が固定する。

(市村座)
森田座、中村座と並ぶ歌舞伎の江戸三座の一つ。1964年、市村宇左衛門が村山座の座元になって市村座と改称。明治五年に下谷二長町に移転して昭和七年に焼失。

明治の歌舞伎
 市川團十郎、尾上菊五郎が没すると、歌舞伎も世代交代が起こる。「新歌舞伎」と後に呼ばれるようになる狂言作家以外の人たちの脚本の上演が盛んとなり、興行の改革も行われる。この時期にはすでに、「新歌劇」「新派」とよばれるほかの歌劇ジャンルの活動が盛んとなり、歌舞伎の性格もさらに変化していく。

大正・昭和前期の歌舞伎
この時期には、小芝居と呼ばれた数多くの劇場で、歌舞伎が上演された。入場料も低価格で、庶民の人々に支持された。独特の型や演出、俳優の熱狂的な演技によって、さらに人気を博していった。歌舞伎は、イメージと異なるという人が多いが、このように多くの庶民に愛され、支持されていたのである。

昭和後期から現代の歌舞伎
昭和後期〜・・・・・
第二次世界大戦の影響で、歌舞伎は危機に瀕(ひん)していた。昭和40年になると、歌舞伎は重要無形文化財として総合指定される。その対象として、
「伝統歌舞伎保存会」が発足し、国立劇場の会場という画期的な局面を迎え、歌舞伎はふたたび息を吹き返していった。
平成期(1989年)になると、さらに若い年代が主役を演じるようになり、近年「歌舞伎ブーム」と呼ばれる時代には、従来とは違った空間での歌舞伎公演が行われている。

                                                                  以上参考文献より


   
歌舞伎座の舞踊六歌仙の内喜撰の舞台(右)に歌舞伎十八番の内勧進帳(左)の開演前にスナップを写しました。


 長唄、歌舞伎音楽の関連に

 歌舞伎音楽専従者協議会  歌舞伎音楽に携わる長唄、竹本、鳴物、各演奏家グループの紹介など

 日本芸術文化振興会 
国立劇場など公演広報、伝統芸能養成課、伝統芸能情報公開など

 社団法人長唄協会 
邦楽の中でも300年の歴史を持ち歌舞伎音楽と家庭音楽と二つの道を歩んでいる

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2004,01,30