オッスのおいちゃん
令和5年円通誌73号に掲載されました。



オッスのおいちゃんは、いつも片手をあげて「オッス!」と挨拶をしていたから僕たち兄弟は「オッスのおいちゃん」と呼んでいたのだ。

オッスのおいちゃんは母の弟で、いつもうちに来るときに僕たち兄弟におみやげを持ってきてくれる優しいおじさん。ちょっと顔は怖いけどかっこよくて豪快な優しいおじさんなのだ。車で30分くらいのところのお寺に住んでいて、うちのお寺の行事があるとおみやげ持って来てくれてたのだ。
でもしばらくするとおいちゃんはうちになかなか来なくなった。京都に引っ越したのだという。

あとで知ることになるのだが、叔父は福岡の寺を離れて大徳寺山内塔頭寺院の大慈院に行き、のちに住職となる。だから呼び名も「オッスのおいちゃん」から「京都のおじさん」になり、「大慈院さん」と呼ぶようになった。
私は本山の修行道場に掛搭するときには大慈院から送り出してもらったし、修行中にもいろいろご縁は深かったし、福岡に帰ってきてからも本山の塔頭の住職というだけでなく叔父として深いお付き合いをさせてもらっていた。宗務総長を務め、大慈院の住職を譲って自分が大慈院閑栖になってからも付き合いは続き、私の娘や息子が京都の大学に通うようになってからも食事をご馳走になったりした。特に息子は本山の瑞雲寮にいたのでしばしば顔を合わせていたらしい。

昨年私は胃がんを患い、幸い早期発見だったので手術して今は平気なのだが、大慈院閑栖は心配し私の息子に早めの修行を勧めた。大阪の修行道場を勧められたのだが、そこは大慈院閑栖の孫が修行をしている。自分の孫と私の息子を一緒に修行させたかったみたいだ。私の息子は発心し、4月から大阪の修行道場に行くことを決めた。

昨年の10月、伯母の法事で京都に行った。私と私の息子と娘、そして大慈院閑栖と4人で食事をした。その時は元気だった。その後今年の2月、息子が修行に行くために瑞雲寮を退寮するときに挨拶に伺ったのだがその時にはたまたま体調悪くベッドから体を起こすのもやっとで、それでもベッドから片手をあげてオッスと挨拶してくれた。そこには確かにあのオッスのおいちゃんがいたのだ。

たまたま体調が悪いのかと思ったら実は大病で、叔父はそれからひと月もせずに帰らぬ人となってしまった。貴方のおかげで息子が掛搭することになったんだからせめて見送ってくれてもよかっただろうに。でもまあ、叔父はどこかから自分の孫と私の息子の修行を見守ってくれているんだろう。「オッス!」と片手をあげながら。

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