修行の日々
令和2年円通誌71号に掲載されました。

修行の日々

臨済宗大徳寺派第九教区、よく言われる「一派」の和尚様方は全員、雲水修行の日々を少なくとも三年以上過ごしております。
修行とは何なのか、どういうことをしていたのか、修行の日々を思い出し大変だったこと楽しかったことを綴っていきます。
ここにあるのは自分の修行体験ですが、僧堂や時代が違っても、雲水のころは同じような修行をしていたことでしょう。

一。托鉢
朝8時になると典座裏の集合場所に集まって、本日の托鉢の予定を確認し、それぞれ3人から4人のチームに分かれ京都市内に托鉢に出発する。
合区と言われる托鉢の地区は、当日の朝に副司さんが決める。合区まではバスで移動する。バスを降りたら出発地点に移動し一礼、托鉢が始まる。
托鉢は雲水修行の基本の一つで、京都の市内を法を唱えながら歩いて回る。法を唱えながら、というのは実際に「ホー、ホー、」と声に出しながら歩くのだ。托鉢のチームは引手さんと呼ばれる先頭が最古参の雲水で、押手さんと呼ばれるその次に古参の雲水が最後尾、あとは修行期間が長い順に並ぶ。おおよそ10メートル間隔だろうか、道路を挟んで左右に分かれてゆっくり歩いていく。
網代傘に雲水衣、腰上げをして脚絆をつけ、ビニール紐で編んだ草鞋を履き、看板袋という袋を体の前にかける。看板袋には修行道場の名前が書いてあり、どこの僧堂の雲水か一目でわかるようになっている。看板袋の中には本山からいただいた托鉢免許状が入っている。
喜捨をしようとする人を見つけると声を止めて近づき、看板袋の前垂れで押し頂き、流し込むように袋に入れる。昔は米が多かったらしいが最近ではもっぱら小銭だ。
途中公園で休憩することもあるが、こんな様子で2時間ほど京都の町を練り歩く。お天気が良ければ気分もいいが雨だと大変だ。雨の時は脚絆はつけず雨合羽を羽織る、が雨の時は喜捨してくれる人も少なくなる。冬場の雪の時はもっと大変で、草鞋の裏に雪がくっついて歩きにくい。藁の草鞋なら雪がつかないそうだが藁の草鞋は壊れやすい。草鞋の裏から雪が染みてきて足が冷たくなるし、手はかじかんで感覚がなくなるが負けじと背筋を伸ばして大声で法を唱える。
合区を回り終えるとバスに乗って僧堂まで帰る。

托鉢は雲水の基本的な乞食の行で、5月から7月までと10月15日から1月までの制中と呼ばれる期間には5日に2回、8月から10月14日までと2月から4月までの制間と呼ばれる期間は5日に4回行う。

一。四九日
四九日とは末尾の数字が四と九になる日のこと、月に四日九日十九日二十四日の4回ある。二十九日は例外的に月末日になり、月末日と十四日を大四九という。
四九日は剃髪・髭剃りの日である。雲水は二人一組になってお互いの頭を剃髪しあう。ゾーリンゲンと呼ばれる洋剃刀を使い、石鹸は使わず熱いお湯だけで剃髪する。髭はそれそれT字剃刀で剃るが、髭も湯剃りだ。
四九日は掃除の日である。普段毎日掃除はしているのだが、四九日は普段手が回らないところまで時間をかけてとくに丁寧に掃除する。
掃除が終われば開浴、お風呂である。雲水は5日に一度しかお風呂に入れない。例外的に暑い夏場は夕方に行水ができるし、他の寺の法要の前日には剃髪して開浴することもできるが、基本は5日に一度だけだ。風呂の入り方も厳密な規則があり、三宝さんに三拝してから入る。バスタオルなどないので普通のタオルで体を洗い、普通のタオルで体を拭く。僧堂のお風呂は五右衛門風呂で、薪で沸かす。風呂の係は、慣れてないうちは温度調整も難しいもんだがこれが慣れてくると「一発点火」、つまり新聞紙の切れ端にでも火をつければ小枝細薪太薪と順々に火が回って、だいたいちょうどいい温度になるように薪を組めるようになる。
午後は四九日はいつも通りに作務であるが、大四九の時は弁事、つまり外出許可である。午後だけの外出なのでせいぜい近所で買い物するくらいだが、それでも雲水にとっては大切なひと時である。弁事の時は托鉢の時とは違い、下駄を履いて網代傘はつけない。それでも雲水衣を着ての外出であるので雲水であるのは一目瞭然、やはり背筋を伸ばして町を歩くのだ。

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